見出し画像

多数派に帰属すると多数派の罪を背負う

1、自分の十字架
聖書で自分の十字架(罪)を背負いなさいと書いてある。

新約聖書:マタイによる福音書:10章:38節
また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
新約聖書:マタイによる福音書:16章:24節
それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
新約聖書:マルコによる福音書:8章:34節
それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
新約聖書:ルカによる福音書:9章:23節
それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
新約聖書:ルカによる福音書:14章:27節
自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない。

また、自分の道を歩めと書いてある。

旧約聖書:箴言:3章:23節
こうして、あなたは安らかに自分の道を行き、あなたの足はつまずくことがない。
旧約聖書:箴言:14章:8節
さとき者の知恵は自分の道をわきまえることにあり、愚かな者の愚かは、欺くことにある。
旧約聖書:箴言:16章:9節
人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。
旧約聖書:箴言:16章:17節
悪を離れることは正しい人の道である、自分の道を守る者はその魂を守る。
旧約聖書:イザヤ書:53章:6節
われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
旧約聖書:ヨエル書:2章:7節
彼らは勇士のように走り、兵士のように城壁によじ登る。彼らはおのおの自分の道を進んで行って、その道を踏みはずさない。

わたしの道とも書いてある。

旧約聖書:創世記:24章:56節
しもべは彼らに言った、「主はわたしの道にさいわいを与えられましたから、わたしを引きとめずに、主人のもとに帰らせてください」。
旧約聖書:サムエル記下:22章:33節
この神こそわたしの堅固な避け所であり、わたしの道を安全にされた。
旧約聖書:詩篇:18章:32節
神はわたしに力を帯びさせ、わたしの道を安全にされました。
旧約聖書:詩篇:39章:1節
わたしは言った、「舌をもって罪を犯さないために、わたしの道を慎み、悪しき者のわたしの前にある間はわたしの口にくつわをかけよう」と。
旧約聖書:詩篇:119章:5節
どうかわたしの道を堅くして、あなたの定めを守らせてください。

このように、天の主は、人々に対して、自分の道を歩めと言っている。
自分の道を行くにしても、聖書を自分で読んで、自分で解釈する時に、答えに詰まる場合は、他の信者の解釈を参考にしてみるのは良い。

多数派・集団・大衆・世論に帰属しろなどと神は言っていない。
それどころか、世を愛してはならないと言っている。

新約聖書:ヨハネの第一の手紙:2章:15節
にあるものとを、愛してはいけない。もし、を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。

多数派に迎合して従うと、天の主の愛は、その人の内にない。
愛とは、天国で一緒に暮らす事を望む意味がある。
そのため、神の愛がないとは、神はその人と天国で一緒に暮らしたくないと言っているから、天国へ入国できない。
多数派に迎合して従うと、昔と今の世界中の多数派の罪を背負う事になり、罪が多い人間を天国に入国できなくなる。
人類は、エヴァやアダムの罪も背負っているのだから、自分が犯した罪でなくても罪は感染しやすいため、下手に多数派に帰属すると多数派の罪まで背負うハメになる。
世間に迎合するという事は、迎合は支持や命令でもあるため、世間が犯した罪は、自分が命令した結果と見なされる覚悟で迎合するように。
自分が悪行を直接やってない、などという言い訳は通用しない。
俺も知らずに世間に迎合していたかもしれないから、謝罪する。申し訳ありませんでした。反省して、これからは世間の言う事を蹴散らす。

2、従う
なぜ、天の主は、世間に従ってはならない、という書き方をしたのか。
それは、「世間に命令してはならない」などと書くと、人々は「自分は世間に命令していない。世間に従っただけで罪はない」と勝手に解釈を捻じ曲げるから、神はワザワザ「世間に従ってはならない」と書いたのである。
「自分は世間に命令していない」と勝手に思い込んで、そのまま背教を続ける危険性が確定している。
「自分は世間に命令していない」と勝手に思い込んで、最後の裁きで言い逃れをするのが確定している。
単語を変えただけの意味のない言い逃れをするのが判り切っているから、あえて従ってはいけないと書いたのだろう。
「自分は世間に迎合していない」「自分は世間に同調していない」「自分は世間に命令していない」「自分は世間に支持していない」「自分は世間に圧力を掛けていない」などと言い訳をするのが無宗教者だ。
従うという事は、迎合・同調・命令・支持・圧力などと同じである。

3、言い逃れ
なぜ、こんな言い逃れをするのか。
それは、サタン側に洗脳されているからだ。
言い逃れで上手く行く成功体験を味わわせて、何でもかんでも言い逃れできると洗脳して、死後の最後の裁きでも言い逃れをすればいいと思い込ませて、地獄へ道連れにする。
言い逃れ主義者は、自分がサタン側に洗脳されて、地獄へ道連れにされている事を自覚した方がいい。
言い逃れで上手く行く事を目的にしていなくて、言い逃れそのものが目的化している人間が存在する。
言い逃れそのものが成功するために、ワザワザ問い詰められるような問題行動を起こす。
世の中には、モノを言って利益を手に入れる事よりも、モノを言う事を目的にしている人間が存在する。
モノを言って気持ちよくなる事を目的にしているから、存在自体が邪魔である。
こういう人間は、問題が無くても、問題を捏造するから、相手するだけで害悪になる。

4、正義
神以外に正義はない。
神以外に正義を求める人間は、正義そのものを道具にして気持ちよくなりたいだけである。
そういう生き方は、時間をドブに捨てる。
正義中毒で時間を無駄にする。
神を信じたら、時間を無駄にしない。

5、信者(義人)
信者は信者以外を軽く扱うし、サタン側も信者以外を軽く扱う。
信者が0人になると、ソドムとゴモラのようにこの世が滅ぼされて、最後の裁きが前倒しになるため、サタン側は信者を殺さないようにシステムを作る。
信者と信者以外の区別が付きにくいから、信者以外もそれなりに死なないようにシステムを作る。そのシステムが自然権・憲法・人権などである。
何百回何千回もクリスマス・ハロウィン・バレンタイン・参拝・銀河宇宙・球体地球・ウィルスなどの悪魔崇拝をするような人間は、神に立ち帰らないと判断して餌食にする。
購入履歴とか、監視カメラと照らし合わせて、誰が悪魔崇拝の商品を買ったか判るようになっているから、回数が多くなると餌食のターゲットにされる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?