エッセイ「裏通りの小さな画廊」
神保町交差点から入った裏通りのビルの一階に、小さな画廊がある。
私はそこの画廊から、何枚かの絵画を手に入れた。有り余るほどのお金を持ち合わせているわけではない身分の私としては、安い絵画を求める。その画廊の社長は、貴方はうちの店のごみを処分してくれていると、酷いことを仰る。安く求めた絵画が掘り出し物であるわけがない。
仕事の合間にふらりと寄ってみる。十坪ほどの室内は、絵画が入った箱が所狭しと立てかけてある。棚はあるが、それに入りきらない絵画が、立てかけてあるのだ。真ん中の通路を通るのがやっとだ。そして、部屋の奥にある立派な椅子にたどり着く。そこに座って、奥の部屋から出てくるその社長と他愛もない話をする。私は絵画に興味があるが、その画廊に立ち寄る理由はそればかりではない。
その画廊の社長は、一人でその画廊を切り盛りしている。社長の物腰は至って温和である。年齢は昭和二十二年生まれだそうだ。住まいは埼玉県、ほとんど毎日通いである。
一日中シャッターが下りている日もある。市場に行っているか、ほかの用事で出払っているのだ。夕方から銭湯に出かけることもある。都心に近いこのあたりにも銭湯があるようだ。夜、自宅に帰る前に、神保町のスズラン通りの飲み屋で一杯ひっかけて帰るようだ。そのお店の名前を「兵六(ひょうろく)」という。結構有名な店らしい。
社長の着ている衣服は、いつも同じだ。世間ではお金持ちに限って私は裕福ですといった姿かたちではない。その温和な社長もそうなのかもしれない。
ある日、画廊を覗くと、若い男性が絵画の写真を撮っていた。その男性は社長の子息とのこと。撮った写真をネットオークションに載せている。その写真を撮っていたのだ。見た感じ社長に似て温和な物静かな性格なようだ。まだ独身とのこと。その社長曰く、なかなか結婚する気がないらしい。子息は絵を描き、音楽もやっているらしい。どうりで普通のサラリーマンらしくない。
その社長は若い時分、銀座のある画廊で修業を積んだらしい。いまでこそひっそりと、神保町界隈で一杯引っ掛けているが、当時は銀座界隈で飲んでいたらしい。
先日、スズラン通りのビルの地下の伯剌西爾という喫茶店に私を誘ってくれた。濃い目の味だが、炉端風でそれを囲って珈琲を飲む。雰囲気がいい。時々谷村新司が来ていた。彼の曲「昴」はいい曲だ。他にもヒット曲が多い。残念ではあるが先日お亡くなりになった。謹んでお悔やみ申し上げます。
その社長は、画商の片鱗を私に見せるときがある。絵画を売るときや絵画を鑑定するときの眼は、獲物を捕まえたら、離さない眼なのだ。絵画を売るについては、買う相手に対して金額提示をしないのが鉄則らしい。他にも様々な鉄則というものがあるようだが、あえて私には話してはくれない。
最近その画廊から一枚のペン画を買った。裸婦の絵だ。ペンのタッチが素晴らしい。物故者で、以前は東京板橋区前野町で画廊を持っていた方「古沢岩美」の作らしい。
昔、根津神社の近くの団子坂に画廊があった、戦争に行って片足を亡くした方が経営していた。その方の名前を森と言ったと思う。私はその画廊からカンジンスキーのコンポジションという一枚の絵(リトグラフ?)を求めた。他にも何枚か違った絵を買った記憶がある。偶然にも、その根津の画廊の森さんをその社長が知っていたのである。当時、古老の域を超えていたので、もうすでにお亡くなりになっているだろう。
神保町界隈には、その小さな画廊も含め多くの粋なお店が多い。私は神保町が好きだ。
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