見出し画像

【連載】 還らざるOB(9)

 ほどなく、彼らが乗る予定の飛行機が墜落した。との報道がテレビ画面のテロップで流れたが、台北北警察署に拘留された四名は知る由もなかったのである。
 台北桃園空港内は大騒ぎとなり、非常な混乱状態に陥っていた。
 台北北警察署では、墜落した飛行機の搭乗者名簿を航空会社から入手し、調べた。その結果彼ら四名が、事故機に搭乗していないことが判明したのであった。そして、留置所に留置されている四名を確認し、航空会社に通報した。
 ところが、その通報を受けた航空会社の職員が、何を間違ったのか、社内で共有せず、そのまま四名は、行方不明者リストに掲載されたままとなったのだった。
 不手際は重なるもので、留置所でも、留置している四名が事故機に搭乗していなかった旨を、所長が担当警察官に報せることを怠ったのであった。つまり、四名にも伝わっていなかったことになる。
 
 彼ら四名は俗世間から隔離された留置場で数か月を過ごすことになった。台湾の法律では、傷害罪は刑法第二百七十七条で三年以下の懲役か罰金となっているが、彼らには支払うお金もなく留置され、その後、起訴裁判となり、相手グループの証言でどうにか釈放となったのであった。
 
 その後、四名が無事釈放されたのが、飛行機事故のあった日から既に五か月が経っていた。台北の刑務所のなかで、悲惨な飛行機事故のことは知っていたが、まさか自分らが乗るべきだった飛行機とはつゆ知らず、また、日本の関係者が喪に服していたとは、知るはずがなかった。
 
 釈放されて初めて、搭乗するはずだった飛行機が、台風の影響で墜落し、四名全員死亡との報道を知るのであった。
 
 生き残った四名は、台北から日本の各家族と連絡を取った。四名の家族は、すでに死んだはずの人から着信があったものだから、一瞬嘘でしょうと思った。着信に出ない家族もいたのであった。事情を聞き、その場で泣き崩れてしまう家族もいた。その後、彼らは複雑な心中を抱え日本に帰還した。
 
日本中が彼ら四名の帰還を報道した。彼ら四名は心身ともに疲れ果てた。世間は彼らに対して容赦のない批判を浴びせた。無事帰還はいいとしても、どうして彼らだけ生きておめおめと還ってきたのかという報道がほとんどだった。
彼らは閉口し、狼狽した。彼らだけではなく彼らの家族も世間の批判に苦しんだのであった。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?