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古代中国斉国の宰相管仲をお手本にしましょう

古代中国斉国の宰相管仲をお手本にしましょう

 古代中国の戦国時代の斉の国の宰相特に管仲のあり方は現代日本の行き方の良いお手本になりそうです。春秋時代の斉の桓公の補佐をして、国力を充実させ、春秋五覇の第一に挙げられるほどにした、管仲は歴史上で最高の宰相の誉れ高く、その存命中は常に君主である桓公の信頼がゆるぎませんでした。
 菅仲はその親友の鮑叔とともに斉の国王のあとつぎでであった公子糾と小白とをそれぞれ補佐しましたが、結局小白が即位して、斉の桓公となりました。このとき桓公を補佐していた鮑叔が、「閣下が斉一国をおさめるだけでご満足であれば、この鮑叔と高傒の二人でことたりますが、諸侯を従えて覇をとなえるおつもりなら、管仲を宰相にすべきです」と助言します。桓公もなるほどと考えて、いままでの敵対関係を水に流して管仲を召抱えようとかんがえました。
 管仲は内政の充実と規律を徹底させ、国をリッチにすることがまず肝腎であることを桓公に説いて、ただちに宰相に任命されます。鮑叔は管仲の下で補佐役にまわり、その右腕として存分にはたらくことになります。
 理解ある君主と信頼できる右腕の補佐役に恵まれた管仲は、斉の国の古い制度を刷新して、物価の安定と水産業と農業などの産業を活性化しましたーー。これによって、消費の伸びと商業の発達とがもたらされ、同時に規律を厳格に徹底させる政策をとって、国の法と秩序が安定しました。こうして国力の充実した斉の勢力は、桓公をして春秋五覇の第一に挙げられるまでになりました。その間にも放置すると傲慢になりがちな桓公を管仲がいさめて、管仲が他界するまでは斉の国力は保たれていました。
 いよいよ管仲が他界するという段になって、桓公は君主の補佐役の人選について管仲の助言をあおぎますが、このとき管仲から「この3人はおそばにちかづけてはいけません」といわれていた、まさにその3人の奸臣を管仲の没後に近づけてしまい、桓公の死後に斉の国は混乱することになってしまうのでした。
 これは現代日本の姿そのものだと思います。

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