第五福竜丸から感じる新聞の重要性
皆さんはJR新木場駅で降りたことはあるだろうか?
東京都江東区にある京葉線の駅である。
元々、木場から移転してきた木材の集積場であり、今も駅を降りると多数の木材関連の会社がある。
その駅の北側にあるのが「都立夢の島公園」である。
夢の島とは、ゴミの埋め立てによって作られた埋立地である。
目の前に東京スカイツリーも見え、散歩をするには最適の場所である。
この夢の島に、夢という名前とは似つかない、広島・長崎に続く、第三の被ばく事件と言われた「第五福竜丸」が保存されていることを知る人は少ない。
第五福竜丸とは、 1954年(昭和29年)3 月 1 日、ビキニ環礁でアメリカがおこなった水爆実験により被ばくした遠洋マグロ漁船。
アメリカの設定した安全区域内である爆心地 160キロ東方の海上で操業中、実験により生じた放射能を帯びた「死の灰」が第五福竜丸に降りそそぎ、乗組員 23人は全員被ばくするという事件であった。
重要な情報源であった新聞報道
最初に事件を報道したのは読売新聞であった。
事件から2週間後の昭和29年3月16日の朝刊で事件を報じる紙面が展示されている。
唯一の被ばく国として戦後の歩みを進めていた日本が、終戦後9年後に再び被ばく者を出すという大きな事件であった。
事件は第五福竜丸だけではなく、多数の船舶や、マーシャル諸島の島民や環境に多大なる被害を与えた。
当時はネットもSNSも無い時代。
テレビも放送開始直後であり、普及数が100万を超えるのは4年後であることを考えてもテレビの情報もほとんど無い時代。
主力のメディアはラジオか新聞である。
新聞の速報性と詳報性が非常に重要だった時代である。
今の時代に新聞の果たす役割
私は展示館を訪れて、新聞の果たす現代の役割について考えさせられた。
事件の当時の報道は新聞の強みを十分に発揮した。
では、今はどうだろうか?
速報性ではネットに叶わない。
詳報性も動画には叶わない。
今の時代の新聞の重要性の一つがこの写真である。
新聞の重要性は
記憶を風化させないこと。
事実を後世に受け継ぐこと。
当事者の想いを後世に受け継ぐこと。
であると考える。
第五福竜丸の被ばく70年にあたる今年の3月前後は、各社の特集記事が出た。その時に読んでいない人でも、こうして展示館では目にすることが出来る。
ネットニュースでは、第五福竜丸被ばく70年の話題はバズることは無いだろう。
商業ベースで考えれば売れない記事であるかもしれない。
しかし、それでもなお記憶を風化させないために。
当事者の想いを後世に受け継ぐために。
事実の再確認と、当事者や残された人々の声を聞き、後世に残すこと。
これは新聞記者の地道な取材活動無しには成し得ないだろう。
日々の新しいニュースは必要である。
しかし、人間は過去から学べる生き物である。
事件の背景や人間の想いなど、事件事故の表面からは見えないものを読み解くことで、未来をより良く生きることが出来ると考える。
メディアによって、得手不得手はある。
そこを理解して、適切なメディアを選択し、付き合い方を考えていかないと情報リテラシーはどんどん低くなっていく。
新聞の重要性を改めて考えてさせられた。
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