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熊雄(連載①)

小説「熊雄」を連載させていただきます。15回ほどに亘って綴ってまいります。
前回の連載小説「しぶとく生きていますか?」と同じく、北海道の襟裳岬が舞台です。
生まれ落ちた子が、途方もない能力を持っていたとの奇想天外の物語です。
本作品の時代設定上、現代にそぐわない表現がある場合は、その内容を考慮し、ご了承ください。

 
 彼はもちろん人間である。
 彼の名前を熊雄くまおという。
 しかし、彼は生まれ落ちたときから普通の赤子ではなかった。
 熊雄は昭和二十七年十月、北海道の太平洋に面したある岬の五軒ほどしか無い小さな集落で生まれた。その岬の周りの海はゼニガタアザラシの生息地であり、昆布の採れる漁場であった。
 彼が生まれる時、大層な難産であった。生まれ落ちた赤子を見た産婆が、驚きのあまり大声を発したほどだった。
 赤子の父親の名前を達雄と云う。
 達雄は熊雄が生まれる前、落ち着きがなかった。初めての子である。ソワソワと落ち着きがないのもうなずけた。

 昨夜から風雨がひどく、海岸線の国道から高台の小さな掘立小屋は、今にも吹き飛ばされそうにギイギイとうなりながらも、何とか踏ん張っていた。
 外では気味が悪いほどヒューヒューと風雨が激しくなっていた。
 掘立小屋の中では、昨夜遅くに達雄が妻のヨシの産気づくのを潮に、隣村の産婆を迎えに行き、詰めていた。
 夜も白々と明け始めた朝の五時前であろうか。ヨシは生む苦しみの真っただ中であった。
「あともう少しだ。達雄さんよ、湯を沸かしてけれ」
 達雄はストーブに薪木たきぎを入れ、鍋に一杯水を汲みストーブにかけた。そして外の昆布小屋から大きなタライを運び入れ、布団の傍に置いた。
「達雄! 何ソワソワしているんだ! ヨシさんの傍で声を掛けてやれ!」
 産婆は、もうすぐ生まれてくる赤子が小さな頭を出し始めたところで、苛立ちながら達雄をにらんだ。

 明け方の外では、相変わらずゴーゴー・ヒューヒューと風と雨が荒れ狂っている。ヨシは陣痛の中で、一瞬生まれ出る赤子に、不吉な予感がよぎったが、首を横に振りそれを打ち消そうとした。
(五体満足であるように)
 ヨシは痛みの中でも祈っていた。初産である。達雄は妻と同じ痛みの中でヨシの手を握り、必死に耐えていた。
「オギャー・オギャー」やっと生まれた。
 産婆は出てきた赤子の姿を取り上げると同時に「ワァ!」 と大声をあげ、息を飲んだ。
 ヨシは自分の不吉な予感が的中したのかと不安げに二人の顔を交互に見た。達雄は呆気に取られ声も発することが出来なかった。男の子だった。五体満足で生まれ落ちた。ただ、違った。

 家の外では、嵐が怒り狂っていた。産婆は、恐る恐るその赤子を湯船で洗った。
 ヨシは、難産で生まれた赤子の事を気にしつつ疲れがピークを通り越してぐったりと横たわっていた。タオルに包まれた赤子を、産婆はヨシの枕元に横たえた。ヨシは薄目を開け我が子を見た。全身長さ一センチほどの真っ黒な毛で覆われていた。熊の子供のような姿なのだ。
「ヨシ良かったな。大丈夫だ。そのうち毛が抜け落ちるんでないかい」
 産婆は今まで多くの赤子を取り上げたが、このような赤子は初めてだった。が、さも過去に同じ赤子を取り上げたことがあったかのように話すのであった。なおも達雄は呆然としていた。初めて生まれた子が子熊のような姿なのだ。
 産婆は、達雄とヨシに赤子の世話の仕方やら、ヨシの体の事をこまごまと教えた。特に産後一カ月は無理する事の無いよう注意をするのだった。赤子をじっと眺めていた達雄に産婆は、
「達雄さんよ、俺の話をちゃんと聞くんだ。お前たちの大事なことだからな」
 達雄も首を縦に振り、産婆の話を聞いた。
 産婆が帰った後、夫婦は無言だった。二人とも何か複雑な涙を流した。赤子の泣き声だけがその掘立小屋に響いていた。
 初めての出産で自分たちに男の子が授かったのに、喜びの表情を見出せない二人だった。これは、達雄の先祖が代々マタギで、多くの熊を捕獲したそのたたりではないかと考えてしまったが、二人は大きく首を横に振り、打ち消そうとした。
「父さん、そったらことは、考えないようにするべ」
「そうだな、せっかく生まれてきてくれた我が子だもの。大事に育てっぺよ」二人は、そのような会話をして、熊雄を育てようと決めた。

 いつもは達雄と一緒に昆布拾いをしていたヨシは、産婆の忠告を守り、二週間ほどは家で赤子の面倒を見ながら過ごした。しかし、一カ月も家にこもっていることは許されなかった。産後三週間目から達雄と一緒に仕事に出たのである。冷たい海水は産後のヨシの体に良くなかった。しかし、岩場に流れ着いた昆布を必死に拾った。生計を少しでも助けるためだった。


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