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先日、仕事で訪れた某社。長いお付き合いの会社だが、ここ数年は年に一度くらいしか訪れることはない。
大きな社食の窓からは隅田川とその向こうに高層ビルが林立しているのが見える。
年々増える湾岸に聳え立つタワーマンション。

私がその会社に通い始めたころは高層ビルなんて一つもなかった。高くてもせいぜい10数階建てくらいのマンションや会社のビルが見える程度だったが、恐らくその辺りに「センチュリーパークタワー」という54階建てのタワマンが建ったことで、その辺り一帯は東京の下町から憧れの街へと変貌を遂げてきたのだろう。

『息がつまるようなこの場所で』
人気の小説で、図書館で予約してすっかり忘れた頃に手元にやってきた。
湾岸エリアに聳え立つタワーマンションに住む中学受験を控えた子どもを持つママ友とその家族のそれぞれの目線から描かれたストーリーだ。
低層階に住む都市銀行に勤める共働き夫婦とその一人息子。最上階に住む代々医者の家系で本人も開業医である夫と読モ上がりの妻と2人の子どもたち。元々タワマンが建つ前の土地で飲食店を営んでいた地権者の若夫婦と子どもたち。

当然、どの階に住むかで窓から見えている景色が違うのは当たり前の話だが、読み進めていくうちに単に窓からの景色だけはなく、ライフスタイル、将来の展望など、タワマンとは無縁の下々の私とは、見えている景色がまったく違うのだなと痛感する。
だけど皆それぞれに、その立場なりに欲や羨望や悩みを抱えている。
たとえ端から見ればタワマンに住んでるだけで人生の勝ち組だろう、と羨まれる立場にいたとしても。
人間死ぬまで、何かを求めているし、何かに悩んでいる。それを煩悩と言うのかも知れないが。

文中に「窓際族」という言葉が出てくる。
そういえば「窓際族」という言葉を聞かなくなって久しい。
すっかり忘れていた。
「窓際族」とはいわゆる出世コースからは外れて閑職に追いやられた哀しくもちょっと笑いを込めたサラリーマンを指す言葉だ。
今のZ世代は聞いたこともない言葉だろう。

しかし今気づいたよ。

元も子もないそんな「窓際族」をその時代はまだ雇っていられる体力が企業にあったんだってことに。
そんな彼らもいつの間にかいなくなってしまい、「窓際族」は気づかぬうちに死語になってしまった。


その大きな社食の窓から太陽が斜めに沈んでいくのが見えた。
ああ、西日がまぶしいぜ。


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