素敵な再会で感服❣️ 『二十歳の伸び代』とは古希にして『青二歳』の 『産婆人生‼️』まだまだ学ぶことだらけだぁ〜❣️感謝❣️合掌🙏
ほほ四十年振りの再会。
二十歳だったKさん。
年齢の違う同級生だった彼女と私。
ほぼ40年前、助産師学校入学当時。
初めて『女子だけクラス』に
一年間の在籍経験をした私。
【女子だけクラス】は初体験。
更に、今でこそ一般的な少人数クラス。
少人数クラスに慣れていなかった。
わわ、わ、
なんとクラスメイト、
たった二十四人⁉️
何を気負ったのか、
訳わからず、クラス委員長⁉️に就任⁉️
俄然、
上手くまとまるといいなぁ〜❣️
なんて、妄想。
係を受けての気負いか?、
元々の性格だったのか?
年増女子の自負心からだったのか?
二十四人中、
子持ちの年増学生が三人。
私は、
その年増女子三人の中の一人だった。
妙な責任感を醸し出してたらしき記憶が、
チラホラ頭をよぎる。
クラス団結を意識し、
入学早々、五月初旬
『親睦会』なるものを企画してみた。
その割には、
目的地が、
動物園とは⁉️
的外れな企画だったが。
後々、
この企画に息子二人を
連れて参加したことで、
『ハードな実践カリキュラムの中
よく頑張っていたんだねえ。』
あの当時、皆んな、
お互いに余裕が無くて、
子持ちでも、
何もかも同等負担。
平等にカリキュラムをこなすべし❗️と
対等精神で、容赦なく課題も分配するべし。と息巻いていたクラスメイトから、
『今更だけど、
あの頃は、
子持ち学生って、
如何にハードか
全く配慮出来なくて、
ごめんね〜。』と、
実に、
神妙に詫びを入れられた
ことがあった。
その時の必死さから出た言葉への
不快感は、その一言で払拭された。
一方、
産後一年の『ママさん学生だった私』
担当教官からは
化粧が濃い。出産経験が活かせない?
(今ならセクハラ発言)
とか云われつつ。
責任感だけが空回りしていた。
素敵なクラスになるといいなぁとか何とか。
常に、そんな事を考えていた記憶がある。
実際のところ、
助産師教育ほ実践教育が中心の
一年間教育。
めちゃくちゃハードスケジュール❣️
一年の内の後半の半年間は特に凄い。
正に24時間体制での『お産介助』の、
実践トレーニング。
このご時世においても、
実在の妊婦さん、ご家族に同意頂いて、
学生の分際で、
『赤ちゃんの取り上げを実践学習として、
実際にさせてもらう』のだ。
勿論、学生だけでなく、担当教官も、病院サイドでの指導助産師も、医師、スタッフも、正に、「専門職生命を賭けるという真剣さ、真摯さで臨む実際演習のカリキュラム」が、必須なのだ。
この超貴重でハードなカリキュラムの存在により、教育方法の合理化が進み、通信教育などが一般的になってきた現在でも、その方法は、変わらない。今だに『助産師養成教育』は、通信教育に移行できない国家資格の受験資格を手にする為の専門教育なのだ。
本当に、
『出産』と云う「命懸けの試練」を
『助産師に成る以前の資格無しの学生に
(日本では、看護師教育の後に助産師教育を置いている。看護師ライセンスがなければ、実働助産師として認められない。男子禁制の国家ライセンスの為、助産師教育までしか男子には門戸を開いていない。日本とは異なる制約の国もある)に、母児二人の命を委ねてくださった産婦さんには、今も心から感謝しています。(同意書によってその都度、確認をさせて頂いた上での学習(実務経験学習として、直接の出産介助を経験する)をどの助産師学生も全員、それぞれ十件以上の経験を必ず積むと云う、必須カリキュラムが課せられている)
四十年が経過した今も、
その方(継続的な体験学習の対象者としての協力者になってくださった女性)との交流が続いていることからも『お産と云う体験』を通して繋がった関係性が、如何に、貴重なものであるのかをしみじみと想い、感謝の念を感じているのは、私だけではないだろう。
トツキトオカ、
ママの胎内(子宮内)で大切に育まれた胎児。
見えない殆ど小さな一粒の命が.
3キロにまで育ち、この世界に出てくるまで
ママの子宮の中でひたすら発育成長し、
二千倍にまで成長してきた本物の赤ちゃん。
助産師に成るべく知識、情報を学んだ学生が
実践研修として、その命を取り上げるのだ。
余談が長くなったが、
何を気負ったのか⁉️
クラスのまとまりに意識を向けねば❗️
との産後の思い込みか?
兎に角、
Kさんの存在は
いつも、気がかりだった。
クラスメイトから聞く評判も
気になって仕方なかった。
いい噂が聞こえてこなかった。
気配りが足らないとか、
自己中心的な行動が多いとか
チームの輪に馴染んでくれないとか。
我ながら、
偉そうに、
何を構えていたのだろうと、
今にして思えば、
とんだおせっかい精神で
彼女をみていたのだ。
恥ずかしい。
上から目線だったのだろう。
まぁ、直接進言する様な
エルギーや行動力は、
持ち合わせているはずもなく、
実に、
中途半端な先輩面したクラスメイト
だったのだ。
学生時代の実践学習では、
別グループでの施設で演習、実践で、
本当の姿など見たこともないのに、
彼女のことを常に、妙に気になっていた。
自分の実践学習がやっとで、
他人のことに構う様な余裕などなく、
挙げ句の果てには、
ストレスと過労で、精神的にも行き詰まり、自己管理ができない様な有様だった。
(実習期間中に倒れ、入院したというクラスメイトに迷惑をかけ、申し訳ない体験迄もしていた当時の私だったのだ。)
更に、就職先の評判などに迄、
ちょっと、大変そうな評判を耳にすると
大丈夫なんだろうか?困ったなぁ、
自己中心的な我儘な助産師のレッテルを
勝手に貼り付けてしまっていた。
兎にも角にも、
そんな学生時代の噂
就業先での評判。
卒業後、一度も直接会った事も
言葉を交わした事も無い間柄だったのだ。
四十年振りの再会は、
『感激』の一言に尽きた。
私は、
二十歳という年齢から、
空白の40年間を
一飛びにして、
これ程素晴らしい変身振りを
目の当たりにした経験は、無かった。
彼女の落ち着いた物腰、
責任感のこもった発言、
誠意ある表現、行動。
いつの間にか、
還暦を過ぎたんだよね〜と
話すその語り口にも、
専門職としての誇りと
責任感、使命感を持って、
自分に掛けられた期待に
応える仕事をしてきた事は明らかだった。
どう称賛しても
上手く表せないと思うが、
彼女の四十年は、
様々な試練を超え、
社会貢献してきたであろう事が
滲んでいる。
二十歳だった我儘娘の延長線上に
今の彼女が立つために、
きっと色々な、努力や試練、
そして、自らの学びが
どれほどあったであろうか。
かく云う自身の今、
これから先、
恥ずかしくない
クラスメイトであり続けたいと思った。
今回の再会では、
彼女の魅力に心新たに感動し、
彼女の専門職助産師としての成果に
感服した。
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