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もう会えないあなたを思いながら(わたしの闘病歴)

精神病院に入退院を繰り返すようになり、10年たった頃だった。
幻聴、妄想が現れた。
ファミリーレストランでの無銭飲食、コンビニでの万引きなどの問題を起こし、そのたび1年以上の長期入院になった。
精神病院には、隔離室、という部屋がある。
簡単に言えば、外からだけの鍵で閉じ込められ、トイレと布団しかない部屋だ。
わたしは隔離室で裸になり、運ばれてくる食事を投げ捨て、院長に向かって、ブス!ブス!と叫び、看護師の顔にコップの水をかけていた。
隔離室での生活は、数ヶ月ほどのときもあった。
そして、その長い隔離生活のあと、わたしは5階の病棟に移された。

5階の病棟は、病院でいちばんの重症患者が集まる場所だ。
不思議とそこは、楽しかった。
みんな自分のことしか考えていない。
楽しければそれでいい。
いじめも派閥もなく、みんなピュアだった。
そんな中、わたしの担当看護師が決まった。

担当看護師のYさんは、最初はわたしと距離を置いていた、という。
けれど、日が経つにつれて、親身になってくれるようになった。
Yさんは、わたしの担当を命じられたとき、看護主任にこう言われたという。
「とりこさんは、病院が本物の精神病にしちゃったかもしれんですよ。
しっかり話を聞いてあげてください。」
主任は、Yさんよりずっと以前から、わたしを知っていた人だった。

Yさんは、わたしの実家を見た。
これまで、医師も看護師も知らなかった、実家の実情を知った。
Yさんは、わたしの心の傷を知って、涙が出た、と言った。
そしてある日
「交換日記しよ!」
と言って、わたしに新品の大学ノートを渡した。

わたしは毎日大学ノートに文章を書いた。
Yさんは、わたしの書くことを、どうせ妄想だ、と流し読みすることはなかった。
ときどき、Yさんは、ノートを読みながら泣いてくれていた、という。

入院中、今後実家と距離を取るために、成年後見人の手続きを進めていった。
手続きは、かなり殺伐としたお役所仕事だった。
厳しいことをバシバシ言われたけれど、わたしはそういったシチュエーションには慣れていた。
病院のソーシャルワーカーも、平気な顔をして、厳しいことをバシバシ言った。
そんなもんだ、と思っていた。
けれど、手続き上の話し合いのあと、看護主任はわたしに言った。
「かわいそうに、きつかったろう」
ホッとしたのかも知れない。
涙が出た。
主任の前で号泣した。

実家との距離を取るために、もうひとつわたしが希望したことは、グループホームへの入居だった。
家族ではない保護者がほしかった。
そして、グループホームへの退院が決まった。

隔離室でサルのように振る舞っていたわたしが、ここまで回復したのは、5階の看護主任、そしてYさんが親身になって看護してくださったからだろう。
そして、慣れないグループホームに怯え、何度も不安定になったわたしが、今こうして楽しく暮らせているのは、グループホームの社長が何度でも面談してくださったからだろう。
わたしは、周囲に支えられて正気を取り戻し、なんとか生きている。
Yさんはわたしに言った。
「あなたもいつか、人に頼られるあたたかい人になってほしい」
Yさんに会うことは、もうないだろう。
けれど、その言葉を忘れることなく生きていこうと思う。



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