夢芝居
精神病院の作業療法には、カラオケがある。
かつてわたしはカラオケが大好きだった。
歌うのも、聴くのも好きだった。
カラオケの時間、わたしがいつも惚れ惚れと聴き込んでいたのは、YさんとNさんの歌声だった。
選曲も良かったのかも知れない。
わたしは昭和生まれだ。
Yさんの十八番は「22才の別れ」、Nさんの十八番は「夢芝居」だった。
懐メロだ。
ふたりとも、声がとても良かった。
わたしよりいくぶんか歳上で、
「大人っていいな」
と思わせてくれたふたりだった。
Yさんに会うことは、もうないだろう。
Nさんに会うことは、もう決してない。
もう、亡くなったのだから。
Nさんを思うと、あの病院のカラオケの時間を思い出す。
いつもいつもボードに名前と「夢芝居」とを書き、順番が回ってくると、惚れ惚れするような低音ボイスで歌いこなしていた姿を思い出す。
Nさんは、わたしの憧れだった。
そしてYさんも。
Yさんは元気かな、そんなことを思った。
あの頃もう、スムーズな意思疎通も難しいほどの状態だったから、今どうなってるのかわからない。
遠く離れてしまった誰かが、わたしの
「カブトムシ」
を思い出すことは、あるんだろうか。
わたしがYさん、Nさんを思い出すように、わたしのことをどこかで思い出してくれる誰か、そんな人もいるんだろうか。
いてくれたらいいな、という気持ちもある。
いてくれなくていいよ、わたしのことなんかみんな忘れてくれよ、という気持ちもある。
どちらも、わたしのほんとうの気持ちなのだろう。
あの病院の作業療法室に流れていた、Nさんの歌う「夢芝居」を今夜はもう一度頭の中に流してから眠ることにしよう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?