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わたしのツインレイストーリー㉖

最近、私は仕事でミスをしてしまった。

気をつけていたはずなのに、やってしまったショックと気まずさに、落ち込んでいた。


その後の自分の心の動きを観察してみて思ったことは、誠実にそれに向き合うことの重要性と、素直に認めることの難しさだった。

大人になった私達は、社会でそつなくこなすことを学び、

何か思いもよらないことが起こると、自分がどう見られているかを気にして、誤魔化すかのような防御本能が働く。

素直にミスを認められる心境になれる時間が長ければ長いほど、苦しさは増す。

私は半日苦しんだ。
そして自分の非を認め、今後同じミスを起こさないようにするにはどうしたらいいか、
具体的な案を考え、明日からこうしよう。というところまでやっと辿り着けた。

周りから可哀想とかアホだなと思われても、いいと思うようにした。

恥ずかしい自分を時々経験することは、気付きになる。

何歳になっても、時々ハッとさせられる失敗の経験は、できればしたほうがいいのかも知れない。

他人の目を気にして起こる優越感や劣等感の、どちらも感じていないフラットな状態で過ごせる自分でありたい。

だんだんと自己統合が進んできたのか、
心の内面に深く入って、自分を見つめ直すことで、おかしな方向に感情が向かうことがなくなってきていると感じている。

私はあの人とのことを考えてみた。


私の「嫉妬」の感情に対して
もっと掘り下げて追及したいと思った。


まだ感情が暴走してしまう自分を知っている。

外側の事象に感情が揺さぶられたり、左右されない確立した自分になりたい。

何かがあって、いちいちネガティブになるのを、もういいかげんやめたい。

あの人が誰か女の子と親しくしていることが、どうしてこんなに嫌なんだろう。。。
あの人は最近、アメリカ旅行をしてるあのこの投稿に「いいね」していた。

あの人は私の所有物じゃない。
あの人が、誰と何をしてようが、あの人が自分を生きるやり方に、私がそれをジャッジするのは違うでしょ?

私は彼とどうなりたいのか?
私は彼との関係を諦めたのか?

私は彼との関係をはっきりしたくない自分と、いつか答え合わせが来るのを、待っている自分がいることは、なんとなくわかった。

現実には離れてしまったのに
あの人の存在は私の中に常にあって、時々なぜか、あたたかなエールを感じる。

でも今、彼との関係を現実的に動かす心境にはなれないのは、私の奥に眠っていた意識が、本腰を入れて自分に向き合うことを優先しなさい。と言っていると感じているからなんだと思っている。

彼とのことよりまず、
母との共依存的な、縛りや恐れから抜けて、自由に生きる選択を自ら実行していく時なんだと感じている。

母が入れる施設を探し、お金を準備し、心を整え、今のこの家を片付けなくては。

ここに取り組むことには、私にとってとても分厚い壁で、
どうしてもプレッシャーと、二の足を踏む感覚がつきまとう。

少しづつでいいと鼓舞しても、決断を下す勇気や行動力が伴ってくれない。

ハイヤーセルフや天使に助けを求めても、何も返ってこない感覚がある。

私の思考はストップし、ミスをした数日後、私は仕事を休んでしまった。

何もできない。

何もできない。

神様。私に力をください。
私は私を生きたいです。
私が私を生きる為に、
動き出せる勇気をください。

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#ツインレイ








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