見出し画像

『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[113]遊牧の民とフェルトを作る

第5章 モンゴル高原
第7節 木炭すみ
 
[113] ■1話 遊牧の民と叩き布フェルトを作る
 木々を渡る風に秋の気配が感じられる。広い牧地のあちこちに草刈りを急ぐ人々の姿がみえる。刈った草はいくつかの家族ごとにまとめておくようだ。
「そのうちに、冬に備えて馬のためのゲルを立て、いずれはその中に草を蓄える」
 と、エレグゼンが教えた。
 ――そうか。夏が過ぎたばかりなのに、もう冬か……。

 シルに乗って一人で草原を駆けるのにいたナオトは、このあいだ、みなが集まって叩き布を作るところを手伝った。
 みなでわいわいと騒ぎながら古い布の四方のはしを持ち、刈ったばかりのヒツジの毛を次々に載せては、真ん中に寄せていく。細い棒で叩いてほぐし、灰汁あくをかけ、古い布の上に等しい厚さに広げ終わったところで古い布ごと太い木のみきに巻き付けて、最後の仕上げにと革の帯できつく縛る。
 二本の麻綱の端に革製の輪を結び付けておいて、それを巻き終えた幹の両端の丸く削った出っ張りに引っ掛けて馬に引かせようとするのだが、はじめのうちは巻き付けた毛がまだ柔らかいために重く、馬はなかなか進まない。
 しばらく動き回ると戻って来て、革帯をほどき、半分できた叩き布を裏返してところどころにヒツジの毛を足してやる。湯をかけながら押さえ付けて、再び幹に巻き付け、革帯で縛る。
 これを繰り返しているうちに、巻いたヒツジの毛は絡み合い、次第に固く締まってきて、丸太は、馬が走るのに合わせてゴロンゴロンと勢いよく弾みながら進むようになった。
 ――なるほど、そういうことか……。
 みなと並んでヒツジの毛を広げる手伝いをしていたナオトが立ち上がり、感心して馬の行方を見ている。
 子どもの遊びのように見えるのだが、「昔から、子供と犬は叩き布作りには役立たないと言われている」と、後になってザヤから教えられた。
 匈奴の子たちは、木の幹を曳いて回る馬の後ろに付いて走る。勢いがついてくると、幹はあらぬ方向に転がる。側で見ている大人たちが、「危ないからもうやめろ」と大声で叱るのだが、言うことを聞かない。
 事情を呑み込んでいないナオトがその子等と一緒になって走り回ると、初めは危なっかしいと見ていた周囲が、終いには、そのさまがおかしいと大笑いした。

 昼下がりから日暮れまで曳き続けると、弾む太い幹の重みで、ゲルの壁になるほど固く締まった叩き布ができた。新しい叩き布を手にした一家の母親が、その場に集まった者たちに何かを配りはじめた。それを受け取って口に運びながらナオトは考えた。
 ――今日は何家族集まったのだろう……? 叩き布作りは、あのルゥオの岩山でドルジが話してくれた通りだった。遊牧民はやはりこうして助け合いながら生きている……。

第7節2話[114]へ
前の話[112]に戻る

目次とあらすじへ