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貂しき

落語:転失気
妖怪:貂(てん)

身体はイタチに似ているが、さらに大きい。貂の出現は縁起の良くないものといわれ、狩人の間では貂が前を横切ると獲物が獲れなくなる、などとされている。また三重県の伊賀地方では「狐七化け、狸八化け、貂の九化け、やれ恐ろしや」という言い伝えがある。これは貂が人をだますときに九種類にも化けるということで、狐や狸よりもさらに一枚上手であることをあらわしている。

妖怪ビジュアル大図鑑/水木しげる

貂と狐と狸が話し合っていた。
「我らほど化けるのがうまい妖怪は他にいないというのに」「そのとおり」「なぜあの和尚はいつだって我らの正体を見抜くのだ」「まったくだ」「和尚こそ妖怪ではないのか」「ちがいない」「明日こそ完璧に騙してみせよう」

翌日、寺に子どもが3人やってきた。
「迷子だよう」「お腹すいたよう」「木の実とってほしいよう」

道之助はやれやれまたか……とため息をついた。
「おまえたちも暇だな。貂よ、なぜ小さな子どもがそのような絢爛な脇差を持っておるのだ」
「かっこいいだろ」
「狐よ、その長い髪はどこまで続いておるのだ」
「20尺はあるよ」
「狸よ、なにか着ろ」
狸はもぞもぞと陰嚢を広げ、ふわりと羽織った。

「さあ帰った帰った」
「またしても」「ばれてしまった」「我らは完璧だったのに」

森へ散った三匹を見ながら道之助は苦笑した。
そもそも、こんな山奥の荒れ寺に訪ねてくる人間などいないのだ。
初めこそ追っ手の者かと身構えたが、現れたのは平安貴族のような出で立ちののっぺらぼうであった。
道之助にとっては賭場にいるような人相の悪い男より、のっぺらぼうの方がずっとましだった。
かえって冷静でいられたため、たまたま道中見かけた貂を思い出し、問いただしたところ先方が慌てふためき正体を明かした。
この件でなぜか懐かれてしまい、時々こうして狐や狸を伴って道之助を化かしに来る。

しばらく佇んでいると、先ほどの素っ裸の子どもが陰嚢を腰に巻いて戻ってきた。
顔を見れば目のまわりが黒くなっている。

「やあ狸、どうした?」
「和尚に相談がある」
「何度言ったら分かるんだ。俺は和尚じゃない。廃寺に勝手に住み着いている流れ者だよ」
「では流れ者」
「いやその呼び方はやめてくれ。道之助でいい」
「では道之助、私はもっとうまく化けたい」
「じゅうぶんうまいじゃないか」
道之助は笑いを噛み殺した。

「道之助はなぜ分かるのだ。我らを」
「俺は昔から目が良いんだ。観察眼が鋭くてね」
ーーだからこそ、しくじってここにいるのだが。

「それはどうしたら鍛えられるのだ」
「こればっかりは生まれつきだ。俺には兄がいるが、兄の方はそのへんさっぱりだったな」
口を衝いて出た兄という言葉が胸の痛みを誘発する。

「道之助はそんな才を持って生まれたのか」
「才って……それほどのもんじゃない」
「物事を見抜く力は才であろう」
「そのせいで厄介な目に遭ってしまった」
「それは才のせいか?」

博打で膨らんだ借金も、最後と意気込んだ勝負でイカサマを見抜いたと大暴れしたことも己の浅慮ゆえ。
辛抱強く支えてくれた兄の顔も見ずに逃げてきてしまった。

「道之助は今からでもやり直せる」
「はっ狸になにが分かる」
「わっはっは、自惚れるな」
子どもがにやりと笑い、貂の姿に戻った。

道之助はがくりとうなだれた。
「狸に化けるとは卑怯だぞ」
「卑怯なものか。道之助には深慮が足りない」
「そっちの才には恵まれなかったんだ」
「てんは二物を与えず、と言うからな」

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