ゴスロリの中にゴリラ見えない?いないか

※この文章はファッションについて毛ほどの知識もないゴミクズが訳知り顔でゴスロリについて語るという見るに堪えない駄文です。ご了承ください。



ゴスロリが好きだ。
あの暗さの内にある確かな美しさが好きだ。
ゴスロリといえば思いつくのはローゼンメイデンだ。あれは素晴らしい。水銀灯は可愛い。
だがこの文章ではこれ以上ローゼンメイデンに触れることは無い。
なぜなら自分はローゼンメイデンを見たことがない。作品を見たこともないような奴があたかも見たかのように語るとそいつは焼死体となる。インターネットでそう学んだからそこについては知ったかぶりはしない。
ここでは現実でのゴスロリについて語る。
バーチャルではない。現実の人間が着る服としてのゴスロリだ。
言いたいことはわかる。確かに現実でゴスロリは痛い。社会になじむ様も全く想像できない。だがそこがいい。ゴスロリを着ることは社会になじまない、つまり社会より優先する美がそこには存在する。
ファッションという本来表面的なもので自分の信じる美を表現する。他とは深みが違う。
そりゃあ痛くも見えるだろう。その美は孤高だから。だが周りから浮いていればいるほどその美しさは強調される。その着ている人自身の美意識の強さがありありと感じさせられる。
もちろんそんじょそこらのやつがゴスロリを着たからと言ってあそこまで美しくなることは無い。ゴスロリを着ている人は総じて自身も美しくあろうとしているからだ。自身の信じる美を纏うために自身も美しくなろうとし、その纏う美に甘えることをしない。
その美しさの中には当人の努力が、強さが存在している。強い。勝てない。一介のキモオタク程度がその美を目にして変わらずにいられるはずがない。どうかゴスロリを着る人たちに、自分の信じる美がある人たちに幸多からんことを。そして山形市にサブカル街ができますように。なんでこんなに建物は多いのにサブカル要素がないんだ。もっと少なくていいだろ居酒屋なんて。もっとゴスロリを見れるようにしてくれ。

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