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わ、明日から、葛西りま、イジメる! と宣言しイジメ殺した女 工藤千江梨

津軽の言葉では

一人称「私は」


「わ」の一文字で足ります。

津軽の人間の有名人としては
青森市の板画家
棟方志功が若き頃に
「わ だば ゴッホになる!」
=「俺はゴッホになる」

と宣言して
そのあと大成した話が
有名ですが

青森市 浪岡 野沢の人殺し
工藤千江梨
黒石商業高校は

「わ 明日から 葛西りま、イジメる!」

と公衆の面前で
宣言したことが、とても印象的です。

このエピソードについては
大きく3つの
重大な事実をあげることが
できます。

第一に
公衆の面前で
「私は 明日から 葛西りま
をイジメるわ!」

といった内容を
宣言したときに
親も同席していた、という点です。
常識的に考えても
これはかなり異常な話なのですが
もっと異常なのは

同席していた親御さんが
それをたしなめないどころか
それを「よくぞ言った!」ぐらいの
勢いで褒めたたえていた、
という点です。

つまり、中学一年の
年端もいかないガキ、我が子に
イジメ殺すように
けしかけていたのは
ほかならぬ
工藤千江梨の親だ、という点です。
工藤千江梨の親たちは
自分の手を汚さず
自分らの娘を実行犯にして
他人を自殺に追い込むことを

娯楽として
楽しんでいました。

後に
このイジメ自殺事件の
調査をしていて
わかったのですが

工藤千江梨および
その姉は
それまでも浪岡では
数多くの子をイジメ倒していました。

祖父が地元でも有名な共産党員
ということで
地元民もなかなか
口を出しづらかった背景も
あるそうです。

このイジメ自殺事件以外にも
工藤千江梨や
工藤千江梨の姉にイジメられて

登校拒否になったり
引きこもりになったり
自傷行為を繰り返すようになったり
する、イジメ被害者たちが
複数名存在します。

第二に
野沢の人殺し
日本共産党の家
工藤千江梨が

「わ、明日から 葛西りま イジメる!」

と、公衆の面前で宣言したときに
いあわせた大人たちからは
「たわけたことを言うもんじゃない!」

と、たしなめる人が
一人もいなかった
という点です。

野沢の人殺し一家
日本共産党の
工藤千江梨の一家に対して
「たわけたことを言うもんじゃない」


窘める人間が
一人もいなかった、というのは
当時、浪岡には
すでに自浄能力が失われていた
ということを
如実にあらわしている事実です。

いちおう、人口2万人の街、ナミオカ
2万人いて、
誰もそれを止められなかった。

怪訝な顔をするか
忌々しい顔をして
あれはいかがなものか、とは
思っても
誰もが口をつぐむしかなかった

という背景事情は
やはり異常です。

第三に
野沢の人殺し
日本共産党員の家
工藤千江梨が

「わ、明日から 葛西りま イジメる!」


公衆の面前で宣言したのは
2015年8月29日であった

という点です。

人口2万人の街、浪岡町
(現在は青森市と合併し青森市浪岡)
において

2万人規模の街から
死刑囚が出る、というのは
かなりショッキングな話でして

当時、弘前市にあった
消費者金融の武富士に
ガソリンをまき
5人を焼死させ

死刑判決を受けたのが
当時、浪岡中学校のすぐそばに
住んでた
小林光弘死刑囚ですね。

以前の記事でも書きましたが

浪岡駅の近く
鹿内電器の前で
わき見をしてあるいて
私に、ぶつかってきた酔っぱらいが

のちの小林光弘死刑囚です。

「オラは悪ぐね(笑)」
と、当時、笑って
逆ギレして去っていきましたが

死刑の執行日当日
「オラは悪ぐね」と泣き叫び
クソ小便をもらしながら
両腕つかまれ
ひきすられて
死刑は執行されたそうです。

武富士の放火殺人事件
浪岡の死刑囚
小林光弘死刑囚の

死刑が執行されたのは

2014年8月29日です。

それからちょうど、一年がたつ

2015年8月29日に

浪岡の野沢の人殺し
工藤千江梨は
「わ、明日から、葛西りま イジメる!」

公衆の面前で宣言しました。
単なる偶然にしては
奇怪ですよね。

工藤千江梨が
イジメることを宣言してから
ほぼほぼ一年後の

2016年8月25日

イジメターゲットの
葛西りま

電車に飛び込んで
自殺しました。

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