インプレポエムに詩情はあるか?

 今日も今日とてなにかを書くでもなくタイムラインを眺めていた。
すると面白い投稿があったので何となくその投稿のリプを見てみようとした。
リプの数も多かったので、そこそこ期待してリプ欄を開いたが、そこはインプレゾンビで埋め尽くされていた。
だが今となってはそんな光景も見慣れたもので、その中から人間が打ったと思われるものを探そうとした。
そんな人生の中でもトップクラスで無益な行為を行っていると、あるインプレゾンビの投稿が目についた。

こんなの。
最近やたらと何となく詩的なゾンビを見かける。
だがこの「詩的」はなんだ。たかだかbotの投稿だ。なぜそんなものに詩情を感じる。
というわけで少し考えてみた。

まずこのゾンビはどのような仕組みで動いているのか。
そこについてはよくわからない。
もちろん調べればすぐに出てくるとは思うが、googleを開くのも検索した情報をより分けるのも面倒だから調べない。
あの谷崎潤一郎も「何かに書いてあるらしいけど面倒だから読んでない」的なことを書いてたはずだからこのチラシの裏にでも書くような思考のメモ未満のものならなおさら問題にはならないだろう。
だが恐らく推測するにすでに投稿された文章を名詞、動詞、接続詞といった具合に分解してそれらを意味を考えずランダムにつなげている感じだろう。
ここに詩情が入り込む余地があるように思える。
そもそも詩は文法上不自然な形をとりやすく、詩の中の情景もぼかされやすいはずだ。
どこかのバラエティでは詩の情景が浮かぶか否かで詩の完成度を測っているらしいがあれは単なる風景でその詩の中の当事者の情動は基準に含まれていないためこの仮説の反論にはならない。
そのうえで考えてみると、ゾンビのポエムに詩情があるのは不自然じゃないように思える。そもそも20字弱で記された文章というのも俳句と類似した特徴ではないか。
じゃあゾンビのうわごとと詩ではなにがちがうのか。
詩は綿密な計算の上で作られるのに対し、ゾンビは既存の言葉のつぎはぎだという違いはあるが、両者の文章の外見からはその計算の有無を一般人が見分けるのは難しいだろう。
こんなことを考えていると、そもそも詩情というものが主観的なものであるように思えてきた。
いくら美しいものが描写されていてもその語句を理解できなければインクの染みや図形に過ぎないのだから、その逆もしかりだろう。
サルが打ち込んだsssssssssssも勝手に読者が感銘を受ければ詩になりうる。
いちめんのなのはながあるのだからこれくらい許されるだろ。
 つまり漏れが打ち込んでるこんな臭い文字列も画面の向こうの臭いお前も氏が作れるわけだ。
不特定多数の美的感覚を崩壊させるために頑張ろう。


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