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『サクラノ刻 -櫻の森の下を歩む-』感想①


王子とツバメ、櫻と向日葵。
「幸福に生きよ!」の先で辿り着いた答え



はじめに

 普段からノベルゲームに対しての感想は外へ向けて発信せず、心の奥底で留めておくことにしているのですが、今回ばかりはそういうわけにもいきませんでした。『サクラノ刻‐櫻の森の下を歩む‐』(以下『サクラノ刻』)を読み終えて一年近く経過していますが、私の魂はこの作品に依然として囚われたまま離れられていません。どうしてもこの感情を可能な限り具現化して残しておきたかったため、自作の小説や小説の感想をあげているものとは別のアカウントを使って、初めて感想を綴ることに決めました。

 この行為はもしかすると、結果的に煙のような言葉しか生み出さないものなのかもしれません。それでも言葉を用いて創作を成す端くれとして、この『魂の作品』に魅入られた者の一人として、精一杯の想いをここに刻もうと思います。

 私は前作である『サクラノ詩‐櫻の森の上を舞う‐』(以下『サクラノ詩』)をプレイしたのも2014年の発売当時というわけではなく、何年も待ち侘びていた往年のファンの方々とは異なる立場でした。これまで多くのノベルゲームのシナリオを読んできましたが、『サクラノ詩』には長い間手を出せずにいました。と言うのも、あらすじ以外で一切話の内容やネタバレには触れていなかったのですが、「どうやら続編があるらしい」ということと、「『サクラノ詩』の前に前作も読んだ方がより良い」ということだけ耳にしていました。それなら続編が発売される頃にまとめてプレイしよう、と心に決めたのがちょうどノベルゲームに手を出し始めた6、7年前でした。

 一昨年の12月頃から『素晴らしき日々~不連続存在~』(以下『素晴らしき日々』)→『終ノ空(remake含む)』→『サクラノ詩』→『サクラノ刻』という順番で読み進めました。どれだけ完結へ辿り着くのが遅れようと、この順番で『素晴らしき日々』と『終ノ空』も事前にプレイしておいて本当に良かったです。それだけこの4つの物語は、根底で地続きのテーマが描かれている作品なのだと私は考えています。

 何かしらのきっかけで『サクラノ刻』に興味を持った方も、是非他の3作品をプレイしてから読むことを強く推奨します。

 そういう理由もあり『サクラノ刻』を何年も待ち望んでいた多くの人に比べて、私にとっては『サクラノ詩』と『サクラノ刻』が1つの作品であるイメージがより強いです。『サクラノ刻』以外の作品に関する感想も所々綴る形になると思いますが、ご了承ください。

 『素晴らしき日々』から『サクラノ刻』へ至るまでの作中に出てくる哲学や絵画、詩に関しては、並行して付け焼き刃レベルの知識のみを身に付けました。手緩い憶測や思考につきましてはご容赦くださいませ。

 また、私にとってこの物語はそもそも『語りえないもの』だと考えてしまっているため、この感想における作品への解釈や言葉選びなど、至らない文章が散見されてしまったら申し訳ありません。それでも出来る限りの言葉を尽くし、少しでもこの作品の魅力をここに残せれば幸いです。

 少しずつ読み返しながら書き進めているのですが、発売から1周年であるこのタイミングにあわせたかったため、期間を設けて分割しての投稿になります。まず今回はI章、II章、一部楽曲に触れた感想を綴りたいと思います。


※以下『素晴らしき日々』『終ノ空』『サクラノ詩』『サクラノ刻』のネタバレを含む内容となります。









第Ⅰ章 La gazza ladra『泥棒カササギ』


STORY

ロッシーニのオペラでセミセリアにあたる。
このセミセリアとは悲劇を題材にしつつも
メロドラマの様な雰囲気を持つ喜劇であり、
大抵のメロドラマがそうである様に
ややご都合主義なハッピーエンドで終わる。

『La gazza labra』は、
19世紀初頭にフランスで流行していた
「救出オペラ」の一種であるが、
カササギという独特な登場人物に特色があ
る。

カササギが盗むものとはなんであろうか?
あるいはカササギに課せられるべき罪とは
なんであろうか?


 喫茶店キマイラに訪れる草薙直哉、そこに居合わせるマスターの鳥谷静流。彼女の視点からの過去を中心にⅠ章は話が進みます。弓張学園に入学したての夏目藍とは仲を深める一方で、鳥谷紗希による中村家を学園から追い出すクーデターをきっかけに、静流は親友である中村麗華との関係を壊してしまいます。

 『サクラノ詩』<第Ⅲ章 PicaPica>(鳥谷真琴√)でこの二人がどういった関係だったのか、『雪景鵲図花瓶』を巡って何が起きていたのかはざっくりと語られていました。前作時点での中村麗華の印象は最悪に近いものであり、鳥谷静流も謎多き人物といった感じでした。二人とも立ち絵が無く、想像し辛かったからかもしれませんが、このⅠ章ではそれを補完するかの如く、丁寧に二人の関係が描かれていました。これを読んでから前作の真琴√を見直すと、全く異なる感想や意味を持つような重要な過去話だと思いました。

 圭を中村家から取り戻すために贋作を手段として用い、麗華との関係を改善させようとした静流ですが、完成した贋作を本物だと認めた麗華に手放しで喜ばれてしまいます。結果的に、喜んでくれている親友を贋作で騙したという罪の意識が彼女を苛ませますが、そんな静流の葛藤を救ったのは、破られるために描かれた贋作で愛する人を救った、草薙健一郎その人でした。

 『サクラノ詩』<第Ⅳ章 What is mind? No matter. What is matter? Never mind.>において、中村水菜を救うために描かれた贋作と草薙健一郎が再び話に絡むのは予想外だったのですが、やはり草薙健一郎なのか、という得心の方が上回っていました。静流が作品として完成させたものは人の心を打つ本物であること、それが褒められて嬉しくなってなにがおかしいのか、と言う草薙健一郎。彼は誰が相手でも、心に突き刺さる言葉をただシンプルに伝えてくれるのが格好良いのだと私は思っています。

 贋作と本物とは、作り出した者で決まるものではなく、その美を受け取った者に委ねられるものではないか、と問い掛けられている、深い意味を持つ章だと読後に感じていました。それこそ『サクラノ詩』における『櫻七相図』を、この後にやってくるⅤ章で巡る前哨戦のようなものだったのかもしれません。

 章の後半でも分かることですが、中村麗華は度の過ぎた言動が多々見られるとはいえ、ブレない芯をしっかり持っているキャラクターでした。静流の作品という『新しい美』に言葉を添えたい、そんな願いがこじれにこじれた結果が絶縁に近いすれ違いを起こす、まさに二人を引き裂く悲劇としての結末ではありました。麗華にとって『雪景鵲図花瓶』はそれほどに本物の美を宿す作品であり、そんな作品を2年も探し続けた静流に対しても、同様の美しい物語を見たのかもしれません。

 個人的に『サクラノ刻』から初めて顔を出したキャラクターの中では、静流が1番好きかもしれません。飄々とした喋り方と立ち振る舞い、それとは裏腹に、内に秘めた熱い想いや葛藤を抱えている彼女は、『素晴らしき日々』の主人公でありヒロインでもある水上由岐を彷彿とさせました。

 この過去話をⅠ章で語った意図が最初は分かりませんでしたが、碧緋を生み出す弓張釉薬、雪景鵲図花瓶という意図された贋作、中村家に残された圭と裏に見え隠れする本間家など、『サクラノ刻』における今後の展開に関する重要なキーアイテムやキーワードが数多く散りばめられていました。また、この話はⅢ-Ⅱ章で別の形として結末を迎えることとなります。


第Ⅱ章 Картинки с выставки『展覧会の絵』


STORY

ムソルグスキーが画家の死を悼み、その展
覧会を訪れた際の足音と心情を曲にしたと
言われている。

生涯のライバルであるはずだった夭折の天
才の絵画を前にして、彼の足のテンポはい
かなるものであっただろうか?

歩くテンポは、まるで刻のテンポの様に、
緩やかであり、めまぐるしくもある。
そして、テンポの繰り返しの中で廻天する
様に、櫻と向日葵は咲き続ける。


 この後も幾度か話に絡むゴーギャンの『死の帝国』の引用後に暗転、直哉と長山香奈が『櫻達の足跡』の壁画の前で語らうシーンからスタート。刻が流れ、世間から見ればその価値が大きく薄れてしまった『櫻達の足跡』。芸術家集団ブルバギによって穢されてしまった『櫻達の灰色の足跡』は、新たな光によって『櫻達の色彩の足跡』へと生まれ変わり、再び輝き始めます。

 この二人の会話劇が幕間のような形で『とある日の出来事』としてまとめられ、暗転してタイトルが初めて出る一連の流れになっているのは、やはり意味があったのだと後から気がつきました。

 最初は『サクラノ詩』<Ⅵ章 櫻の森の下を歩く>においての当事者たちの清算、各々の考えの補完として、この場面がⅡ章で存在していると考えていました。しかし本編を全て終えてから読み直してみると、この時点で長山は直哉に「偽りの美が、こんなに美しかったら───本物なんていらないかもしれませんね」、「そんな絶対的な力を持つ偽物」など、前作から引き継がれている今作の中核を担うテーマについて言及しているのが多々見受けられます。Ⅴ章における長山の活躍があるからこそ、偽物としての美も愛せると言う彼女の言葉に、より深い意味が生まれるのだと感じました。

 そして長山だけでなく、直哉自身にも再び気づきを与えてくれた重要なシーンでもありました。壁画の灰色の足跡に光が当たり、再び色彩を宿して輝くのと同じように、直哉も圭との過去ばかりを振り返っていたけれども、決して歩みを止めていたわけではなく、再び前を見て進み出せた。櫻が刻をきざむように、直哉も刻をきざんでいる。

 『サクラノ詩』<Ⅵ章 櫻の森の下を歩く>は『櫻達の足跡』の壁画としての変遷が、直哉が学生時代から弓張の講師になるまでの心情や歩みとリンクしているものだったのだと改めて実感させられました。

 そして時間軸が変わり、学校の屋上で直哉が女子生徒から告白されているシーンから始まります。相変わらずの直哉……といった場面ではありますが、女子生徒が持つ気持ちの偽りと真実───そういったものが少女には大事だったらしい。と地の文で語られています。どこまでいっても今作のテーマには偽りや真実というテーマが、やはり強く結びついています。

 このすぐ後の職員室や帰宅後の夏目家にて、女子生徒の告白話を例えに、刻の流れが生む人の気持ちの変遷について直哉と藍が話していました。日常におけるただの会話でさえも、『サクラノ詩』や『サクラノ刻』はなにか考えさせられる言い回しで何気なく語られるのが非常に好ましいです。逆に『素晴らしき日々』や『終ノ空』は、何気ない会話にも気が抜けないくらい空気が殺伐していたり張り巡らされた伏線があったりしたので……それはそれで読み応えがあって良かったのですが。

 Ⅱ章は主に新生弓張美術部の話が細かく描かれています。『サクラノ詩』<Ⅵ章 櫻の森の下を歩く>に登場した咲崎桜子、栗山奈津子、氷川ルリヲ、川内野鈴菜、柊ノノ美、そして恩田寧。彼女たちとの日々の続きが描かれるのを楽しみにしていたのと、美術部ではなかった学生の頃の直哉と美術部の顧問として尽くそうとする直哉の心情の遷り変わりが丁寧に描かれていたこともあり、日常パートはサクサク読み進められました。放課後に生徒たちと美術部で過ごす時間も、そして家に帰ってから藍と過ごす時間も、直哉自身が選び取った道なんだと思う一方で、やはり大切な者を亡くした同士で寄り添う直哉と藍の姿には、一抹の寂しさを感じてしまいます。苦痛な不幸の背中合わせに存在する幸福として描かれているこの日常が、そう感じさせているのかもしれません。

 直哉は夏目圭を失い、多くの負の感情で満たされていたけれど、刻が流れそれらは幸福に溢れる感情の束に変わっていた。手元にある幸福で一杯だから、誰かの新しい想いは受け取れない───桜子に学校の屋上で語っていたように、これが『サクラノ詩』において直哉が出した答えであり、それは一貫として変わらない。そして展覧会の『向日葵』の前で、やはり自分が立ち止まってはいなかったこと、ここから芸術家ではなく教師として歩き出すことを圭に誓います。

 Ⅱ章はそんな前作の答えを再確認するような話の流れであり、まさに『サクラノ詩』の終わりと『サクラノ刻』の始まりを繋ぐに相応しい締め括りとなっていました。

 そして章の終わりと共に流れる今作OPの『刻ト詩』ですが、曲そのものに対して今となっては思い入れが強すぎるので、楽曲についてまとめた感想にて別途で後述します。

 このⅡ章が唯一、弓張美術部の生徒たち(寧を除く)に関しては強くフォーカスされている話となっています。魅力的なキャラクターばかりで非常に惜しいのですが、三作目と言われている『サクラノ響』で彼女たちの個々のエピソードは深掘りされるのかどうか、待ち遠しい限りです。


楽曲『刻ト詩』①

 私がケロQ/枕の作品に触れていく惹かれていった中で、切っても切り離せないのが楽曲の存在です。『空気力学少女と少年の詩』(素晴らしき日々より)や、『櫻ノ詩』(サクラノ詩より)を筆頭に、物語へ深く入り込むほど歌詞を味わいたくなるものばかりでした。

 BGMにおいては個人的に『夜の向日葵』『言葉と旋律』『美しい音色で世界が鳴った』『花弁となり 世界は大いに歌う』等、枚挙にいとまがありません。

 そんな中で、前述したとおり『サクラノ刻』において『刻ト詩』のOPムービーを見た時は衝撃的でした。

 Ⅱ章を読み終える瞬間まで、私は『刻ト詩』のOPムービーが公開されても見ずに我慢していました。そんな我慢も相まって初めてOPを見た時は、『サクラノ詩』という一つの答えが紡がれた物語に対して、これから見届ける『サクラノ刻』は何を魅せてくれるのかという高揚感、同時にこの作品まで辿り着いてしまった、読み終えたら本当に終わってしまうという喪失感に似た何かが綯い交ぜになり、よく分からない感情の涙を流した覚えがあります。それほどに想いを馳せる素晴らしいOPの映像と曲、そして話の構成に合わせた完璧なタイミングでした。

 ただこれは他の作品にも言えたことではあるのですが、おそらく『素晴らしき日々』や『サクラノ詩』と同様に、この楽曲も物語の全てを読み終えた後に全く別物へ変貌するのだろうな、という予感がありました。そしてその私の予想は、斜め上の方向に裏切られることとなります。まさかOPがニ番の歌詞で、尚且つ今作の肝であるIV章<Mon panache!>のEDでフルコーラスを聴くことになるとは、この時点で思ってもみませんでした。細かい歌詞についての感想は、IV章について綴る際にあわせて綴るつもりでいます。


 不定期の更新にはなりますが、次回は物語が分岐して動き出すIII章について書いてみようと思います。




















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