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エヴァは知恵で、人間は理性で、誘惑されて、神に背き、同じ罪を犯す

1、正しさの判断
理性の正しさを誰が判断するのか。
理性の正しさをどうやって判断するのか。
何をするにしても、こういう問題が常に付きまとう。
理性だけではなく、何事も「〇〇の正しさを誰がどうやって決めるのか」という問題は、常に起きる。
多数決で決めると、それは理性主義ではなく、タダの多数決主義であり、理性でも何でもない。

2、エセ理性
理性と言っても、実際は損得だったり、虚栄心だったりする場合は、理性ではなくエセ理性である。
理性が良いモノのように洗脳して、実態はエセ理性でしかなくて、損得や虚栄心で支配される。
こういうエセ理性で洗脳して、言論封殺したり、思考制御したり、価値観を捻じ曲げる。
エセ理性を理性だとすり替えられて、損得や虚栄心なのに理性だと間違えて、エセ理性を理性と間違えて理性的な自分に酔ってしまう。
こうなると、もはや理性カルトである。

3、理性カルト
カルトの問題でもそうだけど、誰がそれを正しいと決めるのかが判らない事が問題になる。
カルト集団の場合は、大抵は上層部が決める。
理性の正しさを決めるのは、大抵は「世論を誘導する権力を握っている存在」が勝手に捻じ曲げて決める。
こういうわけで理性を信じている人間は、騙されて地獄へ落ちる。

4、人間の限界
聖書なら天の主が正しいで決着が付くけど、人間が何かを正しいと決めるのは不可能である。
人間の理性で物事の正しさを決めるのは「傲慢」である。
傲慢は、神が忌み嫌うモノだ。
世から出たモノを愛してはならないと書かれているのは、地上から出たモノは全て間違っていて、人間を不幸にするからだ。

世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。
なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。

ヨハネの手紙1 2章15節16節 新共同訳

エセ理性の損得や虚栄心は、世から出たモノだから愛してはならない。
「世」とはサタン側の策略である。
理性の皮を被ったエセ理性に騙されてはいけない。エセ理性は、損得や虚栄心である。

5、理解しようとするな
どうして、理性的なモノに、そこまで執着するのだろうか。

お前の力に余ることを理解しようとするな。
また、手に負えないことを探究しようとするな。
お前のために定められていること、
それを熟慮せよ。
お前に示されていないことを知る必要はない。
できないことに手を出すな。
お前に示されたことは、
既に人間の理解を超えたものなのだから。
多くの者が早合点して道を誤り、
誤った推測で判断をゆがめてしまった。
〔目がなければ、光を見ることはできない。
知識がないのに、知ったかぶりをするな。〕

ベン・シラ 3章21節25節 新共同訳

何でもかんでも理解しようとするのは、理性に執着しているのではないか。
他人に、理性的だと思われたいだけではないのか。

聖書には、自分の道、自分の十字架を背負えと書かれている。
他人の期待を気にするな。

6、エセ理性カルトのディストピア
エセ理性を絶対視するティストピアに住んでいるのが我々である。
カルトに所属している人間は、自分がカルトに所属している事に気が付かない。
社会は正しいと思い込んでいるみたいだけど、実際はエセ理性カルトによるディストピアに住んでいる。
ディストピアに住んでいる人間は、自分がディストピアに住んでいる事実を認識できない。
ディストピアによる洗脳から脱出するには、聖書を読む必要がある。

7、金は出さない
理性による選択で失敗して損害が出ても、理性社会が損害を穴埋めしてくれるなら、理性主義も許される。
しかし、理性による選択を、損をした人間が自分で穴埋めするなら、理性の必要性が全くない。
本人に損害を押し付けるなら、何とでも無責任な事を言いたい放題できる。
理性主義を盾に使って、金を出さないで、口を出す口実にする。
お為ごかしで、あなたのためとか言って、金を出さないで口を出す。
他人に口を出す事そのものを快感にしている人間は、世の中に存在するから、気を付けた方が良い。
金を出さない人間の言う事は、聞く価値がない。
成功したら手柄を横取りして、失敗したら本人に原因を擦り付けて、知らん振りしてバックレるのが、エセ理性カルトの性根腐れである。
損失を補填しない人間の言う言葉には、何の価値もない。
天の主が言う事なら、従えば、この世で何倍も見返りを得られて、死後も何千無量大数世紀に渡る幸せと恵みと喜びを与えられるから、神の言う事を聞く価値は無限大である。
俺も毒親と金銭トラブルがあったけど、神を信じて、毒親の悪行を糾弾したら、毒親の方から逆上で縁切りしてきて、使える金が9倍にも増えた。

新約聖書:マタイによる福音書:19章:29節
おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。
新約聖書:ルカによる福音書:18章: 29節
イエスは言われた、「よく聞いておくがよい。だれでも神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子を捨てた者は、
新約聖書:ルカによる福音書:18章: 30節
必ずこの時代ではその幾倍もを受け、また、きたるべき世では永遠の生命を受けるのである」。

神に従って、迫害で殺されたら殉教になり、天国へ入れて、無限の喜びと恵みと幸せが与えられるため、神の言う事を聞く価値はある。

8、神から引き離す
理性をでっち上げたサタン側は、人々を神から引き離すために、人間の理性で物事を決めて、神の掟を破らせようとしている。
神から引き離した後は、理性を変質させて、すり替えて、エセ理性を理性のように捻じ曲げて、損得や虚栄心で洗脳する。
草食獣を群れから一匹だけ引き離してから、餌食にする肉食獣のような狩りをする。
引っかかった人間から、地獄へ道連れにされる。

9、聞こえの良い
理性などという聞こえの良い言葉で誘惑されて、神を裏切る。
エヴァも知恵や分別を手に入れて、神のように物事を判断できるようになりたかったのだろう。
理性という言葉に騙された人間も、エヴァと同じように自分の力で何かをやろうとしているから、エヴァと同じ罪を犯している。
知恵・分別・知性・理性などは、要するに同じ意味である。
単語を変えられただけで、判らなくなる人は、理性が足りない。
理性を主張する人ほど、理性が足りないのはよくある事。
正義を主張する人ほど、正義が足りないのはよくある事。
悪人を糾弾する人ほど、悪行をしているなんてのはよくある事。

10、才能の私物化
体力に溢れた人が活動的に真実を教えに来て欲しいと思っている人は、体力のある人が真実を知ると思うのだろうか。
体力に恵まれた人間というのは、大抵は、体力の上に胡坐を掻いて、真実を知る努力をしない。
なぜなら、体力だけで人生のほとんどが上手くいくから、ワザワザ真実を知ろうなどという気が湧かないからだ。
モーセが真実を知る事ができたのは、口下手だったからだ。
ただし、口下手では人々に説明できないから、話術に優れた兄のアロンを神が用意した。
兄のアロンは、弟のモーセのおかげで、真実を知り、司祭の地位に就いた。
話術に優れた人は、話術で大抵は上手くいくから、真実を知る気が湧かない。
勉強の才能に恵まれた人は、勉強で大抵は上手くいくから、真実を知る気が湧かない。
神が「才能を私物化するな」と聖書に書いたのも、才能を私物化すると、その才能の上で胡坐を掻いて、世の中の真実を知る思考力がなくなるから、警告したのだろう。

あなたは、「自分の力と手の働きで、この富を築いた」などと考えてはならない。
むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである。

申命記 8章17節18節 新共同訳

自分の力で出世したと思い上がると、思考停止に陥る。
傲慢は、神が忌み嫌うモノである。


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