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【2人用声劇台本】朝日と夕日のまぜ方

この作品は、声劇用に作成した作品です。
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女子高生の蒼井は、絵を描こうとしなかった。それを気にした美術教師の赤松は、蒼井を美術部に誘う。
これは、自分の色を見つける物語。

【上演時間】
約50分

【配役】
・蒼井(♀):高校生。絵を描こうとしない。
      ※ト書きも読んでください
      ※性別変更不可(演者の性別不問)

・赤松(♂):美術教師。蒼井を美術部に誘う。
     ※性別変更不可(演者の性別不問)



【居残り】


赤松:「じゃあ今日の授業は終わり。できた作品を提出して帰れよー」

蒼井:「はあ、やっと授業が終わった……。」

赤松:「おい、蒼井。お前は残るんだぞ。」

蒼井:「なぜですか? 赤松先生。」

赤松:「なぜですか、じゃねえよ。お前だけまだ課題の絵を描いてないだろう。描いてもらわないと、成績もつけられねえよ。」

蒼井:「なら、0点でも構いません。」

赤松:「ほーう、そんなに絵を描くのは嫌か?」

蒼井:「はい、嫌です。」

赤松:「ならせめて、その理由だけでも聞かせてくれるか?」

蒼井:「それは、私のプライバシーに関する問題なので、言いたくありません。」

赤松:「プライバシーねえ。くだらねえ、と言いたいところだが、最近はそういうのにうるさいからなあ。」

蒼井:「なら、もう帰ってもいいですか?」

赤松:「じゃあ、せめてこうしよう。他の生徒が描いた絵を批評して、率直な感想を教えてくれ。その批評を聞いて、成績をつける。これなら出来るんじゃないか?」

蒼井:「まあ、それくらいなら。」

赤松:「じゃあ、まずこの絵だ。どう思う。」

蒼井:「デッサンの正確性は評価されるべきですが、構図がよくないと思います。」

赤松:「やるじゃないか。じゃあ、この絵は?」

蒼井:「遠近法の使い方が独創的だと思います。あえて実物とは異なっている部分を混ぜ込んでいて、個人的には面白いと思います。」

赤松:「うん、たしかにそうだな。じゃあ、こっちの絵はどうだ。」

蒼井:「その絵は……」

赤松先生は次々と私に絵を見せていった。私もそれに対してどんどん夢中になって感想を答えていった。
そうしているうちに、いつの間にか全クラスの絵の評価を終えようとしていた。

赤松:「最後はこの絵だ。」

蒼井:「すっごくきれいな夕日ですね。題材や構図はありきたりですが、細かいところまで緻密に考えられて描写されていてすごいと思います。」
蒼井:「高校生でここまでの絵を描ける人はそうそういないでしょうね。もっとこの人の絵を見てみたいですね。」

赤松:「そうか。……分かった。もう帰っていいぞ。」

蒼井:「本当に、もう絵は描かなくてもいいんですよね?」

赤松:「ああ。楽しんで絵を見てくれたなら、それでいい。お前、絵を描くことは嫌でも、絵を鑑賞するのは好きなんじゃないか?」

蒼井:「変だと思いますか?」

赤松:「いいや、別に。むしろそれが分かって安心したよ。美術自体が嫌いなわけじゃないんだな。」

蒼井:「それは、そうですけど。」

赤松:「なあ、蒼井。美術が好きって気持ちがあるなら、美術部に入部してみないか?」

蒼井:「だから、私は絵を描くのは……」

赤松:「無理に描かなくても、絵を見て今日みたいに批評してくれたらいい。部員たちもその方が勉強になるしな。興味ないか?」

蒼井:「私が見た感想なんか言っても、参考にならないと思いますよ。」

赤松:「そんなことはない。お前の批評は的確だった。お前には才能があると思うぞ。」

蒼井:「……考えてみます。」

赤松:「おう、いつでも待ってるからな。」


数日後。私は気がついたら美術室のドアに手をかけていた。

蒼井:「し、失礼します……。」

赤松:「お、蒼井か、よく来てくれたな。」

蒼井:「どうせ家に帰っても暇ですから。暇つぶしです。」

赤松:「それでもいいさ。来てくれて嬉しいぞ。そうだ、皆にも紹介しないとな。おーい、お前ら、集まれー。」

先生が大きな声でそう言うと、絵を描いていた生徒たちが手を止めてぞろそろと集まってきた。
視線が集中して緊張する。先生が紹介する声が聞こえたけれど、頭に入ってこない。

赤松:「こいつは1年の蒼井だ。絵は描かないが、サポート役として手伝ってもらうことになるから、よろしくしてやってくれ。」

「はーい」、生徒たちが返事をして、話しかけてくる。
「よろしくな」
「ね、どんな絵が好きなの?」
「どう描けばいいかなって迷うことがあるから、アドバイスをくれると嬉しいな」
「見る専っていうの? そういうのかっこいいなあ」

興味の目を向けられ、次々と話しかけられて、私は溺れてしまったように口をただパクパクさせることしか出来なかった。

蒼井:「え、えっと……」

赤松:「おいおいお前ら、そんなに一斉に話しかけられても答えられねーだろ。蒼井が困ってるじゃねーか」

先生のことばに、群がってきていた生徒たちは「ごめんね」などと口々に声をかけながら、やっと引き下がった。

赤松:「蒼井、お前も堅くなりすぎだ。ここにいるヤツらはみんな芸術が好きなバカばっかりだ。お前のことをバカにするようなことはない。安心しろ。」

バカで悪かったですねーと生徒たちから野次が飛ぶ。
先生がそれに「悪い悪い」って笑い返すのを、じっと見ていることしかできない。

蒼井:「随分とあの人たちのこと信頼しているんですね。」

赤松:「ああ、信用できるさ。アイツらの作品をみたら、いいヤツかどうかなんてすぐ分かるんだよ。」

蒼井:「そういうものですか?」

赤松:「そういうもんだ。さあ、早速アイツらの絵を見てやってくれ。よろしく頼むぞ。」

蒼井:「はい、よろしくお願いします。」

【合宿】


私が美術部に入って数ヶ月。
学校では期末テストが終わって、学校中が夏休みの香水をつけたような空気をまとっていた。それは美術部も例外ではなかった。

赤松:「はーい、注目。秋のコンクールに向けて、来週合宿するぞー」

蒼井:「……は?」

突然なにを言い出すんだ。合宿?

「そんな時期かー」
「だるいなー」
各々が口々にそう言うが、実際は楽しみにしているようだった。私を除いて。

赤松:「蒼井。お前も用事がないなら来てくれよ。」

蒼井:「今できました。」

赤松:「ほー、どんな用事だ?」

蒼井:「それは、ええっとー……」

赤松:「ないんだろ?」

蒼井:「あります」

赤松:「ないな」

蒼井:「ありますっ」

赤松:「ない」

蒼井:「ある!」

赤松:「ない」

蒼井:「あーるっ!」

赤松:「なーいっ!……ぷっ……ははっ……」

蒼井:「何かおかしいんですか? ぼっちで過ごすのがそんなに変ですか?」

赤松:「いや、お前がそんなに怒るところ初めてみたなーって。お前、案外負けず嫌いなんだな。」

蒼井:「いいじゃないですか。先生だって張り合ってきたじゃないですか。負けず嫌いはお互い様ですよ。」

赤松:「そうだな。……ところで。お前、さっきひとりだって言ったよな。」

蒼井:「あっ……」

赤松:「それならなおのこと、一緒に合宿にいかないか?」
 
蒼井:「……分かりました。行きますよ。でも、絵は描きませんからね。」

赤松:「分かってる。じゃあ、当日待ってるからな。」

蒼井:「はい。」

美術部のみんなは悪い人たちじゃない。たしかに、それは先生の言う通り、彼らの作品を見れば分かる。
けれど、私はそれでも彼らとは違う。分かり合うことはできない。
そんな思いを旅行バックの中に隠して、私は合宿へと向かった。


赤松:「よーし、じゃあ合宿所に着いたことだし……」

蒼井:「さっそく絵を描くんですか?」

赤松:「川で遊ぶか!」

蒼井:「は?」

赤松:「その後はバーベキューして、釣りして、キャンプファイヤーして、肝試しして、明日は山でバードウォッチングして、カレー作って、ハンモックで寝て、バドミントンして、最後に天体観測して……忙しくなるぞー」

蒼井:「私もう帰っていいですか?」

赤松:「なんでだよ、着いたばっかじゃねえか。」

蒼井:「だって、遊んでばかりじゃないですか。そんなの合宿になりません。」

赤松:「部屋の中に閉じこもってばかりじゃいつもと代わり映えしないだろ? それに、ちゃんと絵は描いてもらうぞ。合宿中に、一人一枚絵を描くか、もしくは作品をつくること。いいな。」

「えーただ遊ぶだけじゃダメなんですか?」
「毎年のことじゃん。諦めなって」
そう言いながら、各自スケッチブックや絵の具をちゃんと持って来ていることは、荷物の量を見れば分かる。
自分ひとりだけ荷物が軽いことに、バツが悪くなる。

赤松:「まっ、とにかく楽しもうぜ。じゃあ、コテージに荷物を置いてここに集合な。」

蒼井:「あの、私やっぱり帰ります。」

赤松:「ん? なんでだ?」

蒼井:「だって、私、絵を描きませんから。いてもしょうがないじゃないですか。」

赤松:「じゃあ、いてもしょうがなくなかったらいいか?」

蒼井:「どういうことですか?」

赤松:「ほれ、お前はカメラ係だ。俺のデジカメ貸してやるから。」

蒼井:「私、写真の撮り方とか全然知らないんですけど。」

赤松:「撮り方とか難しく考えなくていーの。お前が見たものを、そのまま写してくれればいい。」

蒼井:「それでいいなら、やってみます。ピンボケしてりしてても文句言わないでくださいね。」

赤松:「言わねーよ。あ、できれば俺はかっこよく撮ってくれよ。」

蒼井:「被写体がかっこよくないので無理です。」

赤松:「お前なあ、お世辞でもそこはかっこいいって言ってくれよ。」

蒼井:「そんな変なサングラスをかけてピンク色のシャツを着ている時点で、かっこよくはありませんよ。」

赤松:「い、いいだろ、ピンクも似合う男なんだから。」

蒼井:(少し笑って)「ふっ、なんですか、それ。意味が分かりません。」

赤松:「お、やっと笑った。その調子で、楽しんで行こうぜ。」

蒼井:「少なくとも、退屈はしそうにないですね。」

そうして、美術部の合宿は始まった。
先生もみんなもちょっとだけ絵は描いていたけれど、ほとんど遊び続けていたのは言うまでもない。

【酒と本】


遊んで、遊んで、絵を描いて、寝て、食べて、また遊んで。
そんな合宿の様子を眺めて、気が向いたら写真を撮る。
そして二日目の夜。私は眠れずにいた。

赤松:「ん? 蒼井、お前こんな時間まで起きてたのか。早く寝ろよ。夜更かしは肌に悪いぞ。乙女の敵だぞ。」

蒼井:「先生だって起きてるじゃないですか。」

赤松:「先生はいいの、大人だから。それに、乙女じゃねーし。」

蒼井:「大人だって睡眠時間の確保は必要だと思います。」

赤松:「まあ、そりゃそーだ。これ飲んだら俺も寝るよ。」

蒼井:「……ひょっとして、そのビールを隠れて飲むためにわざわざこんな時間まで起きて待ってたんですか?」

赤松:「うっ、バレたか。その通りだよ。なんか酒飲まないと寝付けそうになくてな。他の奴らには内緒だぞ?」

蒼井:「言いませんよ、そんなしょうもないこと。」

赤松:「俺にとってはしょーもなくねーの。(缶ビールを飲む)……ぷはーっ、うめー!」

蒼井:「先生、オヤジ臭いです。」

赤松:「お前だって10年も経たずにこうなるんだからな。覚悟しとけよ。」

蒼井:「反面教師にはしておきます。」

赤松:「おう、そうしとけ。参考にされるのは教師として光栄なことだ。」

蒼井:「嫌味なんですけど。」

先生は私の指摘に頓着することなく、またおいしそうにビールを飲んだ。
私も、こんな風においしそうにお酒を飲める日がくるのだろうか。
そんなことをぼんやり考えていると、先生はチラリとこちらを見る。

赤松:「合宿ももう終わりだな。どうだった?」

蒼井:「まあ、悪くはなかったです。」

赤松:「ならよかった。写真もちゃんと撮ってくれてたみたいだし、休み明けまでに現像して配ってやらないとな。」

蒼井:「いいんじゃないですか。クオリティーは保証出来かねますけど、みんなきっと喜ぶと思います。」

赤松:「そういや、お前ずっとカメラマンやってたから写ってないのか。代わりと言ってはなんだけど、今度お前の絵でも描いてやろうか。」

蒼井:「別にいりませんよ。」

赤松:「そう言うなって。とにかく、気が向いたらいつでも描いてやるから言えよ。」

蒼井:「考えておきます。」

赤松:「俺はもう寝るけど、お前はまだ起きてるのか?」

蒼井:「はい、この本を読了したら、寝ます。」

赤松:「そんなに面白いのか、その本。ちょっと見せて……」

蒼井:「(遮って)触らないでください!」

赤松:「っ!」

先生が本に伸ばしてきた手を咄嗟(とっさ)に払い、すぐに本を閉じる。
はっと気づいたときには、もう遅かった。

蒼井:「あっ……すみません。」

赤松:「いや、気にするな。勝手に見ようとして悪かったな。」

蒼井:「あの、これは、私にとって大事なものなんです。」

赤松:「ああ、今のでよく分かったよ。」
赤松:「俺もその本が好きだから。」

蒼井:「えっ」

赤松:「その本、『赤をまだ知らない世界で』だよな。家の本棚にずっとあるから、ちょっと装丁を見れば分かる。」
赤松:「ある医師が、患者である青年Aについて記録したものだ。その青年は色覚異常で、赤色を認識することができなかった。」
赤松:「それでも青年は絵描きになりたいという夢を諦めずに、芸術系の大学へ進学した。今でも芸術関係の仕事をしているって話だ。」

蒼井:「……最近、この青年Aみたいに私もなりたいなって、そう思っているんです。」

赤松:「そりゃまたなんでだ。」

蒼井:「私も、色覚異常を持っているからです。」
蒼井:「私の場合は、生まれつき青色だけが認識しにくいんです。3型2色覚って言われています。」
蒼井:「私のような先天性の色覚異常の場合、原因が遺伝的なものなので、現時点では有効な治療法がないそうです。」

赤松:「そうか……。」

蒼井:「色覚異常の程度は変化せず、また色覚以外の視機能は問題ないので安心してくださいって、お医者さんからは言われました。」
蒼井:「生きているだけマシだってことなんでしょうね。私の気持ちなんか考えもしないんです。」

赤松:「そのお医者さんなりに、お前を励ましていたんだろう。」

蒼井:「励ましも、慰めも、憐れみも、いりません。」
蒼井:「お母さんだって、自分の遺伝子が原因だって言って、今でもたまに泣くんですよ。「ごめんね、本当にごめんね」って。」

赤松:「お母さんも、同じように見えにくいのか?」

蒼井:「いえ、お母さん自身は正常ですよ。お母さんのお母さん、私の祖母がやっぱり見えにくかったみたいで。その遺伝子が残っていたんでしょうね。」

赤松:「どうして、そんなに冷たい言い方ができるんだ。」

蒼井:「そうでもしないと、どうにかなりそうなんですよ。何を言われても、お前は異常だって言われているようにしか聞こえないんです。」
蒼井:「誰も好きでこんな身体に生まれてきたかったわけじゃないのに……。」

赤松:「そうか、それは、辛かったな。」

蒼井:「だから先生も、気を遣わなくてもいいですよ。私が色弱だって知って、気持ち悪いって思ったんでしょ? だったら、遠慮せずにそう言って……」

赤松:「分かってたんだ。お前が色を判別しにくいんじゃないかってことは。」

蒼井:「え……ど、どうして……。」

赤松:「生徒の絵を見てもらったことがあったろ。あのときお前は色に触れることを極力避けていた。」
赤松:「それに、きれいな夕日って言ってた絵、実は朝日だったんだ。色覚異常によっては黄色とオレンジ色の区別がつきにくいって本で読んだことがあったから、すぐに分かった。」

蒼井:「だったらなんで、私をわざわざ美術部に入れたんですか。色覚異常の私が絵を見ても、どうしようもないのに。」

赤松:「別に色が判別しにくいから美術部に入っちゃいけないなんて決まりはないだろ。誰でも美術を楽しむことができる。あのとき、絵を夢中で眺めるお前を見て、そう思った。だから入部を勧めた。それだけだ。」

蒼井:「私、そんなに楽しんでいるように見えました?」

赤松:「おお、見えた見えた。絵の中に入りこむんじゃないかってくらい凝視してた。」

蒼井:「なんだかバカにされているみたいです。」

赤松:「実際、楽しんでるだろ。ひとりでこっそり紙に絵を描いてるくらいなんだから。」

先生は手元に隠していた紙をチラリと見た。
観念して、黙って折っていた紙を広げる。

赤松:「おお、手のデッサンか。」

蒼井:「ただの落書きです。」

赤松:「落書きかどうかは見たヤツが決めるの。」
赤松:「うん、いい絵だ。絵を見たら分かる。」
赤松:「やっぱ、お前はいいヤツだな。」

蒼井:「からかわないでください。」
 
赤松:「褒めてるんだよ、素直に受け取っとけ。これからも期待してるから、よろしくなっ。」

そう言って先生は空になったアルミ缶を投げた。それはギリギリのろところでゴミ箱のふちに当たって、ガコンと音をたてて中に入った。

【花火大会】


合宿が終わって一週間後。家の電話が鳴った。
電話をとったお母さんが私に言う。
「学校の赤松先生という方からよ」
お母さんがいる手前、出ないわけにもいかない。ため息をついて受話器を受け取る。

蒼井:「もしもし。」

赤松:「もしもし、蒼井か?」

蒼井:「うちは蒼井じゃありません。かけ間違いです。」

赤松:「いやいや、そんなわけないだろ。さっきお母さんとも話したから。」

蒼井:「はあ……用件はなんですか?」

赤松:「明後日の夜、時間空いてるか?」

蒼井:「不本意ですが、空いてますね。」

赤松:「ならよかった。花火大会に行くぞ。」

蒼井:「セクハラで訴えますよ。」

赤松:「それは頼むからマジでやめてくれ。安心しろ、部活のみんなで行くんだよ。」

蒼井:「部活のみんなで?」

赤松:「ああ、そうだ。課外授業だよ。せっかくの花火大会だからな。みんなでいって、遊んで、ついでにちょっと絵も描く。」

蒼井:「美術部顧問が、絵を描くのをついでと言うのではどうかと思いますけど。」

赤松:「細かいことはいいだろ。お前も前みたいに写真を撮ってくれていいから、楽しんでいこうぜ。待ってるからな。」

蒼井:「分かりましたよ。お誘いを受けたからには行きます。よろしくお願いします。」

電話を着る直前、受話器の向こうで先生が小さくガッツポーズをするのが見えた。

花火大会当日。
私が待ち合わせ場所まで行くと、もうみんな揃っているようだった。
私に気づいた部員の一人が、「蒼井ちゃん、こっちー」と手を振ってくる。

蒼井:「こんばんは。お待たせしました。」

赤松:「おお、蒼井か、こんばんは。よく来てくれたな。」

蒼井:「部活なら来ないわけにはいかないでしょう。一応私も部員なんですから。」

赤松:「仕方なく来てやったみたいな言い方するな。ばっちり浴衣まで着てるじゃないか。」

蒼井:「これは張り切った母に着せられただけです。私の意向ではありません。」

赤松:「なるほどな。でも、よく似合ってるぞ。黒い着物に青色の帯って組み合わせが馴染んでるな。」

蒼井:「私には、そういうのはよく分かりません。青色ですし。」

赤松:「ああ、そっか。すまない。」

蒼井:「別に気にしてませんから。行きましょう。」

赤松:「そ、そうだな。縁日をちょっと見てから、河原の方へいくか。お前ら、縁日で散財するなよー。」

そう言って縁日の明かりと匂いの中へと吸い込まれていった先生に、全員がたかったこと。そして、先生自身が自分に一番お金を使ったことは、わざわざ電卓で計算しなくても分かった。
それをまた写真に収めて回っていると、花火大会の時間が近づいてきた。
河原へと歩いていく先生たちの後を歩いていくにつれて、汗が出てきた。
花火大会に来たことはほとんどなかった。そのためだろうか、緊張している。

人ごみの中に入る。

話し声。靴で砂利を踏みしめる音。投げられた石が川へ落ちる音。たくさんの音が聞こえる。
香水の匂い。たこやきの匂い。ヨーヨーや風船のゴムの匂い。たくさんの匂いがする。
いろんなものが私の中に入り込んできて、私の中はなにかで飽和してしまう。
見えるもの、臭うもの、聞こえるもの、全てがただの記号になる。
ぼーっと立っていると、誰かが、肩を叩いた。

赤松:「おい、そろそろ花火始まるぞ。」

蒼井:「……はい、分かってますよ。」

赤松:「そうか。楽しみだな。」

蒼井:「ちょっとなら。」

そのとき、空に一筋の光が上った。
そして、花が咲いた。遅れて、大きな音が身体に響く。

蒼井:「なに、これ……。」

たしかに光っていてきれいだ。だけど。
私には、赤と緑の光にしか見えない。
みんなが黄色だとか青だとか言っている色は分からない。

急に、大きな音と光だけの記号になる。
周りの歓声が、悲鳴のように聞こえる。
怖い。ただその感情が溢れてきて、震える。

赤松:「おい、蒼井。どうした?」

逃げたい。ここにいたくない。
その感情を自覚したときには、すでに私は走り出していた。

【恐怖】


気づくと私は、小さな神社まで来ていた。
拝殿へと続く石段の端になんとか腰を下ろす。
心臓がまだ全力で動いている。
高校生にもなって、花火も見れないなんて、情けない。
悔しくて、汗ばんだ手を握る。

赤松:(息を切らしながら)「おい、大丈夫か。」

顔を上げると、そこには息の上がった先生がいた。

蒼井:「すみません、ちょっと、怖くなって。」

赤松:「花火って大きい音するもんな。慣れてないとびっくりするのは分かるぞ。」
赤松:「だからさ、ちょっとずつ慣れていけばいいって。」

蒼井:「それでもダメなんです。私は、花火を楽しめません。」

赤松:「なんでだよ。」

蒼井:「私には、ただの赤と緑の単調な光にしか見えません。」
蒼井:「綺麗だとは、思えません。」

赤松:「なるほどな……それは怖かったな。無理に誘って悪い。」

蒼井:「慰めないでくださいっ。小さい子どもをあやすように言わないでください。」
蒼井:「先生には分からないんです。ちゃんと色が見えないことが、どれだけ辛いことなのか。」

赤松:「そんなことは……」

蒼井:「先生は変な目で見られたことなんてありませんよね。」
蒼井:「こどもの頃、緑色の葉っぱを水色に塗って、友達だと思っていた子から、いじめられたことなんてないですよね。」
蒼井:「ちゃんと塗りなさいって先生から叱られたことなんてありませんよね。」

赤松:「それで、絵を描こうとしなかったのか。」

蒼井:「はい。でも、美術部に入って絵を見るのは好きになったし、写真を撮るのもなんだか楽しくて、写真家になりたいって思うようになっていたんです。」
蒼井:「あの本の青年Aみたいに自分の好きなようにやっていけるって思っていたんです。」

蒼井:「でも、ダメでした。やっぱり私は他の人とは見えている世界が違うんです。」
蒼井:「青い空も、青い海も、自分の青い瞳も、薄くてくすんだ緑色にしか見えません。」
蒼井:「そんな私が撮った写真なんて、他の人とズレていて、共感を得られないに決まっています!」 
蒼井:「私なんてっ、私なんてっ……。」

赤松:「……だからこそ、写真家になればいいじゃねーか。」

蒼井:「え……?」

赤松:「蒼井にしか見えない世界があるってことだろ? なら、それを写せばいい。」

蒼井:「私にしか、見えない世界……。」

赤松:「色覚に優劣なんてない。正常や異常なんてない。個人差がある。個性がある。それだけだ。」
赤松:「ただお前が見た世界を、写せばいい。お前でないと撮れない構図があるだろう。」

蒼井:「でも、やっぱり私と同じ見え方じゃないのに、それを分かってもらえるかどうか……」

赤松:「最近の編集技術ってのはすごくてな。写真の色彩をお前が見ているのと同じように編集をすることができるんだ。」

蒼井:「じゃあ、それを使えば……」

赤松:「お前は、写真家になれる。」

蒼井:「こんな目でも、なれますか?」

赤松:「ああ。」

蒼井:「こんなに怖がりでもいいですか?」

赤松:「ああ。というか、実はな……」

先生はそう言って、私の耳元に顔を少し近づけた。

赤松:「俺も大きくなるまで、花火が苦手で泣いてたことがある。」
赤松:「さっきもちょっとだけ、怖かった。」

蒼井:「先生も?」

赤松:「ああ。だから、その、気にすんな。」

先生は、照れくさそうに笑った。
私はその日先生に送ってもらって、すぐに眠ってしまった。
夏休み明け、先生は学校に来なくなった。

【お礼】


三年後。私は大学で写真家になるために勉強していた。
長い夏休みに入って編集技術について勉強していると、いつの間にか真夜中になっている。
そろそろ寝ようかと思っていると、ドアを叩く音がした。
お父さんとお母さんを起こさないように玄関まで行き、のぞき穴から様子を伺うと、そこには見知った顔があった。
私はゆっくりと鍵を外し、ドアを開ける。

赤松:「……よお、久しぶり。」

蒼井:「……何やってるんですか、赤松先生。」

赤松:「もう学校は退職したから先生じゃねーけどな。」

蒼井:「何くだらないこと、言ってるんですかっ。」
蒼井:「黙ってどっかに行っちゃって、心配したんですよっ……!」

赤松:「悪かったな。これには色々と理由があってな……今から付き合ってもらいたいところがあるんだが、出てこれるか?」

蒼井:「えっ……まあ、予定はありませんけど……。」

赤松:「じゃあ、詳しい話は後だ。すぐに着替えて準備してきれくれ。」

蒼井:「はあ……本当に勝手な人なんですから。」

そう言いながらも、私は久しぶりに会った目の前の男性が、私の知っている赤松先生のままであることに安心した。

先生は私を愛車と思われる軽自動車に乗せて、夜の住宅街を静かに走り出した。

蒼井:「それで、先生。あれからどうしてたんですか?」

赤松:「うーん、一言でいうと、プロの画家になった。」

前を向いてハンドルを握ったまま、当たり前のように言った。

蒼井:「が、画家!?」

赤松:「ああ。元々画家になりたかったんだが、それを諦めて教師になったんだ。」
赤松:「……蒼井、お前のおかげだ。」

蒼井:「私、何もしていませんよ。むしろ、私の方が先生に励まされたんです。」

赤松:「いいや。お前が諦めずに写真家を目指すと言ったから、俺も頑張ろうと思えたんだ。」
赤松:「……あの本、まだ持ってるか?」

蒼井:「あの本?」

赤松:「『赤をまだ知らない世界で』だよ。」

蒼井:「もちろんですよ、私はあの本に勇気をもらいました。今でも大切に持っています」

赤松:「あの本に出てくる青年Aはな、」
赤松:「俺のことなんだ。」

蒼井:「えっ! それって、つまり……」

赤松:「俺も、色覚異常を持ってるんだ。あの本に書かれている通り、俺は赤色が見えにくい。1型3色覚とか、赤色弱(せきしきじゃく)とか呼ばれているような目で生きている。」

蒼井:「でも、先生は普通に美術の先生として教えていましたよね? 色に関する指摘についても、問題なかったように思います。」

赤松:「ああ、それは、かなり訓練して、ある程度微妙な色の違いでも赤色だって分かるようにしたからだ。それと、このメガネをつけているからだな。」

蒼井:「そういえば、絵を見るとき絶対にそのサングラスみたいな変なメガネをかけてましたね。」

赤松:「ああ。これは色覚補正メガネっていってな。俺の場合、赤色を少し見えやすくしてくれるもんだ。これのお陰でなんとか教師としてもやっていけてたってわけだ。」
赤松:「けど、やっぱりプロの画家になるには、色覚異常があるのは致命的だ。だから、本当は画家になりたかったのに、諦めて教師になったんだ。
赤松:あの本には芸術に関する仕事って良い風に書いてあったけど、俺にとっては不本意な進路だった。」

蒼井:「そうだったんですか……。」

赤松:「けど、頑張るお前を見て、俺の本を読んで憧れると言ったお前を見て、俺ももう一度頑張ろうと思った。俺も、俺にしか見えない世界を表現しようと思ったんだ。」

蒼井:「なんだか私達、似た者同士って感じがしますね。」

赤松:「そうだな。だから、お前のことをどこか放っておけなかったのかもしれない。」

蒼井:「えっ」

赤松:「あっ、いや、深い意味はないからな?」

蒼井:「分かってますよっ」

赤松:「オホン、話を戻すぞ。それで、画家としてそれなりにやれるようになってきたから、お前にお礼がしたくてな。……そろそろ着く頃だな。」

言われて外に注意を向けると、わずかに潮の香りがしてきた。波の音もする。そこには夜明け前の海があった。

蒼井:「海、ですか?」

赤松:「ああ。さあ、着いたぞ。降りてくれ。」

砂浜の近くまできて、先生は車を止めた。
促されるままに車から降りると、先生はイーゼル、キャンバス、アクリル絵の具一式を後部座席から降ろした。

蒼井:「先生、そんなの出して、どうするんですか?」

赤松:「画家ができるお礼っていったら、絵を描くことしかないだろ。前にお前を描いてやるって言ってたし。」

蒼井:「それはそうですけど、わざわざ夜明け前にこんなところまで来なくても……。」

赤松:「いいからいいから。ほら、海の方を向いてそこに立ってくれ。」

聞く耳を持たない先生に観念して立つと、先生はすぐに絵を描き始めた。
夜明け前で薄暗くて、あまりよく見えないような気がする。

赤松:「さっき画家としてそれなりにやってるって言っただろ?」

蒼井:「はい。」

赤松:「時期はまだ決まってないんだが、個展を開くことになったんだ。」

蒼井:「えええええーーーー!!個展!?」

赤松:「おい、動くなって。描いてるんだから。」

蒼井:「あ、すみません。でも、驚きますよ。個展なんて。」

赤松:「俺もびっくりしてる。個展なんて、夢のまた夢だと思ってたからな。」
赤松:「その個展のメインとしてだな、お前の絵を出したいんだ。」

蒼井:「ちょっと待ってください、そんなの聞いてませんよっ」

赤松:「だから動くなって。今ちゃんと言ったろ?」

蒼井:「そんな、私なんかモデルにしても良い絵なんて描けませんよ。」

赤松:「作品の出来をモデルのせいにするような画家は三流だよ。一流の画家はどんなモデルでも上手く描くもんだ。」

蒼井:「そう言われると心外ですね。」

赤松:「ならもっと自分に自信を持て。そうやってすぐに自分を卑下(ひげ)するのはお前の悪いとこだぞ。」

蒼井:「分かってますよ。せっかくモデルになるんですから、ちゃんと描いてくださいね。」

赤松:「言われなくても分かってるよ。」

蒼井:「……なんで、私をメインの絵にするんですか?」

赤松:「言っただろ。お前に俺は救われたんだ。だからだよ。」

蒼井:「……そうですか。」

赤松:「教師として美術の授業をするのも、顧問として美術部のヤツらと絵を描くのも、すっごく楽しかった。あの日々がなきゃ、今の俺はいない。」

蒼井:「そうですね。私もあのときが人生の中で一番楽しかったです。」

赤松:「だからこそ、あの時の思い出を絵に残す。そう思ったんだ。」
赤松:「あと、お前にはどうしても最後に見てほしいものがあった。」

蒼井:「見てほしいもの?」 
蒼井:「……あっ……!」

光が差した。
ゆっくりと水平線から、朝日が上ってきたのだ。
朝日はじわじわと水面を、砂浜を、私を、先生を照らしていく。

赤松:「お前が見間違えた朝日ってのは、こういうもんだ。夕日とは違うだろ?」

蒼井:「はい、全然違います。とても……美しいです。」

そのとき私は、光に照らされた海面に、見たこともない深い色を、一瞬だけ、たしかに見た。

蒼井:「先生……」

赤松:「なんだ?」

私の視界はぼやけてしまったけど、それでも構わなかった。

蒼井:「私、今、初めて……青色が見えた、ような気がします。」

赤松:「本当か?」

蒼井:「はい。……青色とは、こんなに深い色をしているんですね。こんなに、透き通った色をしているんですね。こんなに……優しい色をしているんですねっ……。」

赤松:「ああ、そうだ。空の色も、お前の瞳の色も、こんなに綺麗な色をしているんだ。覚えておけ。」

蒼井:「はい。二度と、忘れません。」

海風にスカートが揺れる。私はそこで、小型のデジタルカメラをポケットに入れていたことに気づいた。私ばかり描かれるのは不公平だ。こっそりカメラの電源を入れる。

蒼井:「先生、まだ絵描いてますよね?」

赤松:「ああ。もう少しかかりそうだ。」

蒼井:「じゃあ、ハイ、チーズ。」

赤松:「えっ」

カメラを持った手を後ろに回して、シャッターを押す。
カメラに写っていたのは、キャンバスを凝視して筆を動かしている、一人のプロの画家だった。

赤松:「はっはっは、してやられたな。」

蒼井:「お返しです。」
蒼井:「……先生、ありがとうございます。」

赤松:「こちらこそ、ありがとう。」

それから絵が完成するまで、私たちはただ黙って海を眺めていた。
芸術家にこれ以上言葉は必要ない。
芸術家は言葉で語るものではない。作品で語るものなのだ。
先生なら、きっとそう言うだろう。


半年後、先生の個展が開催された。
メインの三枚の絵には、
本を閉じた私の絵、
浴衣を着た私の絵、
海を眺める私の絵があった。
その絵がプロの世界でどう評価されたのかは分からないけど、
どの絵にも青が使われていて、その青が私は大好きだということは分かった。

《終》

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