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テレビ衰退の主犯 犯罪芸人と世間の共依存しっぽ切り ノアと貨幣経済 数十億人の罪を背負う 軽い信じる

1、テレビ衰退
テレビ衰退の原因は、テレビ局員にテレビ局やテレビ業界を守る義務がないから。

テレビ局員は、テレビ局の信頼性を守る義理がないし、義務もないし、利益もない。
テレビ局を出世の踏み台に利用しているだけだから、テレビの信頼性を守る気がない。
だから、テレビ業界は衰退する。
昔は、テレビ以外で人々を洗脳する手段がなかったから、仕方なくテレビを権力者が使って、テレビ局に力を与えた。

テレビ局員は、テレビ業界の信頼性を守るための自己犠牲をするよりも、テレビ業界を食い潰した方が利益になるから、食い潰す。

そもそも、人間の何かを守る本能は、神の掟を守る本能である。
神の存在を消されて、神に気付けなくなって、神の掟を守って満足する本能を満たせなくなると、何らかの代替行為として神の掟以外を守るようになる。
テレビ局員はテレビ局やテレビ業界を守るのではなく、自分を守るようになる。
ただし、自分を守っても「神の掟を守る本能」を満たす代わりはできなくて、いつまでも飢餓感に苦しむ。
本能を満たせないのは、食欲や睡眠欲を満たせないようなモノで、いつまでも苦しむ。

2、世間と犯罪芸人は共依存
世間が犯罪芸人を歓迎するから、被害者がシワ寄せされる。
世間自身が世間の評価を絶対視する芸人を求めている。
世間を絶対視する芸人が存在すると、世間は自分たちに存在価値があると感じられるからだ。
犯罪芸人と世間は、完全に共依存の関係になっている。
犯罪芸人に限らず、世間を絶対視するタレントを世間は求めている。

被害者が被害かどうかを決める権限がなくて、加害者と「共犯者の世間」が被害かどうかを決めるから、犯罪が野放しになる。
世間が共犯者になったら、民主主義のこの国で、被害者はどうやって救済されるのか。
今まで世間の老人が犯罪芸人を庇ってきたけど、寿命で死んで入れ替わったから、今回は懲罰するようになった。しかし、世間が善悪を決める構造は全く変わっていないから、似たような犯罪が発生する。

犯罪芸人とカトリックは同類だから、偽装キリスト教団のカトリック・プロテスタント・正教を糾弾しない人間は、犯罪芸人の糾弾もしない。
女を差別する人は、女が被害者だと加害者を糾弾しない。
今回の事件の加害者は、犯罪芸人を庇う8年前の世間も含まれるから、世間を糾弾しない人間は、女を差別している。
昔は犯罪芸人を世間が庇っていたから同罪。
今回の事件は、犯罪芸人だけを叩いてウヤムヤにするトカゲのしっぽ切りである。昔の世間を糾弾しないと、次も同じトカゲのしっぽ切りをする。
今の世間が誰かの犯罪を庇って、次の世間が犯罪者一人を糾弾してウヤムヤにするトカゲのしっぽ切りになるだろう。
構造問題に取り組まないのは、再発防止をする気がないと判断される。
犯罪者と世間が結託して被害者にシワ寄せをしていたのが構造問題だ。
罪(構造)を憎んで、人(加害者)を憎まずなのか。
人(加害者)を憎んで、罪(構造)を憎まずなのか。
世間の人間は、被害者にシワ寄せをする考え方を放棄しないと、また何らかの被害者にシワ寄せをするつもりだと、判断されても仕方がない。

世間の人間は、トカゲのしっぽ切りを自分でやっているくせに、自分の事は棚に上げて、政治家がトカゲのしっぽ切りをするとケチを付ける。
自分のやっている悪行は、他人もやるモノだ。

3、悪に悪で報いる
悪とは、地獄へ落ちる行為の事である。

世間が犯罪芸人の犯罪を正当化しても、犯罪芸人の罪は赦されないで地獄へ落ちる。
世間は犯罪芸人を地獄へ落とすために、犯罪芸人の罪を正当化して堕落させているのだろうか。
悪に対して悪で報いてはならないと聖書に書いてある。

新約聖書:ペテロの第一の手紙:3章:9節
悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。

悪人に対して、「地獄へ落とす悪」で報いてはいけない。
悪人が地獄へ落ちるような悪行をしているからといって、その上に掛かってさらに、地獄へ落ちるような甘やかしで唆してはいけない。
犯罪芸人が犯罪をしていたら、甘やかしてはいけない、庇ってはいけない、正当化してはいけない。それは悪を以って悪に報いているからだ。

4、責任転嫁
世間が罰しないからといって罪がなくなるわけではない。
世間が罰しなかったから罪に気付かなかったというのは、世間に責任転嫁している。
エヴァは、蛇が悪いと言って責任転嫁したら、楽園から追放された。
世間に責任転嫁すると、他人がお前を世間と見なして責任転嫁をするから、世界数十億人分の罪を背負う事になる。

世間が悪いと言う代わりに、サタンが悪いと言えば良い。
実際にサタンは全ての国を支配しているからだ。
この世の命令系統は、神➝人間➝サタン➝闇の勢力➝権力者、という順番になっている。
神は間違えないから、人間の悪心をサタンが読んで、闇の勢力に命令して、権力者が実行する。
人間の悪心を改心したら、この世の問題はすべて解決する。
サタンが悪いと言えば、そのうち人間の悪心が原因だと気付く。
エヴァはサタンに責任転嫁して楽園を追放されたけど、人間はサタンに責任転嫁しても、そのうち自分の悪心が原因だと気付く。

5、危機感
犯罪芸人の加害による被害者の女は、正常性バイアスで自分だけは大丈夫と思っているから被害に遭ってしまう。
こういう危機感のない人は、今回の事件がなくても、何らかの詐欺の被害に遭う。
今回の事件で矢面に立たされて危険だし、他の事でも被害に遭いそう。
女を差別している人間は、女がまた被害に遭ってもどうでもいいと思っているから、女の危機意識の無さを咎めないし、直そうとしない。
女を犯罪芸人を潰す鉄砲玉の扱いをしているから、女の危機意識の無さを女に教えない。
味方の振りをする悪人が最も質が悪い。
味方の振りをしたスパイや裏切り者は国を亡ぼす。

6、弱者の証言
娼婦の証言は、本当に自主的に言うかどうか怪しい。
世間に受け入れられるような発言を意図的にする危険性がある。
世間がそういう風に娼婦を威圧しているから、委縮している。
弱者の証言は、強者に強要されて言わされている危険性があるから、その分だけ差し引いて解釈する必要がある。

7、日本の犯罪
日本の犯罪者が外国に比べて弱いのは、軽い気持ちで犯罪をするから。
キリスト教圏は、偽装キリスト教団とはいえ、天の主の存在を認識しているため、その神に逆らってでも犯罪をしないといけないほど追い詰められているから、とんでもなく強い犯罪者になる。
日本の場合は、神に心の中まで見破られているとは思っていないし、地獄なんか存在しないと思っているから、軽い気持ちで犯罪をするため、弱い犯罪者になる。
キリスト教圏の犯罪者は、地獄で焼かれ続けるのを覚悟してでも犯罪をするから、強い。
無宗教者は、犯罪を刺激的な小旅行ぐらいにしか思っていないから、軽々しい。

8、死刑と終身刑
死刑の数時間前に改心したら天国へ入れるけど、終身刑の場合は数時間前に改心しても天国へ入れるかどうかは判らない。
改心したら天国へ入れるけど、どの程度の信仰生活の年月を過ごす必要があるか。

9、貨幣経済
獣の刻印で売り買いができなくなるのは、貨幣経済が崩壊して物々交換になるのだろうか。
この世は神に創られてから6000年だから、原始時代など無いから、原始時代の物々交換など存在しない。

ノアが「奴隷となれ」と言うから、何らかの貨幣経済が成立している。

こう言った。「カナンは呪われよ、奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」
また言った。「セムの神、主をたたえよ。カナンはセムの奴隷となれ。
神がヤフェトの土地を広げ(ヤフェト)セムの天幕に住まわせ、カナンはその奴隷となれ。」
ノアは、洪水の後三百五十年生きた。

創世記 9章25節から28節 新共同訳

奴隷の存在は、奴隷商人が存在していて、奴隷の売買だから貨幣経済が成立している。ノアの箱舟の後でノアが生きている内に、既に貨幣経済は成立している。
350年も生きていたら、人口は一億倍ぐらいに増える事も可能である。8人が8億人になってもおかしくはない。
ノア達の8人以外にライバルは居ないし、税金もないから、人口増加はすさまじい勢いで増えていく。

奴隷と品物を物々交換するのは、ちょっとキツイ。
奴隷の物々交換でなくても、奴隷以外の物々交換も、物々交換の時点で不便だから面倒な取引になる。
作物一山と奴隷の物々交換はある事はある。
ただ、それだけの交換が発生すると、貨幣経済もそれなりに成立する。
金銀宝石が安定して算出されたら、すぐに貨幣経済になる。
金銀が足りないから、仕方なく物々交換をしているだけだ。
物々交換をしている人は、できるなら金銀で貨幣経済をしたいと思っている。
その貨幣経済をしたいと思う心を「獣の刻印」で消滅させるのだろうか。

10、戦争ニューディール
愛国という名の亡国の徒は、ワザと戦争させて、他人の足を引っ張る。
社会をリセットして、ニューディールをするつもりなのだろう。

11、乱発
訴訟を乱発している発信者は、行政か立法府の手先だから、訴訟乱発で司法リソースを消耗させて、司法を潰したいのではないだろうか。

12、迷惑な信仰
妙な液体の推進派は虐殺犯だけど、何でもかんでも押し付けるのは、いただけない。
殺人犯には、殺人した事に対してだけ責任を取らせればいい。殺人以外の事まで背負わせるのは、余計な事である。

「信じて注射した人に寄り添えないのか」と推進派に詰め寄る人が居るけど、こんな人に信じてもらっても迷惑だろう。
「信じる」という概念が軽い人だ。
「信じる」というのは、地獄で千年焼かれるに関わる重要な概念だ。
「信じる」という言動や気持ちが軽々しいから、騙されるのだろう。
こんな軽い気持ちで信じてもらっても、迷惑だろう。
まず、自分が相手を信じても、相手にとって迷惑にならない人間かどうかを省みるべきだ。
そういう事を普段から考えないから、騙される。
自分に価値があるから、信仰されても迷惑ではないだろうという思い上がりが感じられる。
「この私が信じてやっているんだぞ」という思い上りがある。
思い上がっていると騙される。
その思い上がりの気分まで犯人に背負わせるのだから、「どういう事だよ」と思う。
詰め寄る人は、自分が何をやっているのか判っていないから、騙されるのだろう。

信じていい相手は天の主だけなのだから、神以外を信じるとか言っている人間は、信じるを軽々しく考えすぎていてウンザリする。
信じるというモノが「すごい」とか「すさまじい」とかの形容詞の一種と思っているのだろうか。

サタン側は、サタン側の推進派の自分たちを信じる人間を軽蔑する。
なぜなら、神を信じる事をやめさせるために、信じる行為を軽々しいモノと考えるように洗脳したのは、サタン側だからだ。
神以外を信じる事は人間には不可能だから、サタン側を信じるなんて言っても実行不可能だから、そんな実行不可能な信じるを言われても、ウンザリするに決まっている。
天の主以外を信じるなんて言っている人間は、見下される。
天の主を信じる信者を信じるのは、見下されない。

天の主なら、誰が信じに来ても迷惑だと思わない。
誰が信じに来ても、天の主は喜ぶ。
神を信じる段階になると、思い上がりも直っている。

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