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お歯黒のさんま

落語:目黒のさんま
妖怪:お歯黒べったり

(前略)
妖怪お歯黒べったりは、夕暮れどきの寺や神社に、着物や花嫁衣装を着て現れる。声をかけると、待ってましたとばかりに振り向くが、その顔には目も鼻もない。そしてお歯黒をぬった口でニタニタと笑うのだ。
妖怪ビジュアル大図鑑/水木しげる

高校の裏手に、生徒たちから「お歯黒神社」と呼ばれている神社があった。
境内で和服姿の女性に声をかけたら、のっぺりとした白塗りの顔が振り向き、裂けるように開いた口元から黒い歯をのぞかせて笑ったという。口からは生臭いにおいがした。そんな噂が世代を超えて伝わっている。

それなりに怖がられた時代もあったが、生徒を神社に寄せ付けないために、都市伝説ブームに乗っかって地域住民が流布した作り話だろうとも言われていた。つまり迷惑をかけた先輩がいたのだろうと生徒たちは地域住民に同情的であった。
同高校のオカルト研究部を除いては。

通称オカ研の4人は、これは“お歯黒べったり”に違いないと貴重な妖怪伝承として収集していた。
部長のユミ、副部長のスバル、部員のハネコ、ユウスケは神社での取材許可をもらう代わりに、掃き掃除などを手伝いながら痕跡を調べている。

そんな彼らが耳を疑うような事件が起きた。
お歯黒神社で生徒が立て続けにひったくりに遭った。
いずれも1人下校中の女子生徒で、暗闇からぬっと現れた手にかばんを引っ張られ、そのまま奪われてしまったという。驚きと恐怖で動けずにいたら、物色するような音がしてかばんは返された。
犯人の顔は見えなかったが、痩せた女性の腕だったと生徒たちは証言した。
怪我をした者も、財布やケータイなどを盗られた者もおらず、不気味だが被害のない事件として落着しようとしていた。

ユミとハネコは被害に遭った女子生徒たちに接触し、事件の詳細を尋ねた。
とくに何か盗られた物がないか丹念に調べてもらったところ、サインペン、アイライナー、油絵具がそれぞれ無くなっていることが分かった。

ユミは興奮を抑えきれない様子で言った。
「もしかして、お歯黒取れちゃったかな?」
スバルが冷静に答えた。
「サインペンとアイライナーは黒だけど水性、油絵具はいい線をいってるけど紫色。とてもお歯黒の代わりにはならないね」
ハネコが眉をひそめて言った。
「今ごろ焦ってるね。アイデンティティが失われつつあるんだもん」
ユウスケが笑った。
「小豆洗いが小豆をなくすようなもんか」

お歯黒べったりの一大事にオカ研は立ち上がった。
歯に塗れるマニキュアのような化粧品を手に入れ、薄暮の神社へ向かった。
「お歯黒べったりさん、お歯黒べったりさん、姿を現していただけませんか」

イチョウの木の陰に誰かがいると分かった時、ハネコはぞわりとした。
一方、ユミは待ち合わせ場所で友人を見つけたように「そこにいたの」と言って近付いた。その後をハネコが追った。
スバルとユウスケは、お歯黒という儀式に男性である自分たちが居合わせていいのか分からず離れて見守ることにした。

噂通りの白塗りの顔は心なしか虚けて見えた。
ニタニタと笑えば気味が悪いかもしれないが、何を話しかけても口を真一文字に結んだままで微動だにしないのも困ったものだ。
一筋縄ではいなかないと予想していたユミとハネコは目配せした。
ーーあの作戦でいこう。
ユミが口を大きく開いた。
ハネコがその歯につやつやとした黒い液体をのせる。
練習よりもずっと手早くきれいに塗れた。
ユウスケが遠くから「ややっなんと美しい」と掛け声をかけると、突き動かされるようにお歯黒べったりが踏み出した。
自分も、と言うように口を横に開き、ハネコの方を向く。ところどころ白くなった歯はぼろぼろで、これは何とかしなくてはとハネコは奮い立った。
「乾くまで口を閉じちゃダメだよ」とユミに言われてこくんと頷く姿は可愛かった。
じわじわと距離を詰めていたスバルとユウスケも、気付けば全員お歯黒になった。

「せっかくだし写真でも撮ろうか」
ユウスケが手を伸ばして使い捨てカメラのレンズを自分たちの方に向けてシャッターに指をかけた。
「ハイチーズ」

*   *   *

実家でアルバムを整理していたツバサは1枚の写真に目を止めた。小さい頃は、この写真が怖くて仕方なかった。
右側に男性の顔のアップ、その横に女性が2人、その後ろに男女2人。全員がお歯黒である。
その昔母が「真ん中のこの人はこの世の者ではないんだよ」といってツバサを震え上がらせた。

角隠しで半分隠れた顔は、この世の者ではないような気もするし、幽霊や妖怪のコスプレにも見える。
例えば文化祭で、お化け屋敷の幽霊役の友人と撮影したものかもしれない。
母も友人のユミさんも、つけまつげや極太のアイラインを駆使しており、当時は流行していたかもしれないがツバサにとってはお歯黒同様に違和感がある。

ドアをノックする音が聞こえて、とうの昔につけまを卒業した母が顔をのぞかせた。
「またその写真見てたの」
オカ研の武勇伝として、この写真にまつわる話をツバサは何度も聞いている。
それでも尋ねずにはいられない。
「この着物の人、なんでお歯黒が取れたんだっけ?」
「だから魚よ魚。近所の人が七輪で焼いた魚を振る舞ってくれて、美味しかったんだろうね、かぶりついちゃって。それで取れたらしいの」
「そこが雑なんだよな〜」
ツバサが笑いながら不満を口にする。
「雑ってなによ。本当のことなんだから」
「そんな豆腐で歯を痛めるような話、信じられるか」
「豆腐じゃなくて秋刀魚よ」


※豆腐で歯を痛める…ありえないことのたとえ

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