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いちこおばあちゃん

今日は私の親友について話したいと思う。

「綿棒を耳につっ込む」「嵐が解散する」「プーチンがウクライナを攻める」「朝洋服に着替える」これらには共通点がある。それは“どんな行動にも理由がある”ということだ。出来事の大小や共感できるかできないかは置いといて全ての行動には理由があると思う。全知全能ではないのでもしかしたら例外があるのかもしれないがそれは置いておこう。今こうして私が文章を書いているのも、あなたが読んでいるのにも理由がある。私の理由はシャワーを浴びている時に急に日記っぽい記事を書きたいという衝動に駆られ、黒歴史になるかもしれないという葛藤の末、頭の中の整理にもなるか...という理由で今キーボードを叩いている。あなたはなぜ、この記事を読んでいるのですか。世界の片隅で見つけてくれてありがとうございます。

とにかく私は全ての行動には理由があるということが言いたい。

さて、本題に入るが、私の親友いちこおばあちゃんは、とにかく人の嫌がることを言うのが大好きだ。人の弱み、コンプレックスを見つけると目を輝かせ水を得た河童のように生き生きと捲し立ててくる。「なんだ、そんなことよくあるじゃないか。身内のノリでやるいわゆるイジリというやつだろ?」いや違う、いちこおばあちゃんは、イジリのプロフェッショナルなのだ。イジリの域を超えている。イジリが強烈すぎて笑えない。イジリで飯を食っている。彼女に時代はまだまだ追いつきそうにない。いかに人に嫌な感情を味わわせるかに異常な興味を抱き、どうしたらより嫌な感情を引き出せるか、もっと暗い感情を引き出せる言葉はないのかという意図や考えうる限り最悪のシチュエーションを言い表そうという意図が彼女の言葉選びからひしひしと伝わってくるのだ。昔彼女の家へ行った時、いちえとお母さんの二人暮らしだったが、いつもお母さんを得意のイジリで転がし続け険悪なムードが漂っていた。もちろん私も彼女の被害者である。その長いイジリが終わった時彼女は必ず私には「こんなこと言う人とは関わらない方がいいよwww」と言う。『こんなこと私は思ってないよ?』という彼女の逃げだ。さんざん酷いことを言っておきながら、『私はそんなこと思ってないから嫌いにならないで〜』という弱さなのだ。

なぜ彼女はこんなことをするのか。最初の話を思い出してほしい。全ての行動には理由がある。私は彼女の行動の原因を究明し、文字に起こしてみたいのだ。

「人の嫌がることはしちゃいけません!」そんなことは彼女だってわかっている。お母さんの説教あるある第一位だ。円滑なコミュニケーションを取りたければ相手を褒めたほうに決まっている。そんなことも彼女は知っている。知っていてイジるのだ。そこに私は、太鼓の達人のむずかしさを“おに”に設定し悔し涙を流しながらもマイバチを握り直してきた音ゲーマーの姿を重ねる。フルコンボが取りたければ“かんたん”にすれば良い。そんなことは分かっている。ただそれでは味気ないのだ。いちこおばあちゃんや挫折を重ねてきた音ゲーマーは、えげつない事をいうほど、連打数が増えるほどスリルが増すのだ。

私が思うに彼女は「ありとあらゆる攻撃にも動揺を見せず見返りを求めることなく無条件にそばにいてくれるという究極の愛の見本モデル」を探し求めているのだと思う。その発見は並大抵のことでは達成できない。しかし、彼女はその孤独な“おに”モードの戦いに今日も嬉々として挑んでいるわけだ。

だから私は彼女が嫌いになれず、今日も一緒にお散歩をしているのだ。と文字に起こして気づけた。ありがとう。note最高。

“おに”モード大好きないちこおばあちゃんの勇姿がいつか報われますように。


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