営業がフリーエンジニアになった理由

証券会社の営業をしていました。

当時勤めていた会社では顧客の残高管理はいちいちデータを印刷してから、それを見ながら電話して計算機を叩きながら提案していたわけですが、ある日顧客管理システムが導入されて、PCで現在残高や売買シュミレーションしながら案内できるようになったのです。それは真っ黒い画面に緑色の大きなフォントでマトリクスが表示されるものなのですが、とても便利でした。時々保守のために開発会社から作業員が訪問しており、こういうものを作ったり納品したりする仕事も面白そうだなと思ったのがきっかけです。

しかしその時すぐにエンジニアになったわけではなく、しばらくは営業をやっていました。

ある日その会社ではオンライントレードシステムを導入することになりました。オンラインでは営業の案内や勧誘がなくても自分で売買することができるそうでした。その頃世の中の証券会社は一斉にオンライントレードシステムを導入し口座開設の募集をしていました。その結果世の中のオンライントレード口座数は毎年桁違いに増加していたのです。

しかし、その頃はまだ営業の仕事は無くならないと言われていました。お客さんは自分で銘柄を選んだりできないから、必ず営業が銘柄を教えてあげないとお客さんは自分で売買できないというわけです。それに、オンラントレード口座数が伸びると同時に相乗効果で対面口座数も伸びていたのです。だから永遠に営業の仕事は無くならないように見えました、当時は。

しかし潮目が変わる日が訪れました。オンライン口座数が伸びるに従って、対面売買が世間で叩かれ始めたのです、手数料をぼったくっていると。当時は手数料が決まっていて証券会社全社同じでじた。それはオンラントレードでも同じ手数料だったのです。しかしそれはおかしいということになり、手数料が自由化されました。そして当然に対面販売の手数料が下がり始めたのです。

その結果年月を追うごとに会社の営業収益はジリ貧になっていきました。いよいよまずいことになり、どこの会社でも営業部を廃業する直前まで追い込まれました。そして最後は日本中で証券営業は離散したのです。


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