見出し画像

【短編小説・1人用朗読台本】無機質な世界より、アイをこめて。 ⑨Inheritance

この作品は、声劇用に執筆したものです。
使用される場合は、以下の利用規約を必ずご覧ください。

以下のリンクも見やすくなっておりますので、ご参照ください。

ある日、世界は私だけを残して、止まってしまった。
これは決して比喩ではない。文字通り、止まったのだ。
当たり前のように、目を覚ますと止まっていたのだ。
これは、そんな世界で生きた、一人の愚かな人間の手記である。

ー無機質な世界を生きた彼に、愛と哀をこめて。ー

※このシナリオはシリーズ台本です。単体でもお楽しみいただけますが、シリーズを通してご覧いただいた方が、より楽しめるかと思います。

【上演時間】
約10分

【配役】
警官:手記を読む。
  ※性別不問
    
※このシナリオはシリーズ台本です。単体でもお楽しみいただけますが、シリーズを通してご覧いただいた方が、より楽しめるかと思います。



警官:○月☓日(上演日)。一件の通報により、孤独死遺体を発見。

警官:通報をしてきたのは、近所のスーパーでアルバイトをしている女子高生だった。いつも買い物にやってくる男性(①~⑧の「私」と同じ性別で)がここ数日やってきていない。最後にその男性の姿を見たとき、「さようなら」と小さな声で呟いていたので、心配になったとのことだった。

警官:聞き込み等により、その男性は近隣のアパートに住んでいることが分かった。
警官:管理人に鍵を開けてもらう。ここしばらく物音ひとつしていないという。
警官:このような場合、いつも同じような光景を見ることになる。小さく息をついて、扉を開ける。

警官:六畳間の狭いアパートの一室で、その男性は半身を壁に預けたまま息を引き取っていた。

警官:静かに合掌し、遺体に近付く。
警官:遺体の状態を見たところ、死後一週間程度経過しているようだった。
警官:遺体の手には袋が握られており、周辺にはシンナーのボトルが散乱していた。男性は薬物中毒に陥っており、薬物の身体的影響が原因で死亡したものと思われる。

警官:警官になって一番辛いと思うのは、このような現場だ。気分が悪くなる。
警官:何が彼をそこまで追い詰めたのかという疑問。
警官:このような最期を迎えるしかなかったことへの同情。
警官:このような最期だけは迎えたくないという嫌悪。
警官:もしかしたら自分もこうなってしまうのだろうかという不安。
警官:私達になにか出来たのではないかという後悔。
警官:そのような負の感情が駆けめぐる。

警官:ふと、彼の手元に目がいった。
警官:一冊のノートが、開いた状態でおかれている。すぐ横には、ペンが落ちている。どうやら彼が書き残したものらしい。
警官:捜査のため…というのは建前で、私は興味本位でノートを手にとった。
警官:自ら破滅の道を選んだ人間が最後に何を思ったのか、知りたくなったのだ。


警官:そのノートは、彼の手記だった。
警官:後に分かったことであるが、彼が見ていたのはこれまでの彼の記憶だった。
警官:義理の父親からの圧力。
警官:親友の自殺。
警官:恋人の病死。
警官:母親の安楽死。
警官:劇団員の薬物問題。
警官:義理の弟との不和。
警官:名も知らぬ女学生からの告白。

警官:この手記はただの記録ではない。
警官:一人の人間が自分の人生と向き合い、折り合いをつけるための物語だ。
警官:一人の人間が誰かを、そして自分自身を許すための懺悔だ。
警官:一人の人間が夢を見つけるための道しるべだ。
警官:一人の人間が誰かへ届くことを祈った希望だ。
警官:一人の人間が最後に上げた、声にならない心の叫びだ。
警官:一人の人間が命を削りながら残した、遺書だ。
警官:それを私は読んだ。ノート一冊分以上の何かの重みを感じながら。


警官:彼は、世間一般で言われる負け組に分類されるのだろう。
警官:彼は、決して裕福ではなかった。
警官:彼は、時間の残酷さを憎んでいた。
警官:彼は、競争社会で勝つことを諦めた。
警官:彼は、言葉によって傷つけ、傷つけられた。
警官:彼は、死ぬまで自由になることはできなかった。
警官:彼は、幸福になることはできなかった。
警官:彼は、正しいと言われることはなかった。


警官:けれど、私には彼のことを負け組だと嘲笑うことはできない。
警官:彼は彼なりに、最後に生きようとしていた。もがいてみせた。
警官:彼が直面した問題は、きっと誰にでも当てはまるものだ。
警官:私たちはそのことを知りながらも、目をそむける。
警官:しかし彼はただまっすぐに見据えた。
警官:そんな彼を嘲笑(あざわら)うことなんて、誰にできるだろうか。
警官:そんな彼を嘲笑う者に、覚悟のない者に、この手記を手に取る資格はない。


警官:彼の哀しみ、愛おしさに触れたとき、私は涙を一筋流していた。
警官:彼の存在は世間からすぐに忘れさられてしまうことだろう。
警官:しかし、私は彼のことを記憶に留めておくだろう。
警官:無機質な世界を生きた彼に、愛と哀をこめて。


          《終わり》

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?