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襟裳の風#10

 黄金道路は襟裳岬に向かって迫り出した日高山脈の断崖絶壁にできた道路です。
 この道路ができる前は陸の孤島と云われ、当時の人々は海岸線を歩いていました。
 昭和二年に工事に着手し開通したのは昭和九年十一月だったそうです。
 当時で約九十五万円投入、現在の貨幣価値に直すと約六十億円になるようです。
 莫大な費用を掛けたこの道路は、襟裳岬から帯広方面に向かう国道336号線のえりも町庶野から広尾までの約三十三キロメートルの区間で黄金道路と呼びます。
 
 海岸まで山が迫出す黄金道路の側で育った私は、自然の怖さ、恐ろしさ、神秘さ、雄大さなど、様々な表情を見せる襟裳の自然の奥深い姿を、肌で感じていたような気がします。
 
 私が小学校入学の前だったでしょうか。
 ある日、私は姉と二人で、近くの岩場に出かけました。
 岩の窪みに海水が溜まっていて、その中に弱り果てた子アザラシが入っていました。
 私は近くにあった手頃な流木で、アザラシを殴り出しました。
 姉は「可愛そうだからやめなさい!」と何度も言いましたが、私は夢中で子アザラシを打ちすえました。そして、とうとうそのアザラシは動かなくなってしまいました。
 打たれながらもその子アザラシが、私を見ていた悲苦しい目が、今でも記憶に残っています。
『自分はどうしていたいけなアザラシの子を打ち据えて殺してしまったのか』いまでも慙愧の念に襲われます。
『おまえは、残虐な男だ。取り返しのつかないことをしてしまった。生来そのような残虐性を併せ持って生まれてきたのか』
 いや違う。当時は食べ物も事欠く貧しい生活でした。
 そのアザラシが生活の足しになると思い、必死で捕獲したのです。
 死んだアザラシを家まで引きずって行きました。姉は悲しい目を私に向け、無言で一緒に帰りました。
 母に「アザラシを捕ってきた!」と自慢げに言いました。
 母の口から出た言葉は、
「このアザラシは食べられない。捨ててきなさい」と、そして、こう言いました。
「無暗に、生き物に傷をつけたり、殺してはならないよ。みんな、命があるんだから」
 その時、私は初めて、命のあるものの尊さを微かに感じました。
 落ち込みながらも、すぐ側の海岸に捨てに行きました。
 当時の私には、生き物の命の大切さというものが、芽生えていませんでした。
 一頭のかけがえのない、子アザラシの命と引き換えに、それを学んだのでした。
 

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