わたしのツインレイストーリー㉓
私のこの体験をnoteに書こうと思ったのは、
5月の初め頃で、あの人との直接的な関わりをしなくなった頃だった。
その頃の私は喜びという感情が著しく低下していた。
自分のSNSも動画も、更新したい気持ちが起こらず、友人に会うこともせず、仕事と家の往復の淡々とした日々だった。
5月、彼はインスタのストーリーを頻繁にアップしていた。
彼のアイコンの赤い縁を見て、私は静かに自分の心と対峙する。
彼の動向をなぜ知りたいの?
彼をチェックしたいのは、私のエゴや不安からじゃないの?
私は彼の日常を知ることを拒絶する自分も感じていた。
少し前までの強がりとは違うことも、なんとなくわかった。
私は彼の発信を見ることを拒んでいた。
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4月中旬~のLINEのやりとりで、あの人と現実的に会うことが出来ないという流れがあり、
私の心境は落胆してはいたものの、でも5月の私は、前向きな私。も存在していた。
前向きというのは、彼との関係をどうにかしようとしないで、沸き上がる感情を落ち着いて観察できる自分になっていたということで、
恋愛脳が抑えられ、無理矢理ではなく自然と自分にフォーカスが向けられるようになったということ。
自分自身に前向きである反面、
5月の私は、ふたりで過ごした、あの日の特別な感覚をすっかり忘れてしまうくらい「無」になっていた。という感じもあった。
それまで考えたこともなかったけど、無表情の人の心理がわかったような感覚だった。
あんなに神秘的で強烈だったキスの感覚も、潜在意識が思い出すことを強制的に拒否していた。
そんな中、なぜかnoteを開いて、書いてみようかな。。。という気持ちになった。
ふたりの気持ちがやっと繋がったと思ったのに、現実的に繋がることが出来ないことを、やっと心が認めたという感じで、
このnoteを書くことを含めての一連の流れは、必然だったと今ならわかる。
この時期は、外側(彼)へのアプローチではなく、内側(自分)に集中して何かに取り組むことが必要だったのだと思っている。
私はnoteを書いていくうちに、気持ちの整理ができて自分を客観し、冷静になれただけじゃなく、
ふたりで過ごしたあの日の体験が、どれだけ素晴らしく特別だったのかを、改めて感じることができた。
書くことは、
4年前に彼という存在に出会って進んできたこれまでの道のりを、自らに落とし込み、
これから先、私自身がどう在りたいかを真剣に考えるきっかけにもなっていく気がしている。
そして、母との関係でも動きを見せる雰囲気が5月にはあった。
5月は毎年、認知症の母と近所の山で山菜採りをしていたが、今年の5月は山の中の澄んだ空気がこんなにありがたいものなんだと、特に感じた。
自然を愛する母の元に生まれたこと。
四季というものを静かに楽しむ感覚は、この母が教えてくれたと、素直に捉えられる私になりつつあった。
5分前の会話を忘れてしまう認知症の母との暮らしは、泣きたいことだらけで、実際に、母との生活に限界を感じ、疲れてしまった感は否めない。
それでも施設を真剣に検討できなかったのは、経済的理由だけじゃなく、母が自由でいられる環境を、私の決断で、奪うことになることを恐れているというのがあって、
ただ、日々なにかしらのハプニングが起こり、母との生活を続けていくことを葛藤する私は常に存在していた。
去年くらいから、家の中の包丁が全部なくなり、料理ができないという珍事件が、数回起こっていた。
私がいない間に、母が外に包丁を持ち出して、近所のどこかの植物を切ったりしてるのか?
???!!!
包丁を外のどこかに置いてきてしまって、それをもし近所のこどもが見つけたら。とか、
包丁を持って老人がひとり歩いている光景を想像して、私は青ざめた。
仕事終わりに買い物をして、夜ご飯の準備に取りかかろうと扉を開けると、包丁がない。
どこを探しても全然ない。
並んでいた4丁の包丁が全部ない。
食材を手でちぎるわけもいかず、
ホームセンターに包丁を買いに行く。
店員さんに変な風に思われるかもしれないと思って、無駄に洗剤なんかも買ったりした。
仕事から帰ってきてからの、こんなことは、本当にどっと疲れてしまう。
私の心は苦しくなり、いったいどうしたらいいのか。。。と途方に暮れた。
家に戻ると母は、玄関まででてきて、
笑顔で「おかえり!」と私に言う。
「包丁をどこにやってしまったの!!」
「どうして私を困らせるの!!」
私は耐えきれず、母を責めた。
母はもちろん何を言われているのかわからず、理由を聞く。
説明する。
さっき出かける前にも言ったのに。
説明を繰り返すことで、
また私は悲しくなる。
謎の包丁事件が解決したのは
それから半年後、
母の部屋を掃除した時だった。
ベッドの下やら、押し入れの奥から、新聞紙でくるまれた包丁達が、ぞくぞくと出てきた。
なぜこんなことをするのか聞いても、わからないというけど、誰かが勝手に家に入ってきたのが怖かったというようなことを言った。
そんなことはあるわけないのだけど、妄想が激しくなるのは認知症の症状のひとつにある。
とにかく外に持ち出していないということがわかって、私はほっとした。
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5月の下旬、母とのことで大きな浄化が起こったと感じる出来事があった。
夜、寝る準備をしていた母が、
弱々しく、階段の下から私の名前を呼んだ。
「また包丁を隠してしまった」と自ら言ってきた。
あれから私は母が包丁を触らないよう、注意書きの貼り紙をしていた。
「お母さんはなぜか包丁を隠してしまうことがあります!隠さないで!!」と扉に書いて貼っていた。
聞くと、扉を開いたら包丁がなくて、またやってしまったと思い、ひとりでしばらく探し続けていたという。
あちこち探したけど、なくて、どうしたらいいのかわからないと、小さな子犬のような目で私を見た。
「きっとお母さんの部屋にあるよ!」
「明日わたし探すから
もう寝て大丈夫だよ。」
私はいつものことだよ!というように、笑って言った。
母は心から安心する表情になり、
「よかった」「よかった」
と今にも泣き出しそうな雰囲気を出した。
そして
「ごめんなさい」と言った。
私は母がこんなに素直に謝る姿をみたことがなかった。
私の心は熱くなった。
「いいんだよ。お母さん。」
「そんなに自分を責めないで。」
「お母さんが悪いわけじゃない。お母さんは認知症って病気なんだから」
「だから」。。そこまでいうのが精一杯という感じだった。
母は階段の中段から上にいる私に向かって
「ありがとう」と言った。
私は階段の上から、
「大丈夫!安心して寝ていいんだよ。」と元気な声で言った。
部屋に戻って涙が溢れた。
これまでの様々な感情がこみ上げ、心が晴れていく私を感じた。
大きな大きな浄化が起こった感じがした。
母さんに「ゆっくり寝てね」と優しく微笑む自分を感じて
母さんと同じように
「よかった」「本当によかった」とつぶやいたかも知れない。
とにかく、なんだか感情が溢れて。
とめどなく溢れて。
私はこの瞬間のこの気持ちを、
忘れないようにしようと思った。
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#ツインレイ
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