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悩みの性質

もしかしたら私が悩む上での根本原因は、「今のわたし」の想像上で物事を考えようとするからではないか。「今の私」の思考で、80年後の未来を想像するからではないか。

ただ5年前のことを思い返してみれば、その"昔の私"と「今の私」では、完全なる予想もできない、予期もするはずもなかった私、がある。

そう考えれば、3年後の私のことなんて、分かるわけがないのではないか。

私はこの5年間が、とりわけ10年20年、いやもっと言えば70年、80年くらいの質の変化があったような気がする。

本当に、それくらい変化したのだ。本当に、こんなことは想像もしてなかったのだ。

人間は刻々と変化すること、これこそが生きる意味であり、人生のダイナミックな感動に繋がっているのではないか。

主観がガラリと変わってしまう、それくらいの可能性が秘められているのが未来ではないか。

私の悩みの根本性質は、「今の私」で、3年後5年後のことを考えるから。

具体的に話そう。

5年前の私は明らかな社交不全で、精神不調で、足りない、人間だった。

今は人と話す時、人を元気にすることができる。

今はその人の求めているものが分かるし、その上で自分もそこを悩み抜いたから、人と話すと人が元気になる。

でも5年前の私はコンビニの店員さんに、わざと笑顔を振り撒く、という行動をしていた社交不安である。

明らかに不自然な社交不全である。コンビニというものは、コンビニエンスだからコンビニなわけで、そこでの望ましい対応は「あざす」くらいの返答である。

しかし私はコンビニの店員さんに合掌する勢いで感謝を、いや感謝するふりを、していたのである。これは社会での相互関係に圧倒的に不慣れなことが分かる一例である。

今は人の心が分かるのである。無論、何もかもが分かるわけではないけれど、だいたい人の心が分かるのである。それは自分も悩み抜いたからである。

でも昔は人の心が全く、分からなかったのである。そういうわけでコンビニの店員さんに長時間笑顔を振り撒く、ということをしていたのである。肝心の精神状態は躁鬱である。

これが5年の変化だ。これを考えたら、もう、私には未来のことは分からないのである。

それ故に未来には希望があるのである。今の悩みが、全く別のものになるからである。

あまりにも人生は変化する気がする。

あまりにも人生は迅速な気がする。迅速かつ、永遠に長い。

そんなことを思った。

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