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その時よりも…(エッセイ)

著名な人が旅立った。
テレビで流れるニュースには、何処か現実味がない様に初めは思うけれど、そのニュースを見れば見るほど、どんどん実感が湧いて、ちゃんと自分で理解している。もう、居ないんだと。

そんな著名な人が旅立ってから、1か月、2ヶ月、とあっという間に月日が流れていく中にも、私はその旅立った人の出演していた映像を見たいと思う時がある。そんな時は、動画サイトで同じ著名な方が運営しているチャンネルに出演していた映像を見たり、本当はいけない事だが、舞台に出ていた一部の影像を見たりしている。本人がチャンネルを運営していれば、そこにいって動画を見ている。

けれど、そんな動画の数々を見て思い、感じていたのは、まるで今もここに居て、生きている様な立体感。画面は平面な筈なのに、まだここに居て、生きて、声を聞いて、歌を聞いている。そんな証を見ている様な感覚になる。けれど、それと同じ様に改めて思う事もある。
もう、この人は居ないのだと。

月日が経てば、よっぽど近い存在の場所に居ない限り、その存在を少しずつ心の奥底に封印していき、思い出すことは殆どなくなっていく。そうやって、人は生きている。けれど、今はネットがある。ネットを通せば著名な人が直に出演していた動画をいつでも見ることが出来るようになった。

そんな世界になっていったから、もしかしたら私は、今までよりも著名な人の旅立ちを近くに感じ、自己中的に思い出し、そして、時たま悲しくなるのかもしれない。

本当に不思議だけれど、その時よりも、月日という日々が、悲しみや温もりを増幅させている様な気がする。

月日とは、なんなのだろうか。

この先も生きていくための人間の術の一つなのだろうか?

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