半生を綴る ④ 救えない人と救われた人
※閲覧注意
自分の性格というのは陰キャそのものである。
人見知りで奥手で人に認知されるのも嫌で。
特徴的な話だと
美容室では「いつもの」「大丈夫です」「ありがとうございます」の3語しか話さないし、
コンビニで店員に業務以外の話をされたら以降そのコンビニは使わないくらい。
強火の陰キャさせてもらってます。
そんな私に現嫁との付き合いは刺激が強かった。
彼女はゴリゴリの陽キャでいつだってクラスの中心人物。
末っ子らしくわがままも言いたい放題。
でも人に愛される素敵な人なのである。
先生からも下の名前で呼ばれる人っているじゃない。まさにそういった人。
彼女と付き合う中で「わがままって言っていいんだ」って気づいた。
人には意見を言わないとわからない。
至極真っ当なことなんだけどそれまでの自分はずっと遠慮してた。
人に合わせて人が喜ぶような立ち回りをするのが自分の役目だった。
そういった出会いと保育系の勉強をする中で気づいてしまった。
”ああ、これは自分の家庭環境もあるんだな”
自分の父親は飲食をやっていて次の日にならないと帰ってこない人だった。
たまの休みの日にもどこかに連れて行ってもらった記憶はなく、
飲んでは怒鳴り散らかす人である。自分の思い通りにいかないと脅しにかかるようなヤンキーあがりの人間だ。
すぐ怒るから様子を伺って行動する、発言する。
それが染み付いてしまっていた。
じゃあ唯一の救いは母親だったのか。というとそれも違う。
母親も酒飲みで家に入れば飲むし、すぐ寝る。
そもそも家にいないこともあるし、ある時期は他に男もいた。バレバレである。
しょっちゅう飲酒運転をするし、それについて来いと言う。
理由を聞くと警察に捕まった際に「子どもが体調悪いんです」って言うつもりだとか。
子どもながら呆れた。
それでも自分は家を出れなかった。
理由は2つ。
1つ目はシンプルに外に出るための金がない。
酒飲みでタバコ吸いだから家に金がないから県外に出るなんて夢のまた夢だった。
幸いながら祖母はお金に余裕があったので大学費用は出して貰えた。感謝してもしきれない。
2つ目は今で言うヤングケアラーだったから。
私は三人兄弟の1番上である。
そして先に記したように父親は夜いない、母親は潰れて寝てる。
食事も洗濯もしなきゃいけなかった。兄弟を自分が見なければいけなかった。
だから家から出たことは無いけど家事は人並み以上にできる自信がある。
時たま「親が嫌いなんてけしからん。感謝しないと」って宣う人がいるけど人の境遇も知らないくせにと思う。
これは本人には口が裂けても言えないけど
こんな荒んだ塞ぎ込んだ人間を救ってくれたのは他でもない嫁である。
しかも出会った当初は遊び回ってたのに。
感謝感謝。
当時のステータス 陰キャ特オタ旦那
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