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熊本地震から8年

熊本地震から今日で8年経つ。
2016年4月14日21時半、8年前のちょうど今の時間に震度7の地震が熊本を襲った。

熊本の実家が被災


実家が熊本市東区にあるため被災した。
地震発生直後は携帯が繋がったので実家に電話をすると、ケガは無いようだが家の中はぐちゃぐちゃとのこと。
大丈夫とのことであったが心配だったので、兵庫に住んでいる私は週末の土曜日で実家の手伝いに行くことにした。
しかし、行くというと心配すると思ったので、両親には何も言わずに食料品やブルーシートなどの品物を兵庫で調達し、車で15日の19時に兵庫を出発した。
16日の早朝に熊本に着く予定で高速を飛ばした。


2回目の震度7


夜の12時になって仮眠を取るために、確か王子パーキングエリア(記憶が曖昧)に駐車して横になった。
*写真のタイムスタンプからミニストップのある下りのパーキングエリア。

タイムスタンプは2016年4月16日2時17分 

緊急地震速報と車の中でもわかる強い揺れで飛び起きた。
震度4くらいはありそうだ。
車内のテレビでは熊本の震度が7!??
自分の常識では、強い揺れの後は小さい揺れが続くものと思っていたが、
最初の地震と同等かそれ以上の強さという速報を聞いて胸がざわついた。
すぐに両親に電話をしてみるが、電話に出ず。
妻からはすぐに心配する電話があったが事情を説明し、危険を感じたら直ぐに引き返すとの約束をし、パーキングエリアを出発し実家に急ぐ。

高速道路通行止め


福岡市内に入ってすぐに高速道路の通行止め。
下道は時間がかかるが、知っている国道3号線を走り山鹿市内まではスムーズに入ることができたが、ここからは渋滞だ。
ここで山鹿で138号線に入り東区を目指す。
菊陽町に入ったくらいから通行止めが目立ち始めて、迂回路を探しながら徐々に実家に近づいていく。

迂回しながら何とか地元へ 4月16日8時21分


震源地の益城町を抜ける


熊本市東区は、震源となった益城町の隣である。
益城町は中学校や高校の際によくブラックバスを釣りに行った。
よく通っていた街並みが崩れているのは心が痛い。
写真は益城町から熊本市東区に行く主要道路の熊本高森線沿いである。

日産の販売店では店舗ガラスが粉々 4月16日8時45分
パチンコ店の壁が崩落 4月16日8時59分
道路が至る所で破損


橋が通れない


実家に行くためには大きな橋をいくつか通る必要があるのだが、地震の影響で橋が橋桁から浮いてしまい通行止め。

橋は国土交通省により通行止めであったが、事情を説明すると徒歩なら注意しながら行ってOKと通してもらえた。

橋の近くの駐車場に車を停めて、ここからは徒歩だ。
実家に行くためには2キロほどを徒歩でいくしかない。
車で色々と持ってきてはいたが、台車などは持ってきていない。

念の為もってきた登山装備を活用しながら運べるだけの荷物を運ぶ。

運べた荷物は食料品と水で20キロ

両親の驚き


携帯の電波がつながりにくいため連絡を取らずに実家に来たものだから。
両親はかなり驚いただろう。
兵庫にいるはずの息子が、目の前にいるのだから。
最初は幽霊を見るような目だったことを今でも覚えている。
「危なかこつはすんな。」
と親父には怒られたが、無事を確認出来て一安心。

実家の中はグチャグチャ 4月16日10時

とんぼ帰り


実家についてからも震度4〜3の余震が数回続いている状況であった。
このままいると帰れなくなる恐れもあるし、道路の状況を確認しながら帰るためには明るいうちに帰る必要がある。
しかも、九州内は高速が使えないために兵庫までは11時間くらいかかる予測だ。
結局、実家への滞在時間は1時間だけ。
4月16日11時には帰路に着いた。
兵庫に帰ってきたのは何とか4月16日中であった。
4月17日は新聞関係の総会があったのだが、そちらも欠席せずに無事に参加出来た。
話題は熊本地震のことが多く出て、実家が熊本にあるので心配をされたが、まさか、昨日熊本に行ってきたなんて誰も思わなかっただろう。

健軍商店街のビルも壊滅


災害ボランティア参加


地震の発生から2週間後の4月27日、28日は、社会福祉協議会のボランティアとして参加をした。
実家のことも心配ではあったが、生まれ育った熊本の役に立ちたいと思ったから、短い時間ではあったが日中はボランティア、夜間は実家の手伝いをした。
ボランティアでは、避難所運営に携わったが、現実は非常に厳しいものであった。人間の嫌な部分もたくさん見た。しかし、良い面もたくさん見ることができた。(このことが自分自身の防災の意識を大きく変えることになった)
本当に日頃からの備えは大事であると痛感した。

2週間後には社協のボランティア参加


日本はすごい


熊本地震を通じて感動したことがある。
それは、日本各地から駆けつける人たちの姿である。

4月16日のとんぼ帰りの際は非常に疲れていたにも関わらず眠くなることもなく、トイレ以外は11時間ノンストップで帰ることが出来た。
理由は、対向車線(つまりは熊本方面)に向かう、警察・消防・自衛隊・各市町村・インフラ企業などの車列と、ずっとすれ違っていたからである。
今から熊本のために全国から駆けつけてくれる人達に対して、「ありがとう」という思いが胸を熱くした。
家族を地元に残して危険な場所に赴く人たちの姿が、今でも目に焼きついている。

熊本震災から8年。
今年は能登半島地震から始まり、大きな地震が各地で続いている。
今一度、地震などの自然災害への備えを見直しましょう。

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