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【短編小説】狼を被る

この作品は、短編小説です。
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 お前が、手記でも書いたらどうだなんて言うから。筆なんてろくに持ったことのない手を慣れない手つきで動かしている。
 お前と出会ってから、もう何年経ったであろうか。山奥に一人暮らしていた私は、水を汲みに池に行ったのだ。池のほとりに、幼子であったお前が倒れていた。
 助けるつもりはなかったのだ。私は情に厚い性格ではない。お前を拾って食事と寝床を与えてやったのも、ただの気まぐれだ。
 名前を聞くと、お前は管 沐陽(グァン ムーヤン)と名乗った。
「お姉さんの名前は?」
「そんなものはない」
「なんでないの?」
「ひとりで生きて行くのに、名前など必要ない」
「でも、今はひとりじゃないよ?」
「そうだな」
「ないなら、僕がつけてもいい?」
「好きにしろ」
 そうしてお前が私に名付けたのは、静麗(ジンリー)だった。何かを与えられるというのは、私にとって初めてのことであり、落ち着かない気分であった。
 お前は泣き虫で、すぐに弱音を吐いた。朝起きるのが苦手で、好き嫌いが多く、風呂も嫌いだった。本当に、世話の焼ける子どもだったよ。
 それにお前は優しすぎた。男子のくせに狩りを好まなかった。私はいつも嫌がるお前を引っ張って狩りに出かける羽目になった。
「沐陽、兎がそっちに行ったぞ! 弓を射れ!」
「そんな、できないっ」
「何をしてるんだい! 逃げられたじゃないか」
「だって、兎がかわいそうだよ」
「そんなこと考えていたら狩りなんてできないよ」
「でも、それでも嫌だ」
「自分が飢え死にしてもいいってのかい?」
「それも嫌だ」
「我儘言ってんじゃないよっ。
 ……いいかい。私たちはね、生きなきゃいけない。生きるにはね、活力がいるんだ。だから他の誰かからその活力を分けてもらわなきゃならないんだ。分かるね?」
「う、うん」
「私たちはね、命をもらってその分生きていかなきゃならない。生きるってのはそういうことだ。目を背けるんじゃないよ」
「どうしても、やらなきゃいけないの?」


 お前と暮らすようになってから、私は何かが変わった気がする。町に買い出しに行くようになった。お前には人並みの生活をさせてやりたいと、そう思い始めたのだ。
「こんにちは!」
「いらっしゃい。何にしますか?」
「えっとね、あそこの砂糖菓子と……」
「新鮮な野菜と果物を適当に」
「はいよ」
「えーっ、お菓子は?」
「必要ない」
「必要だよ」
「何故だ。理由を言ってご覧」
「お菓子があれば、お手伝いがんばるかもなー。狩りだって上手くできるかもなー」
「……ひとつだけだよ」
「やったー!」
「毎度ありっ。いやあ、仲のいい親子ですねえ」
「親子? 私とこいつが?」
「ええ。そうなんでしょう?」
「まあ。そのようなものです」
「またぜひ来てください。ああ、それと。近頃は人狼が出て畑や家畜小屋を荒らしてるなんて噂もありますから、気を付けてくださいね」
「ジンロー?」
「人間に化けた狼のことだよ。さあ、すぐに帰るよ」


 お前も大きくなって、物事の分別がつくようになってきた。そろそろ潮時だろう。私も限界を迎えていた。だから、私は、町を襲った。
「人狼が出たぞ!」
「追うんだ!」
「ガウウッ!!」
 私はまともに銃弾を受けた。人の姿を保っていることはもう出来なかった。
「静麗……? どうしたの、その格好」
「これが、私の本当の姿さ」
「狼……?」
「そうだよ。私はね、人狼なんだよ」
「嘘だよ! 静麗はずっとかっこいいお姉さんで、優しくて、僕のこと育ててくれたよ」
「そんなの、お前を大きくなるまで育ててから食うために決まってるだろ」
「でも、でも……」
「お前のことは、何度も食ってやりたいと思ってた! もうそろそろ限界なんだよ」
「でも、静麗がいないと、僕はどこにも……」
「お前、宦官(かんがん)ってやつなんだろ」
「どうして、それを……」
「見ちまったのさ。初めて会ったとき。倒れているお前を介抱するときに、服を脱がせたから。後宮で宦官として生活してりゃ、食いっぱぐれることはないだろう」
「違うよ、僕はそんな生活望んでない。僕は静麗と……」
 もっと話していたかったけど、そう時間もない。無慈悲に家の扉が叩かれた。
「開けろ! そこに人狼がいることは分かっているんだ!」
 ゆっくりと扉を開ける。沐陽が止める声が聞こえたけれど、気にしない。人間と人狼が共存することはできない。そんなこと、分かっていた。覚悟を決めろ。
「いたぞ! 捕まえるんだ!」
「やめてよ、静麗を殺さないで!」
「坊主、こいつは人狼なんだ。さっき通行人の腕を食いちぎっていった悪いやつなんだ。早くそいつから離れろっ!」
「嫌だ!」
「早く離れろ、お前も撃っちまうぞっ!」
「やめて、撃たないで!」
 ああ、やっぱりお前は優しすぎる。ひとりで生きていくには、優しすぎる。
「そいつらの言う通りだ、私から離れな」
「だって、そんなこと……」
「離れないと、私はあんたを殺して食うよ」
「そんなこと静麗はしないっ」
「いいや、するね。これが生きるってことさ」
 そう、私はいつだってそうやって生きてきた。私はひとりでも、生きていく。
「分かった、じゃあその前に僕が静麗を止める」
 短刀を構えた沐陽は、もう立派な狩人の目だった。よかった。もう私がいなくとも、この子は生きていける。
「うおおおぉぉぉ!!」
 赤い液体が流れ出した。それを見て私はその場に倒れこんだ。
「ざまぁみやがれ!」
「手間取らせやがって」
 悪態をつきながら、人間たちは満足したのか出ていった。残ったのは、お前だけだった。
「静麗、もう大丈夫だよ」
 耳元でそう呟いた声を合図に起き上がる。傷口が痛む。まだ人間にはなれそうにない。服の下に入れていた木の実から赤い汁がまだ滴っている。
「まったく、お前は本当に優しすぎるよ」
「でも、これでまた生きられるよ」
「私にはもう関わらないでくれ。いつお前を襲うか分からない」
「襲わないよ」
 事も無げにお前は言った。
「だって、静麗は僕の家族だもん」
 そう笑ったお前を見て、私は愛したいと、そう思った。これが、母性なのかもしれない。
 つぶれた木の実を見ながら、私はこれからお前とどこに行こうか。呑気にそんなことを考えてしまった。私も少しは人間らしい思考になったのかもしれないと、少し笑ってみた。


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