【エッセイ】雨のち晴れ

 夏の夕方。一日の暑さが盛りを過ぎようとする頃。
 ポケットの中の携帯が長く震えた。着信の画面を見ると、中学の同級生の名前が示されていた。俺にとって特別に用がある相手ではなかった。恐らくそれは向こうも同じ。要するに、唐突な連絡だった。
 電話に出ると、向こうはどうやら騒がしい。声が聞こえてくる。意外にも懐かしいとは思わなかった。
 どうやら電話の相手である彼は、中学の頃の同級生数人と飲んでいて、その場にいない同級生に片っ端から電話をかけていたそうだ。
——今どこに住んでんの?
——何してんの? 仕事は?
——彼女とかいないのかよ?
 一通りの質問に答えたりはぐらかしたりした後、「今年の夏はこっちに帰ってこないの?」と彼に訊かれた。「帰るよ」と俺は答える。
 何となくその後の話の流れで会うことになった。正直、あまり気乗りはしなかったが、上手く繕って断ることができなかった。多分、疲れていたんだと思う。

 俺に電話をかけてきたAは、幼稚園からの顔なじみだった。よく一緒に遊んだというわけではないが、これといって関係に取返しのつかない亀裂が入るような諍いがあったわけでもなく、出会ってから経過した年月に相応しい、それなり関係を築いていた。高校は、市内でも一番偏差値の高い高校に進学した。勉強もできて、スポーツの大半は上手くこなせる。でも不思議と嫌味のないやつで、俺も親しくしていた。
 Aが俺に電話をかけた時、彼のそばにはもう一人、友人Bもいた。彼とは中学からの付き合いだった。陸上部で、いわゆる「いじられキャラ」のような存在だった。中学時代に、彼が趣味でギターを弾いていることを知り、「ちょっと弾かせてよ」と言うと、快く応じてくれ、一度彼の実家にお邪魔したことがある。その時、彼のアコースティックギターを弾かせてもらったが、その時の感覚を、もう俺の手は覚えていない。
 夏休みになり、実家に帰省した俺は彼らに会った。Aが車で迎えに来てくれた。店に向かう車中では、お互いの近況報告や、中学を卒業してからのこと、俺が成人式の後の同窓会に欠席したことに対する冗談交じりの叱責と、そのことについての事情の釈明など、意外にも話は尽きなかった。「特に話すことがないんじゃないのか」などと逡巡する前に、とりあえず会ってみるもんだなと思った。
 その日、AとBのほかに、もう一人Cという小学校からの友人と、遅れてAの彼女も来ることになった。最初は4人で、昔話とか、中学を卒業してからのその後とか、今の仕事のこととかを話した。それなりに場が盛り上がったのも、Aの彼女が来るまでだった。
 飲みの席で、友人の彼女とか、友人の同僚とか、友人の友人とかを呼ばれることは結構苦手なのだ。初対面の相手が場に混ざっていると、とにかくこちらの対応は難しくなる。「君と絶対ウマが合うと思って」「絶対に話が合うと思って、会って欲しかったんだよね」といって紹介される人は、非難を覚悟して言えば往々にして「ウマ」も話も合うことはほとんどない。連絡先を交換しても、「今日はありがとうございました」というメッセージから先に続くことはない。間を取り持つ友人は、「紹介されたからには仲良くしなければいけない」という脅迫観念の象徴に変わる。その友人が、紹介することに対して屈託がなければないほど、その場はより気まずく、より悲惨になっていく傾向がある。
 そんなことがある度に、俺は「あなたと一緒にいる時の「私」でいたかったのに」と思う。もちろん言葉にはしない。でも、そう思ってしまう。しかも、今回のケースに限って言えば、久しぶりに会う相手だ。「あなたと一緒にいた時の「私」」を、記憶から呼び起こし、「変わったな」と「変わらないな」の間を突くような微妙な態度を探るという、結構困難なミッションをこなしている最中。結局、そのミッションが終わる前に、初対面の相手は現れてしまった。

 その日の帰りは、友人のBが家まで送ってくれることになった。
 さっきまで、俺が気まずくしていたのを察してなのか、それとも彼自身の好意なのかは分からないが、「明日また飯でも行けない? 久々に会って、もっと話したくなってさ」と言った。
「もう、俺ら二人で行こうぜ」
 この言葉で俺は快諾した。
 翌日。雨が降っていた。Bの車が動き出す。行き先は車の中で決めた。それくらい、行き先は重要ではなかったのだ。
 店に向かう道中、踏切が開くのを待っていた時、ふとカーステレオから懐かしい曲が流れてきた。

単調な生活を繰り返すだけ
そんな毎日もいいさ
親友との約束もキャンセルして
部屋でナイターを見よう

 昔よく聴いていた、Mr. Childrenの『雨のち晴れ』だった。俺はこの頃のミスチルが結構好きで、中学のときよく聴いていた。不景気を半ば見て見ぬふりして職場で装う空元気と、ゴシップやトレンディドラマといった虚構で埋められていく退屈な私生活の間で、もはや引き裂かれる気力さえも失ったような。90年代後半(俺が丁度生まれた頃だ)にこの国蔓延した、独特の無気力を目ざとく捉えてスピーディーに風刺していく。そんなミスチルが、俺は結構好きだった。
「いいね。俺もこの曲好きだよ」
 この曲が好きなやつとは、大学でもあまり出会わなかった。ミスチルが好きなやつはそれなりにいたけど、好きな曲を聞かれてわざわざこの曲を挙げる人はいなかった。
 Bは言った。
「覚えてないの? この曲、お前が教えてくれたんだぜ。」
「そうだったっけ?」
 俺は記憶を辿ってみたが、思い出せなかった。彼によれば、俺が彼の家にギターを弾きに行くようになった時期に、彼とよく音楽の話をしていたようだ。その時に、俺が好きな曲として『雨のち晴れ』を彼に教えたと。
 しかし、俺が驚いたのは、自分でさえ覚えていない過去において俺が誰かにしていたことよりも、そのことによって、彼が何年間もその曲を気に入って聴き続けていたことだ。
「本当に、良い曲だよな」
 そう呟くBの目の前で、フロントガラスを濡らす雨粒がワイパーに薙ぎ払われて、それと同時に踏み切りが開いた。
「いい曲だろ、やっぱり」

 
 俺が地元を離れている間に、あの子は結婚していたし、あの人は親になっていて、何人かは地元を離れ変える見込みがなくなっていて、あいつは死んだ。
 表面的には時間がゆっくり流れるように見えても、俺が18歳まで過ごした場所は、実際には洪水のような激しい流れに搔っ攫われていた。
 だからと言って不思議とセンチメンタルな気分にならないのは、青春時代を過ごす最中にありながらも、そのフィクションの脆弱さに、何となく気付いていたからかもしれない。
 学生として地元で過ごしていた頃、俺は地元があまり好きじゃなかった。常に誰かに慮ってものを言うくせに、悪趣味な好奇心に満ちた大人や同級生たちにうんざりしていたし、交通機関の使えなさにも嫌気が差していた。狭い所属に居心地の悪さを感じている人の受け皿も、非効率を理由に排除されるような硬直性にも。
 こうした理由から、10代の俺は地元にできるだけ愛着を持たないようにして育った。いずれ自分とは無関係になると思っていたこの土地に対して、どうやってセンチメンタルになれというのか。
 でも、そんな俺が教えた歌を、今でもあの時と同じ場所で聴いているやつがいた。自分が教えたことや与えたものというのは、案外覚えていないものなのかもしれない。


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