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行く末が気がかり

 浴衣が古くなったらネマキに。これは常識でした。ほどいて、のりはりして何度か仕立てなおすことをくり返し、もう浴衣として使うのは無理かなと思う程度にくたびれたら思いきってネマキに。からだになじむ、着心地良いネマキです。そして古くなったネマキはオムツに。これもあたりまえの事でした。やわらかい木綿地は赤ちゃんの肌にやさしい。

 オムツは毎日毎日洗たくされてくたくたになってもまだ形がありますから、赤ちゃんが使わなくなったら形をととのえてチクチクと縫えば使いやすい雑巾になります。本当に、形がなくなるまで、最後まで使いきるのが物に対する礼儀だと思っていました。

 でもいまは、浴衣って夏祭りの花火見物や夜市に着て行くくらいで、もうネマキにしようかなと思えるほどに古くなるまで着ること自体ないでしょう。ましてやネマキは和服型はあたりまえでなく、たいていがパジャマやトレーナーなどが一般的で、古い浴衣をネマキにとイメージする事はとてもむずかしくなっています。ですからその先のオムツまでたどり着けるはずがありません。何しろオムツはドンと袋にはいってお店で売られている物ですから。どんどん使い捨てる物で、洗って洗ってくたくたになるなんてもう想像の世界でしかありません。オムツが乾かなくて・・・というのは死語になってしまいました。

 オムツがないのですからその先の雑巾があるはずがありません。雑巾というのは学童が学校へ持って行くためにお店で買う物なのです。買わないまでも、ま新しいタオルをガガガ・・・とミシンで縫う物になっています。

 夏が来れば可愛らしく涼し気な浴衣が売られ、人々は楽しげに浴衣姿で歩いているけれど、あの浴衣の行く末はどうなっているんでしょう。浴衣にとっては傍観者のわたしでさえ気がかりなのだから、浴衣本人はもっともっと気がかりなことでしょうね。

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