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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[212]夏の牧地の外れで三たび会う

終章 別れのとき
第3節 ヨーゼフとメナヒムの再会

[212] ■2話 夏の牧地の外れで三たび会う
 ハミルでの再会の後、ヨーゼフに別れを告げたメナヒム兄弟はジュンガル盆地の西の果ての守りのために遠征した。そして、翌年の春、メナヒムの弟カーイは、烏孫ウソン本隊のジュンガル侵攻を防ぐ戦いで戦死した。
 弟を亡くしたメナヒムは、その埋葬を終えたところで単于の王庭に呼び寄せられ、左賢王の警護の役に就くことになった。そのために、沙漠ゴビを越えて、匈奴の東の地に移ってきた。

 夏の牧地に落ち着いてすぐに、エレグゼンが川で溺れ掛けるということがあった。それがきっかけとなって、偶然にも、ハミルから匈奴に戻っていたヨーゼフと一年ぶりに再会した。
「そこから先は、お前も知っている通りだ」
「……」
「まさかとは思いつつも、もしあのヨーゼフならば、エレグゼン、お前を商人に仕立ててくれるよう頼んでみようとわしは道々、考えた。父と同じ戦士に育ってお前がはや死にするのだけは、どうしても見たくなかった。
 東の牧地の外れにいたのは、やはり、ヨーゼフだった。昨年来の再会を喜び、そして、弟の戦死を伝えた。ヨーゼフは表情を変え、
『カーイ……。神に導かれて、あの日、ハミルで出会ったのだ。嗚呼ああ
 と言って天を見上げ、まるで我が子を亡くしたかのように嘆いた。
 ヨーゼフはそのとき、次の冬が来る前にと、フヨの海辺に移る準備で忙しくしていた。ダーリオからの次の便りを海際で待つつもりだと言う。それでは、幼いお前を商人にと、ヨーゼフに託すわけにはいかない。
 ヨーゼフにはウリエルという息子がいた。わしが会うのはもちろん初めてだ。挨拶を交わし、カーイの死への悔やみを述べてからウリエルは、
『父に付いてフヨには行きません。ここに残って商いを続けるつもりです』
 と、わしに匈奴の言葉で話した。
 ――そうか、ヨーゼフには息子がいるか。しかし、これからというウリエルに頼むことはできない……。
 そう考えてわしは、一度は、おのれの考えを諦めた」

「営地に戻って何日か経った頃だった。牧場まきばをともにする部族のおもだった男が娘からソグドの男と一緒になると告げられ、『親の言うことを聞かない』と騒ぎになった。
 西から来たばかりのわしがソグド語を話すと知ったその娘の父親から、『我らとともに行ってくれないか』と頼まれ、数日前に戻ってきたばかりの原を、そのソグドの男に会おうと、男が新しく建てたばかりだという家に向かって急いだ。
 その家に着くと、みながあっけにとられている中で、
『ヨーゼフ!』
『メナヒムじゃあないか、また、どうした』
 ということになった。もしやと思ったが、娘の相手のソグドの男とは、あのヨーゼフの息子ウリエルだった。こうして、短い間に二度、わしはヨーゼフに会った。
 ――偶然などではない。何かの意思が働いている……。
 わしはそう思った。そしてその場で、『二人ともまだ若すぎる』と怒る、自分よりも一回り年上の娘の父親を説得しに掛かった。
『若い二人をいくら止めても無駄だ』
『我らもそういう道を通ってきた』
『向こうの親は、十分なものを贈ると言っている……』
 こうして、二人とも親に反対されながらわしが間に入って、娘とウリエルの結婚を許すという運びになった。すでに身籠みごもっていることも父親はとがめないという。そのいきおいでわしは、数日前には言い出すのを躊躇ためらったことを口にした。
『どうだろう、ウリエル。お前が助けてくれたわしの甥っ子のエレグゼンを商人に仕立ててはくれまいか?』
 ウリエルは、戦死したお前の父カーイのことをヨーゼフから詳しく聞いていた。その遺された子を商人に育てるために何とか力を貸して欲しいと頼むわしの心情をおもんばかってか、断りきれなかったのだろう。
『もし妻が許すならば』
 と答えた。
 揉め事が収まって安堵した息子の脇で、
『孫が生まれるのでは、フヨ行きは先に延ばすしかない』
 とこぼすヨーゼフに、
『お願いしたいことがあります。またすぐにも参ります』と言い置いて、わしは営地に戻った。

 年を越した春の婚礼の日、結ばれた二人に祝いを言いにそばまで行くと、ウリエルの方から『どうだろう』と新妻に促してくれた。
 決して認めないと怒る父を説得してくれたのがメナヒムだというのは母から聞いて知っている。それを恩義に感じていた新妻は、むしろ、ウリエルが話す言葉を教わるいい機会だと考えた。そして、『むしろこちらからお願いします』と答えた。賢い娘だった。
 こうしてお前は、次の年の九月、部族が冬の牧地に移るときを期して、冬の間だけウリエルのもとに預けられることになった。
 ウリエルは、自身、父からそうして欲しいと願っていたように、側で手伝わせながら、ソグド語と商いの仕方とを遊びの中でお前に教えるつもりだとわしに語った。
 一方、ヨーゼフは、孫娘が生まれるのを見届けた後に、海を越えて届くかもしれない弟からの便りを受け取りやすいように、それと、この先、わしからの注文の品々が無事に匈奴まで届くよう仲介するために、匈奴の東からフヨの入り江に移った」
「ヨーゼフがフヨの海辺に移ったことの裏にはそんなことがあったのですね……」
「……。孫が生まれて迷いの出たヨーゼフの背中をわしら匈奴との取引が後押しすることになったのだろうな」

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