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わたしのツインレイストーリー㉕
先日、出勤中の私は、駐車場から会社までの10
分、何かを感じながら歩いていた。
憂鬱とはまた違う、自分に深く入っていくような心境になっていた。
中庸とはこんな感じなのかも知れない。
Happyなハイテンションは三次元的な喜びで、魂の喜びとは何か違うということが、直感の感覚としてわかってきていた。
ここのところ深堀りしていた私の「罪悪感」について、これは何んなんだろう。。、ということにフォーカスしている感覚があった。
常に私の心にまとわりついているこの罪悪感と言えるような感覚は、一体何なのか?
なぜ私は罪悪感のようなものを感じなければいけないのか?
あの人に対しても、認知症の母に対しても、なぜ、私が変な罪悪感を感じているのか?
共依存のような危険な思考癖があるということを、もっと真剣に考え直さなければいけないと感じていた。
私が私の人生を生ききれていないのは、この感覚が、抜けないからなんだと気づき始めたのだと思った。
この感覚を勝手に自分に取り込んでいたのだとしたら、なんて意味のない共感なんだろう。。。
理解は必要だか、共感はいらない。とはっきりと自分に言い聞かせる必要があると思った。
この時私は、ハイヤーセルフや天使の存在が、私を導いている感覚が研ぎ澄まされている気がした。
通勤の脇道の通りにある植物を眺めながら、わき上がってきた気持ちを、そのまま空に投げ掛けてみた。
「あの人との関係や、私の生きる道としてなにかサインがあるのだとしたら、私に何かサインを下さい。」
私の心は、魂に近づいていた。
スピリチュアルは、行き過ぎると本質を見失う危険があることを察知しながら、地に足をつけた形で、私は天にお願いをしてみる試みをためしてみた。
もし、何かがあるのだとしたら、はっきりとわかるサインが欲しいと思った。
この思考のやりとりは、一瞬の間で起こっていて、切実な感じはなく、自然な形で起こっていた。
エンジェルナンバーと言われるサインは、この数年何度も目にしたことがあったが、それがどんな意味なのか、とにかく、ただ多く見るな。。というだけで、
だからどうしろっていうの??
という気持ちがあった。
「1111」「222」「444」「7777」
この数年多く見るエンジェルナンバーを思い出して、今までほとんど見たことない数字は「9」の羅列だなと考えていた。
今後、もし何か意味のある大きなサインがあるのなら、私に「9」を見せてくれたら、きっとわかると思って、その時は「9」を見せてください。とお願いしてみた。
長丁場を想定した思考のやりとりで、今後1年くらいの見込みで「9」のサインがある時は、何かがあるのだと考えようという感じだった。
通りの曲がり角にコンビニがあって、私は飲み物を買おうと思った。
なんだがすごく喉が渇いて、炭酸のすっぱい飲み物が飲みたかった。
まだ出勤には充分時間があった。
いつも水筒を持ってきていて、仕事中はお茶のパックを入れて飲んでいたが、時々ペットボトルを買う。
私はコンビニでレモンのビタミン系の炭酸の500のペットボトルを買った。
コンビニを出てすぐ通りにベンチがあって、そこに座って、すぐに開けて飲んだ。
目の前には、二車線の車道があって、少し先の横断歩道には、出勤を急ぐ人の群れが、信号の青を待っていた。
歩行者側の信号が青になった時、車道のいちばん後ろに、左折した1台の車が滑り込んできた。
ナンバープレートが「9999」だった。
私は目を丸くした。
!!!!!!
天使や何かが存在していて、応援があるかも知れない事実は、実は以前にも大きなシンクロを見せられ、疑う気持ちはなかったものの、こんなにすぐに、現れることに驚いた。
「9999」
覚えている限り、この数字の羅列を見たのは今まで、1回だけだった。
いつのタイミングだったか忘れたけど、一回だけ「9」の羅列を見たことがあった。
こんなことが本当に起こるなんて。。。
私は宇宙の強力な力をまじまじと見せられ、呆気にとられ、また深い安心感を感じていた。
これでいい。
私は何者かに守られ、この地球を生きている。
私を応援している力が存在していることが、私をもっと輝かせてくれる。
私の心に、じんわりと暖かいエールが流れ込んできた。
この瞬間の出来事を刻みこむことで、もっと軽やかに、私は私を生きていいと思えることができた。
コンビニに寄ったことで得られたこの体験で、私は私を生きる確信を強くすることができた。
私はこの日、仕事をしながら、お客様からの電話をとるたびに、あの人を感じていた。
現実では離れてしまってた彼の存在が、私が私として生きる力を与えてくれていることを実感していた。
「お客様」が「お客さん」になった感じがした。
電話の向こうの誰かわからない人達が、私にわからないことを質問し、私はお客さんの言葉をしっかりと聞き、私の言葉で、誠実に的確に説明をしようと声を出す。
お客さんは、私の声を心地よく聞いてくれてる感覚がある。
私の声にお客さんは、「ありがとう」と言って最後は、電話をしてきた時よりなんだか優しくなった声で電話を切る。
10年続けていた仕事の今までが
ひとつひとつに、「今」を感じてる瞬間になった感じがした。
離れてしまったあの人が今、何を考えているのかも、何を感じているのかもわからない。
ただ心配も大きな不安もない。
あの人の存在が、私を強く、大きく、深くして、私が私であることを、私自身が自覚して安心感を得ている。
このことが嬉しくて、私は私に活力が沸いてきていることを感じている。
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#ツインレイ
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