【短編小説】裏庭
この作品は、短編小説です。
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裏庭には、死体が埋まっている。
言っておくが、私は別に罪を犯したわけではない。死体は死体でも、人の死体ではない。金魚の死体だ。
小学生の頃。私は毎年夏になると家族で近所の祭りへ出かけていった。夏祭りの匂いも音も光も好きだった。焼きそばのソースの匂いがして、ヨーヨーを弾くゴムの音がして、腕輪型のおもちゃが蛍光色で光っていた。甘いりんご飴やわたあめは好きだったし、なかなか獲物が倒れない射的も楽しかった。けれども何よりも私は、金魚すくいが好きだった。
金魚すくいには不思議な魅力があった。生き物を扱っているという異質感がそう思わせれるのだろうか。ポイがいつ破れるか分からない緊張感がそう思わせるのだろうか。金魚の赤と黒のコントラストに静かな美しさを覚えるからだろうか。いずれにしても、金魚すくいの屋台は、生々しい臭いが漂っていた。
私は不器用でそこまで金魚すくいが上手いわけではなかったけれども、兄や父が金魚をとってくれた。高学年になってからはコツを掴んでなんとか二、三匹、自力でとれるようになった。
毎年そうして戦利品のようにビニール袋を少し誇らしげに掲げて小さな命を持ち帰ると、透明な水槽に入れて飼ったものだ。幼い私は命を飼うなんてことに責任感は覚えず、最初の頃こそ気にはかけていたものの、一週間もしない内に飽きてしまい、親に世話を任せっきりにしてしまった。
やがて親も世話が面倒になってきて、近所の小さな池へ放してしまった。毎年のようにそうして池への不法投棄を繰り返していた。
そうして中学生にもなると祭りに行くことも減り、金魚すくいに目を輝かせることもなくなった。金魚のことなど忘れてしまっていた。私が金魚のことを思い出したのは、大雨の後にその池を通りかかったときだった。
通りかかると、そこには一匹の野良猫がいた。猫はこちらに気づくと驚く様子もなく、ふてぶてしい顔をこちらへ向けた。口には何かを咥えている。私が数歩近付くと猫は諦めたように咥えたものをポトリと落とすと、呑気に住宅のある方へ消えていった。何を落としたのだろうと見てみると、それは干からびた金魚の死体だった。10cm程度に成長しており、腹のあたりが少し食われている。もしかして、かつて私がとった金魚だろうか。そう思うと、埋葬してやらなければと思った。私は持っていたポケットティシュに金魚を丁寧にくるんで家に持ち帰った。葬儀屋のように神妙な面持ちをして。
私は裏庭に金魚の墓を作ることに決めた。スコップで裏庭に穴を掘る。5cmほどもすると掘るのがしんどくなってきて、そこで止めた。金魚の遺体をティシュにくるんだまま置いて、土を被せる。最後にかまぼこ板に「金魚の墓」と書いて地面に挿した。こんな見知らぬ土地で埋葬されるなんて、金魚にとっては本望ではないだろう。だか、いくら粗末であっても、なにもしないよりはマシだろう。そう思いながら黙って手をあわせた。
翌日、墓標を発見した母親からなにをしたのかと聞かれたので、金魚の墓を作ったと答えたら、母親は「あんた、随分とマメなことするのね」と苦笑された。大人にとっては、ましては母親にとっては、たかが金魚一匹の命などとるにたらない小さなものなのだろう。そんなものよりも大切なものをきっとたくさん抱えているのだ。
社会人になって一人暮らしを始めた今、金魚の墓はそのまま放ったらかしになっているだろう。もうかまぼこ板もどこかへいったか、捨てられているかもしれない。仮に今はまだあったとしても、いずれは墓じまいするときがくるだろう。
けれども、あの日から裏庭が私の中でスピリチュアルな存在になったことだけはたしかだ。うちの裏庭だけじゃない。きっと他の家の裏庭にも、死体のひとつやふたつ、秘密のみっつやよっつ、あるのだろう。裏庭とは、そういう場所なのだ。
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