金魚鉢

ぽってりとした丸にやわらかい波。目に入れる度、どうにも私の心を惹くガラスのフリル。



それはビルがひしめく街の郊外にあたる場所。たまに公園と、あちこちに少しずつある緑と、アパート群。私が住んでいるのはそのうちのある部屋、10階建の4階だ。決して広くはないけど一人で住むには十分な部屋、しかし小さな部屋の、一年中日の差し込まない小さな窓。そのちょうど前に置いてある金魚鉢。赤い金魚が一匹漂っている。

そういえば、昼、まだだったな。もう13時だ。冷凍庫からラップで包んだご飯を出して電子レンジに突っ込む。フライパンに油をしいて火にかけ、適当な厚みのスパムを並べて焼く。あー、そうだ、水換えしなきゃ。ラップをつねる様に爪の先で摘んで、米の塊をお皿に出す。上にスパムを並べて、さっきのフライパンで目玉焼きを作る。で、こいつも上に乗っけて…うーん、食べる前に水換えしないと面倒になっちゃうよな。今やるか。


冷めたスパムは不味いというほどでもなかった。
それに、水換え前と変わらぬ様子で漂う赤い金魚と、ぽてっと窓の前に居座る金魚鉢を眺めながらの遅い昼食は、私の名前のないような欲を満たした。



月に一、二回くらい行くような喫茶店があって、今日そこでお茶しない?特別おいしいとか、おしゃれとかではないんだけど、落ち着くし気に入ってるんだ。せっかくこっち来てもらったのにごめんねー、なんか地元のものとか出るようなお店で奢ったげたかったけどちょっと朝からバタバタしてて、お茶くらいしか出来なくなっちゃった。また遊びに来なね、あたしもそっち行くし。
彼女は一通り話すと、着いたよ、と言って店の扉を押した。そして、あ、引くだった、なんでいつも間違えちゃうんだろ、と笑って厚いガラスの扉を開けてくれた。

席は6割ほどが埋まっていた。ちょうど二人席が空いていたので、私たちはそこに座った。しばらく黙ってメニューを眺め、今お腹は空いてないけど、甘いものが良いなあ、ロイヤルミルクティーにしようかな、などと考えていた。
ねえ、この「金魚鉢クリームソーダ」って何?私の問いに彼女は、そのままだよ。と答えた。大きいから私は頼んだことないけど、あ、二人で分ける?アイスも二つ乗ってるんだよ。頼むなら、ストロー二つつけてもらお。まるでいたずらを企む子供のような顔で私の目を見つめてくる。じゃ、そうしよっか。私も乗り気だった。

本当に金魚鉢だった。彼女は、ほんとに金魚鉢でしょー、あたし実はずっと頼んでみたかったの、とニコニコしている。
鉢のフリルの部分は色が入っていて、クリームソーダの無邪気なみどり色とグラデーションになったガラスのあお色が重なっていた。味わいはそのままクリームソーダだ。
私たちは飲み終えると、冷えたね、と言ってそれぞれホットコーヒーを頼んで、ひとしきり話した後、駅まで歩いて解散した。



私の目の前には樹脂製の金魚鉢が並んでいた。百均の商品棚にあるそれを見つめながら、私の妄想は止まらない。樹脂であってもその美しい形は変わらないし、私はずっとそれに惹かれている。
私が幼い頃、家には金魚鉢があって、中に砂のようなものが入っていた。フリルのくびれに細い木の棒を置き、その真ん中に糸がくくりつけられていて、金魚を模したものが垂れ下がっていたのを覚えている。
当時は興味すら湧かなかった金魚鉢にどうして今こんなにも惹かれているのか、さっぱり分からないが、いつかは手に入れたいと私は強く願っているのだ。
でも、きっと、家に自分の金魚鉢があっても金魚は飼わないし、それでクリームソーダも作らないし、飾るだけになってしまうだろう。インテリアとして生かそうにもあまり自信はない。自分の毎日の生活に金魚鉢が入り込んでくるというのは、今は少し不気味というか、気が引けて、やめておこうという結論に行き着く。

私の金魚鉢への特別視はいつまで続くのだろうか。

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