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69歳、私はこうして困難を乗り越えてきました。

みなさま、こんにちは!
69歳YouTuberの良子です。

ビックリするようなことが起きています!

noteから私のYouTubeチャンネルへのアクセスが増えているんです。♡やコメントを、ありがとうございました。

♡♡♡

本日は、「落ち込んだときの気持ちの切り替えかた」についてお話ししたいと思います。

69年生きてきて、落ち込むことが幾度もありました。1番落ち込んだのは18年前でしょうか……。夫の事業が倒産し、借金を抱えたときです。

夫婦で住み慣れた秋田市を離れ、福島へ出稼ぎへ行った当時、私は54歳、夫は57歳でした。

2人で狭い1Kのアパートに住み、イチから生活を始めました。冷蔵庫も、洗濯機も、テレビもありません。炊飯器は、母が使っていた形見の炊飯器があって、それを持っていきました。

人って、最低限のモノだけで生活できるんですね。なんにもない、がらんどうの空間でしたが、夫婦2人だけの結婚生活は新婚みたいで楽しくもありました。

世間的に見れば、不幸な渦中に居るはずなのに、幸いにも「幸せ」を感じることが多々ありました。夜7時半のスーパーへ行き、半額シールのお惣菜を買って食べた思い出。お給料日には、夫婦で中華丼を食べた思い出。福島では、新しくお友達もできて、今でも連絡を取り合っています。

福島で2年ほど働いたころでしょうか。借金もだいぶ返し、秋田市に戻れることになりました。

長男が、

「お父さん、お母さん、そろそろ帰ってきたら」

「もう、いいよ。じゅうぶんにがんばったよ」

そう言ってくれたのです。長男がそう言ってくれなければ、私たちは決して帰ることができませんでした。もう少しがんばるつもりでいたのです。2011年、2月のことでした。私たち夫婦は営業で海岸沿いを車で走っていましたので、長男は命の恩人でもあります。ちょうど、福島へ連れてきた母の形見の炊飯器が壊れたときでもありました。亡くなった母に、「秋田市へ帰りなさい」そう言われている気がしたのです。

私たち夫婦は、福島での出稼ぎを終えて、秋田市に戻ってきました。それからずっと長男夫婦、次男や孫たちに囲まれた暮らしています。

「不幸」って、なんなのでしょう。夫の事業が倒産したこと、借金を抱えたことは紛れもなく「不幸」な出来事です。だけど、あの夫婦で暮らした福島での日々は本当に「不幸」だったのでしょうか。

福島へ行ったからこそ、夫婦2人だけの時間を過ごすことができました。福島へ行ったからこそ、出会えたお友達もいます。

YouTubeだって、きっとしていなかったでしょう。YouTubeを始めていなければ、noteも始めていません。

『ガス止まって18年』の動画を出したとき、コメントが来たんです。同じようにカセットコンロ生活をされている方、シングルマザーで同じような経験をされた方、両親が宗教にはまって苦しんだ方、生活が苦しく、おにぎりが食べられない人もいました。コメントを読んでいると、優しい人が多く、暗くなり過ぎないように気をつけてコメントを書いてくださる方が多かったです。優しい人ばかりでした。

辛くて、辛くて、しんどいときが人生にはあります。どの人にもあります。私にもありました。でもね、18年前、不幸の真っ只中に居たわたしね、今は幸せなんですよ。しんどいときはあるけれど、それってずっと続くとは限らないじゃない? それにね、「不幸」の渦中にいるときにも「幸せ」はありました。わたしの中には、いつも「幸せ」があったんです。

でも、やっぱり辛いですよね。渦中にいるときは、なんにも見えなくなります。暗やみにいるような、「なんでわたしだけ」そんなことも思ったりもします。「なんで……」と考えそうになったら、「どうしたらいいだろう」「どうやったら好転するかな」そう思考が流れるようにしてきました。「なんで……」だと、どうしても責め思考になってしまいますからね。

言葉とは無力なものです。言葉を紡いだからと言って、お腹が膨れるわけではありません。それでも、私は言葉に助けられました。69歳になって、こんなにも他者から認められ、励まされ、優しい言葉をかけられる日々を18年前は想像もしていませんでした。今日は、YouTubeのコメント覧を思い返しながら、noteを書きました。

あなたの今日が幸せであることを願って。



69歳YouTuber 良子

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