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生贄の子赤

 自分は、この世のことは一切捨て去り、死んでやろうと思った。

 それを思い留めたのは、一匹のアロワナであった。
 アロワナの優美な姿に、自分は魅了された。
 アロワナを飼育するにあたって、買った店から、自然環境研究センター発行の登録票を渡され、失くさないようにと、言われた。

 熱帯魚のアロワナに、金魚の稚魚(小赤)を与えると、パクパクと目にも止まらぬ速さで食べてしまう。
 小赤の命のはかなさを哀れんで、餌として与えることに、ある種の罪悪感を覚えた。
 小赤を与えると、アロワナの色艶が見事に耀くのである。
 稚魚は言わば生贄いけにえであり、戦争で犠牲になった多くの子供達と重なってしまう。そんなに命は軽いものなのか。
 重い命を軽くしているのは、間違った思想道徳ではあるまいか。
 生きとし生けるものの命は地球よりも重いと先人が言った。
 ということは自分の命も重いはずである。そのような考えにいき着いたとき、死んでやろうという妄想を捨て去った。

 どうして死んでやろうという馬鹿な考えが、よぎってしまったのか。
 冷静になって考えると、その時は自暴自棄にでもなったのであろう。

 まさにその通りだった。
 交際していた彼女には捨てられ、それまで勤めていた会社もクビになり、おまけに交通事故にあい、二ケ月ほど入院してしまった。
 退院したと思ったら、別れた彼女の借金を肩代わりされ、飼っていた猫が突然死んだ。
 自分を取巻く全ての環境が、すっかり悪魔の手中で踊らされてしまったようだ。

 頭を抱えても、胸を掻きむしってもどうにもならなかった。
 万事休すとは、このことである。
 それで死んでやろうと思い立ったのである。

 だが、アロワナに食べられる小赤を見て、思いとどまると同時に、死んでやろうという勇気が無いことに気付いた。
 そこに、死ぬことも出来ない情けない自分自身の姿があった。
 出るのはため息ばかりであった。

 彼女とは、三年ほど前、あるイベントで知り合った。
 美人系ではあるが、華やいだ存在ではなかった。ただ、そういう彼女に引かれていった。
 あのときはあまり話も出来なかったが、半年ほどして渋谷の宮益坂でばったり出合った。
 自分から声を掛けた。それから二人の交際が始まった。
 彼女は地味な生き方をする人間だった。そして真面目だった。
 二人で会っていても、これといった話題も無く、当初は、お互い下を向いて、指の爪を眺めているだけだった。

 その後、会う機会が増してきて、心がうち解けて、ぼそぼそ話すようになった。しかし、二人とも話題に乏しかった。
 言葉数は少ないが、心で判りあえるようになっていった。

 交際を重ね一年後、練馬の安アパートの二階の一部屋を借り、二人で住むようになった。暖かい満ち足りた気持ちであった。
 少なくとも自分はそう思っていた。
 その後、二年程、一緒に過ごした。
 
 ある日突然彼女から、「別れよう」と言い出した。わたしはただ頷いただけだった。
 そして別れる理由を聞いた。答えは「貴方といてもつまらない」だった。
 彼女と別れた。
 残ったのはアロワナと猫と自分だけ。辛かった。寂しかった。やるせなかった。
 会社には真面目に毎日行った。
 ビルの管理会社だった。

 ある年配の男性社員が、社長に自分が仕事をサボっていることや(実際は真面目に働いていたが)、他人に嫌がらせをしていると、あること無いこと陰口をしていたのである。突然社長から呼び止められ、
「明日から来なくいい」と言われてしまった。
 そして会社をクビになった。

 失業保険を貰いながら生活していたある日、外に出かけた折、バイクに引っ掛けられて転倒してしまった。
 頭を強く打ち、右の足首を骨折、救急車で病院に運ばれ、そのまま二ヶ月あまり入院した。
 猫の世話はアパートの大家がしてくれた。
 そのアパートは動物を飼育することは禁止だったが、自分だけは大目に見てくれていた。
 猫の他に、九十センチメートルの長さのアロワナの世話も、大家さんがしてくれた。有難かった。

 退院して、やっと落ち着いたと思ったら、別れた彼女から連絡があり、借金の肩代わりをしてほしいと言ってきた。
 五十万円だった。いままでこつこつ貯めてきた金であったが、止むを得なかった。
 自分はどこまで、人が良いのだ! 
 自分自身に、怒りを通り越して呆れはてた。

 ある日、飼っていた猫の様子がおかしいことに気付いた。
 近くの動物専門のクリニックに連れて行ったが、獣医師からあと一ヶ月持つかどうかと言われた。ガンであった。
 まだ十歳だった。

 アパートの部屋には、自分とアロワナだけが取り残された。
 苦しいことだらけで、生きるのが苦しくなった。
 自分の部屋で、アロワナに金魚の稚魚(子赤)を餌として与えていたとき、ふとその稚魚が、素早くアロワナの口の中に、吸い込まれていく様子を眺めながら、命の大切さを思った。

 自分はもう一重深く思索しようと思った。
 この世の様々な考え方や、人類の歴史・思想を、自分の頭の中で組み立てては崩し、また整理していった。
 いままでの弱い自分の生命力が、少し強くなった気がした。

 終日、アパートの部屋に居ても、家賃が払えないので仕事を探した。
 世の中景気が悪く、働き口は直ぐには見つからなかった。

 部屋でアロワナを見つめながら、ため息をつく毎日の、繰り返しであった。
 そういう状況の中でも、生きようという気持ちは失いたくなかった。というか、命を絶つことが怖かったといったほうが本音であった。

 なかなか仕事が見つからなかった。近くのコンビニでのアルバイトをしながら食いつないだ。

 ある日、有楽町に出たついでに、宝くじを十枚バラで買った。一枚三百円で三千円支払った。
 夢を買った。
 心の中ではどうせ当らないだろうという気持ちのほうが優先していた。当選発表は次週の火曜日であった。買った宝くじ券を財布に仕舞いこんだ。
 次の週の水曜日、近くの公園で、新聞がベンチに置いてあり、しめたと思いその朝刊に掲載されている宝くじの当選番号を見た。
 財布に仕舞ってある黄色の袋の中から、十枚を取り出し照合した。
 その中の一枚が当っていた。

 嘘だろうと思い、何回も照合した。
 確かに、組み番号も数字もまったく同じであった。
 当っちゃった! どうしよう。心臓が高鳴った。

 当った金額が千円とか十万円ではなかった。一億円。
 思わず周りを見回した。眼に飛び込んできた景色が、明るく弾んでいた。
 深呼吸を三回した。
 換金はまだ先なので、その当り券を切り取った新聞記事と一緒に大事に財布に仕舞いこんだ。落としたら大変である。
 自分は、いまの心理を分析した。
 突然大金を得た場合、自分の気持ちが、いやに保守的になってしまうものだと冷静に分析する自分がいることが判った。そして、早くアパートに帰ろうという気持ちも非常に強くなっていた。
 当ったのだ。
 それも一億円も当ったのだ。生きていて良かった。とその時思った。いままでのいやなことが、全てリセットできたような気持ちになった。 

 世の中、お金である。お金があれば、どんなこともできる。そう自分は思っていた。
 さあ!一億円を何に使おうか。いくら貯金をしようか。
 先ず、欲しい物のリストを作ろうと考えた。そしてもう一度、深呼吸をした。

 宝くじに当り、それから大きく人生が狂い始め、終には自ら命を落とした人もいると聞く。
 一般人が大金を持ったとき、注意しなければならないことは山ほどある。
 その大金に、自分の仕草が付いていけないのである。
 たかが一億円ではないかと吐き捨ててしまうのだが、実際そうはならないし、出来ないもののようであるらしい。

 アパートの部屋に戻り、早速一億円の使い道を思案した。欲しいもののリストを作成した。
 リストを作成した後、心身ともに非常に疲れが襲った。
 畳の上で横になった。いつの間にか夕方まで、ぐっすり寝てしまった。
 もう直ぐコンビニのアルバイトに行く時間である。頭も気持ちもスッキリしていた。
 コンビニで忙しく働いていても、いつもの自分ではなく、生き生きしているのである。
 当然、周りの人にも自分の変化が判ったようである。
「どうしたの」と聞かれた。自分はにっこりしただけ。
 翌朝、仕事が終わりアパートに戻り、横になった。昼過ぎまでぐっすり眠った。目覚めが爽やかだ。当り券は部屋の大切な場所に隠している。それを出して、また当り券を眺めた。

 使い道は沢山あった。
 家と自家用車、山の中の別荘、半分は貯蓄に回そう。
 百万円で株を買おう。郷里の親に小遣いをやろう。

 ... …

 とうとう換金の日が来た。昼過ぎに銀行へ行った。当り券を窓口に差し出した。
 すると、なんと言うことだ。
 店員の女性が「残念でした」というではないか。
 思わず「当っていませんか? それも一億円!」
 「はい残念ながらはずれでした」というではないか。
 「おかしい! 新聞で確認したのですが」と大きな声で言った。
 奥にいた男性行員が私の側に来て「ちょっといいですか」とその宝くじ券を眺めた。そして、
 「ああ.…これは先週の当りくじ券と同じ組と番号ですね。残念でした。非常に珍しい!」というではないか。
 自分は目の前が真っ白になった。

 アパートの部屋に戻り、深くため息をついた。がっかりである。
 当ったと思ったら一週間前の当りくじ番号であった。
 ということは、あの新聞は一週間前の新聞だったということになる。
 よく確かめもせず、当ったと喚起雀躍、この一週間はいい夢を見させてもらった。しかし、何かホッとした自分がそこにはあった。
 清々しい気持ちになった。
 こつこつ働いて、汗を流して仕事をし、そして戴くお金の有難さをしみじみ思った。

 一億円の夢が破れた自分は、今までの日常に心身ともに戻った。やはり一億円当り!は夢であったのだ。

 何回も想い描いては、その都度、苦笑いした。

 いつまでもコンビニでのアルバイトでも如何なものかとまた、正社員の口を捜し歩いた。
 ハローワークに通い詰めた。好条件のところは希望者が多く、なかなか思うような仕事先は見つからなかった。そうこうして時ばかりが過ぎていったのである。

… …

 ある日、アパートに見知らぬ年配の男が自分を尋ねてきた。
 恰幅の良い六十歳に手が届くかどうかの年恰好であった。
 その年配の男は概略、次のような話をしたのである。

「私があなたを尋ねてきたのは、あなたにお伝えしたいことがあるからです。そのお伝えしたいこととは、あなたの出生に関わることなのです。
 実は、あなたは当会社の社長と、ある女性の間に生まれた子供でした。
 その社長は事情があり、今のあなたの両親にお願いして、あなたを育ててもらったのです。
 今回私があなたに会って事の顛末をお話しすることは、あなたの育ての両親の了解を事前に取っております。
 いまさらどうしてあなたのもとを尋ねたかと申しますと、その社長に私は依頼を受けたからです。
 申し遅れましたが私はその会社の顧問弁護士をしております友成と申します。
 社長は既にご高齢となられ、血の繋がったあなたに次期社長になって欲しいとあなたを探していたのです。
 つまり、あなたのほかに子供がいないのです。
 あなたが今の社長の後を継いで頂く事が会社にとって、ベストの選択なのです。
 どうか熟考頂き、次週またお伺い致しますので、それまでにお考えを纏めておいて下さい。
 良いご返事を期待しております」

 その顧問弁護士は、そう言って、名刺とその会社案内と社長の手紙と菓子折りを置いて去っていった。

 自分は、またしてもビックリするやら驚くやら。
 宝くじの余韻がまだ残っていたので、気持ちを整理するのに、多少時間が掛った。
 江戸時代のお殿様の隠し子を思い出した。このような時代遅れのことがあっていいものか、驚いた。
 田舎の両親に早速確認しよう。
 夕方、電話をしてみた。自分からの電話を待っていたようだった。電話口では、明日帰るとしか言わなかった。

 次の日、列車に乗り田舎へ急いだ。
 夕方実家についた。両親はそわそわしていた。

 夜、話し合いが始まった。
 両親は涙をこぼしながら、自分の出生のことを話してくれた。
 ショックだった。
 どうして今の今まで本当のことを話してくれなかったのか、二人を責めた。責めてもどうしようもないのは重々判っていた。
 母親は自分を貰い受けたときの事を事細かに話した。
 父親は言葉少なく頷いていた。
 両親に苦労をかけた。自分はしみじみと泣いた。

 一泊してアパートに戻った。その四日後、またあの顧問弁護士の友成氏が、わたしを尋ねてきた。
 自分は社長の器ではないし、この話はお断りすると返事をした。友成弁護士は残念そうに帰って行った。

 その二日後、友成弁護士と、その社長がアパートに尋ねてきた。
 その社長は日本では有数な製紙会社の社長だった。
 自分がその社長の息子であるとの現実を、受け入れることは到底できることではなかった。
 きっぱりお断りした。
 その日はお帰り願ったが、また次の日もその次の日も社長と顧問弁護士がアパートに来たのである。
 田舎の両親も、わざわざ出てきた。
 自分の心は揺れた。揺れに揺れた。
 もし、あの宝くじに当っていたら、どういう態度を示したのだろうか。想像してみた。
 断っていただろう。
 一度死ぬことを考えた自分であるから、社長を受けてみるか。
 よし!やってみるか!そう決断したのである。
 今度こそ、今までと同じてつを踏まないように、自分に言い聞かせた。

 次期社長を受けてからというもの、自分の周りが、変化の連続であった。
 気持ちの持ち様が、地に足を付けた毎日をと、心掛けた。
 そうしなければアロワナに食べられた小赤のように、自分が一瞬のうちにアロワナの大きな口に、吸い込まれてしまう気がしたのである。
 今までとは違い、毎日が目の回るような多忙な日が続いた。

 経営者としての教育も受けた。高校を卒業していた私はある私立大学の経営学部に入学し、四年間勉強した。

 大学を卒業後、実父のコネで、ある会社に入社し、経営の実践を学んだ。
 徐々にそれらの生活に慣れてきた。しかし時には、ダメ人間時代を懐かしく思うことがあった。
 そういう時は、自分の態度に気づいた社長(実父)が時間を割いて、話を聞いてくれ、様々なアドバイスをしてくれた。

 社長、いやおやじが、自分を鍛える気持ちは分かる。
 従業員二万人以上の会社のトップに座るためには、常に緊張を強いられ、経営を間違ってはいけない。そのプレッシャーに耐えられるだろうかと思ったりもした。

 そのうち落ち着いたと思ったら、周りで自分の結婚のことで、バタバタしだした。
 社会的にも所帯を持ち、家庭を作ることで、一人前の人間として、世間から見られることが大事だと言われた。

 若い時分にはお互いの愛情を暖めあって、一緒になることを夢見る訳だが、ある程度の年齢に到達すると容姿、性格、品格が割合を占め、お互い妥協して一緒になるケースもあると聞く。
 物事、人それぞれ顔形が違うように、結婚までの流れも様々であるから、こうなるのが一番良いのだとは、言い切れないと思うのである。

 結局、自分は、社長就任後、所帯をもった。
 家庭を大事にし、会社を発展させ、充実した人生を歩むことにした。

 小赤が鯉に化けてしまったようだ。
 勿論、大きな水槽に、小赤喰いのアロワナも同居することとした。

 自分はもう、こいつに喰われることはないだろうと思った。

                            了

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