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インフルエンサーにインフルエンスされるって、幸せ?

すごく久しぶりに、昔好きだった人の文章を読んだ。
恋愛感情ではなく、人として好きな人。憧れに近いのかな。年齢が少し上の女性、今の言い方ではインフルエンサー。なんだか、惹かれる人。

変わらないな、と率直に感じた。

心の底からスコンと文字に変換していく感覚。読んでそのまま、ダイレクトに伝わってくる思い。味わい深い詩のような言葉の使い方。快感だ。

ずっと読んでいたいと思った。
ずっと読んでいるのは危険だとも思った。

今日に至るまで、この数年間その人の文章や発信を見ていたなかったのには理由がある。
今で言うところのインフルエンサー。追いかけ続けると、お金がかかるということ。紹介する商品。紹介する人物。その人の著作。その人の文章の虜になってしまうと、やはり試したくなってしまうのだ。
それで実際、追いかけ続けていた過去には数十万円くらい使ってしまった実績がある。

それほどまでに好きだった人。熱狂した人。

好きでいることを辞めた理由は「資金が尽きたから」というのも大いにある。まだ社会に出たてだったあの頃、毎月の家賃をやっとのことで支払っていたっけ。

ただ、今日まで忘れるほど心が離れてしまった大きな理由は、その人が持ち込もうとしているビジネスの方向性に違和感を覚えたから。その人の文章や考え方、つまり「言っていること」は好きだけど、それらを通して読者やファンと繋がる仕組みというかビジネス、つまり「やっていること」は好きになれないと感じた。

そんなにみみっちいことしないでよ。提示している通り、大胆に生きてみせて。

そう、私は失望したんだ。どんなに格好いいことを言っていても、小銭をかき集めるように曲がった背筋を見てしまうと、憧れは維持できない。

憧れを、持っていたかったんだな。
憧れを、再び探ろうとしているんだな。

現在の立ち位置に気づけたから、ここに記す。

憧れへ向かって、持ちうるだけのお金を費やしたところで、それは憧れの感情を強めるだけで、憧れの人物と同じ場所に立てることなんて決してない。
と、頭では分かっているのだけど、それでも。
憧れへ向かってお金を費やすことそれ自体は、最高に気持ちいいよね。一瞬だけでも夢に溶け込めるような、疑似体験ができるから。人生でほんの一瞬なんだけど、クセになる高揚感があるよね。

Instagramであの人が紹介していたコスメを買うとき。
Twitterであの人が紹介していたお店に入るとき。
Facebookであの人が紹介していた観光地へ行くとき。
YouTubeであの人が紹介していた本を読むとき。

お金と引き換えに憧れの世界と同化する快感、プライスレス。いやいや、しっかりプライスロス。お金はかかるし時間もかかる。実生活を満たしていきたいならば避けたほうがいい道であることは確か。

実生活を満たすために憧れるのか、憧れるからいつまでも実生活が満たされないのか。はてさて。

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