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北京滞在記②〜情熱的な親切〜

北京の空気はいつも埃っぽくて、空はいつも靄がかかったように白く霞んでいた。そんな北京の空が、2022年冬のオリンピックの時はとても澄んでいた。テレビに映し出された北京の空は鮮やかで、真っ青だった。

 それもそのはず、北京ではオリンピック前には徹底的に規制がかけられ、自動車はもちろん、工場の創業や、春節の爆竹まで禁止にしていたようだ。そして、私が目にしたニュースでは、一般家庭の昔ながらの釜戸から石炭の煙が出るとして、強制的に釜戸の穴にセメントが流し込まれた…との事で、ニュースの画面には、釜戸の前でぼう然と座り込む家主の男性が映し出されていた。

私はそのニュースを、北京でのある出来事を思い出しながら見ていた。

前回のエッセイでも書いたように、新婚当時に住んでいた北京の住まいは、アジア選手権大会の選手村だったマンションで、家具や家電は備え付けだった。ただ、短期間の滞在を想定してか(?)洗濯機が備え付けられていなかった。アジア村と呼んでいたそのマンションの一階にはフロントがあり、そこでクリーニングを頼むことも出来たが、日常のタオルから下着類や靴下を逐一クリーニングに出してはいられないので、実費で洗濯機を買うことにした。

週末に夫と家電売り場へ出向いて洗濯機を購入し、後日、洗濯機が無事に設置された。住んでいたマンションは、日本式の風呂場・脱衣所ではなく、トイレ併設のユニットバスだったので、洗濯機はキッチンスペースに設置された。2人住まい用の1LDKで、キッチンルームも広い訳では無かったが、何とか洗濯機も置く事ができ、ようやく細々したものも洗える!と一安心、張り切って洗濯に勤しんでいた。

 生活環境も整い、私は平日の昼間は、北京語言大学の敷地内の「地球村」という塾に通い、中国語を学んだり、そこに通う韓国や東南アジア圏の学生達との交流を楽しむ日々を送っていた。

そんなある日、自宅のキッチンで夕飯の支度をしていると、少し換気のために開けていたキッチンの窓から視線を感じた。キッチンの窓はエレベーターホールから続く各部屋への廊下に面していたので、住民達が往来することはあるが、立ち止まって窓から覗き込まれる事は滅多にない事なので、ちょっとギョッとしつつよく見るとその視線の主は、施設管理の楊さんという中年女性だった。

楊さんは、窓越しに、
「洗濯機買ったんだね。」
と、親しみやすい笑顔で聞いた。
「いちいちクリーニングに出していられないからね、買ったんだ〜。」
と、料理をしつつ、いつも立ち話をする感じで軽く答え、楊おばさんも「そうなんだね〜」くらいの軽い受け答えで、また施設の巡回に行ってました。

次の日も、私は午後は「地球村」に中国語の勉強に出かけていた。授業が終わって、同じクラスの学生達とおしゃべりしたり、大学周りの露店や雑貨屋さんなどをうろうろした後、夕方帰宅した。住んでいたC棟14階でエレベーターを降り、部屋への廊下を歩いていると…何やら我が家の方向から人の気配が…それも何人かで室内工事をしているような騒がしさだ。どこかの部屋で工事してるんだな、と思いつつ部屋に着くと…なんと工事していたのは、我が部屋だった。

頼んでもいないのに、キッチンで楊おばさんと工人の男性2人がワイワイガヤガヤやっているではないか…!頭の理解が場の状況に付いて行けない状態で、立ち尽くしていると、楊おばさんが、
「あら、おかえり!洗濯機の場所を変えておいたよ!」
と、満面の笑みで言った。私は、え?勝手に?という心の声を押し殺し(というか、咄嗟の状況に声も出ず…)、ぼう然とキッチンのレイアウトが変更されて行くのをただただ見ていた。あのニュースの、釜戸の前で呆然と座り込んでいた男性さながらに…。

 キッチンのレイアウトが大きく変更され、私の目には、さほど使い勝手が向上したようには思えなかったが…楊おばさんはやり切った充足感と共に引き上げて行った。使い慣れて来た頃合いだったキッチンのレイアウトが様変わりし、戸惑いつつ、モヤモヤしつつ、こんな事が起こるのか、中国では…と自分を納得させつつ…何とかその日の夕飯を作り、帰宅した夫と夕飯を食べた。
「人の家のキッチンを勝手に変更するなんて…。」
という気持ちがある私に、夫はこう言った。
「日本と違って、このC棟1402室は個人の物ではなく、アジア村管理会社の物。勝手に工事をするのも彼らの権利。」

これがカルチャーショックか…と思いながら、その日の夜は悶々とし、なかなか寝付けなかった。翌朝、寝不足なのと、まだカルチャーショックを引きずる私の浮かない表情に、出勤前の夫は、
「まだ昨日の事、納得できないの?」と。まぁ、一晩ではなかなか…と、内心思いながら、夫を送り出し、午後はまた地球村の授業に行こうと部屋を出た。

C棟のエントランスホールで、
「ハオズ!(私の名前を中国語にするとこの発音になる)」
と声がし、振り返ると楊おばさんだった。
「キッチンの使い勝手良くなったでしょう?」
と、にこやかに話しかける楊おばさんに、私は、
「まぁ、そうですね。ありがとう。」
と、当たり障りのない返答をしつつ…これが、「熱情(ローチン)」か、と考えていた。

中国語で「熱情(ローチン)」は、日本語で「親切」の意味に当たる。また、読んで字の如く、「情熱・意欲」「情に熱い」という意味や「心がこもった・心温まる」といった意味もある。中国に住んで中国人と接し、良くも悪くも「情に熱い」人達であることは、充分知ったのだが、中国の人の親切は、日本のそれよりも、更に情が熱いことを、私はこの時に初めて体験し、理解した。

その後も、楊おばさんの「熱情=親切」には、度々お世話になり、私も地球村で勉強した中国語を駆使してどんどん話が弾むのが楽しくて、出会えばよく立ち話をした。

ある日、マンション近くのスーパーで買い物をしていると、背後遥か彼方から、「ハオズ!」
と聞き慣れた甲高い声がした。振り返ると、若い男性と一緒に歩く楊おばさんが手を振っていた。こちらも手を振りながら近付き挨拶すると、楊おばさんは横の若者を指して、
「私の息子よ。」
と誇らしげに言った。
「很帥(ヘン シュアイ)!!」(すごくハンサムだね!!)(これはお世辞ではなく、私の咄嗟の心からの感想だ。)
と言った私の前で、楊おばさんはすごく嬉しそうに微笑んでいた。

あれから25年、楊おばさんは、私が北京で出会った人達の中でも「元気かな?元気でいてほしいな」と思う人達の中の一人だ。「熱情(ローチン)」な仕事振りに、最初こそ戸惑ったが…その後、その「熱情(ローチン)」な彼女の人柄が大好きになった。

 欲を言うなら、よく立ち話をした日本人がいたなぁ…と、私の事を覚えていてくれたら嬉しいな、と思う。