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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[210]メナヒムが回顧する父とヨーゼフの会話

終章 別れのとき
第2節 メナヒムとヨーゼフの物語

[210] ■3話 メナヒムが回顧する父とヨーゼフの会話
「次の春には九歳になるという頃だった。わしは、その夜、いつものように父とヨーゼフの会話をかたわらで黙って聞いていた」 
『あれからどうされました?』
 と、父が聞いた。
 ヨーゼフがどう答えたか、もはやよく覚えてはいない。しかし、後で父に聞いたところでは、ヨーゼフ兄弟は我らと別れた後にそのままハカスに向かい、どうにか辿り着いて、金を掘る仲間に入れてもらったそうだ。
 一年近く経ってヨーゼフは、きんを仕入れにハカスまで来たソグド商人から、ニンシャ人という同族が何家族もトゥバに現れたという話を伝え聞き、もしやと思い、山を下りた。そして、わしらを見つけ出したのだという。
 わしらの一行はといえば、父の話では、ハカスに向かう途中のタンヌオラの峠道で同族の胡人が混じるソグドの隊商とすれ違い、父の兄はいまはトゥバにいると教えられて、行く先を北から東へと変えた。しかし、それをヨーゼフたちに伝える手立てがない。そのためだろう、申し訳ないことをしたと、父はそのことをヨーゼフに謝っていた。
 わしには覚えがないのだが、『我らはみな、こうして無事にここにいる。そのようなことは気になさらずに』とヨーゼフが言ったそうだ。
 父が、これからどうするのかと尋ねると、少し匈奴の国を見て回ってからハミルに戻り、商いをはじめると答え、ダーリオと遊ぶお前の父のカーイを見た。そして、
『あの乾いた土地での別れのとき、二人の子を見るのはこれが最後になると思いました。弟のダーリオが、おれらの小さいときのようだと言って泣いて……』
 と語ったという。
 その二年前の別れを思い出すようにして、父が、
『あのときあなた方兄弟が、乏しい食糧を分けてもらうのは心苦しいと思われて我らのもとを去ったのは、わたしらにはわかっていました』と言い、『しかし、そのような事情は幼い子等にはわからない。なぜ見捨てて行くのだと泣いて……。許してやってください』
 と、またヨーゼフに謝った。その晩、二度目だった。
 ヨーゼフは、
『許すもなにもない。あのときは私たちも、ただ、別れて先に行くのが切ないと、そういう気持ちでした。その後も厳しい旅が続くのはわかっていましたから……。それだけです。今日こうして再びお会いできて、本当によかった』
 と言った。
 あのハミルの夜と同じように母と父の間に座り、眠い目を擦りこすり、ヨーゼフと父のやり取りを黙って聞いていたわしには、父が謝る理由わけも、何を許せと言っているのかもわからなかった」
「……」
「次の朝早く、ヨーゼフたちはトゥバを去った。その後、ヨーゼフはソグドの商人としてダーリオがとどまるハミル、モンゴル高原、フヨ、それにトゥバを行き来するようになった。シーナの都まで足を延ばしたこともあるそうだ。わしら一族が辿った道を行き来したのだろう。
 トゥバを訪れたときにはわしらの家に顔を出した。父母はヨーゼフの話を聞くのを楽しみにしていた。そういうわしとお前の父は、ペルシャのものだという蜂蜜はちみつと牛の乳を固めた菓子を心待ちにしていた。
 だがヨーゼフは、二度目を最後にぷっつりと姿を見せなくなった。後になって知ったのだが、商いを辞めて匈奴の東の外れに一人で住みはじめたのだという。いま、ウリエルの家がある近くだ」

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