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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[182]合わせの技と折り返しの技

第7章 鉄剣作りに挑む
第6節 イシク親方

[182] ■3話 合わせの技と折り返しの技
 ニンシャ人がやって来る前、ナオトは自分なりのやり方で砂鉄を焼き、どうにか棒のようにまとめてみた。そのときは、カスを窯の外に流しながら焼くなど、もとよりやっていない。考えたことすらない。
 そのためか、うまく小刀の形まで仕上げたものはこれまで一本もない。イシク親方の話を聞き、実際に砂鉄を焼くのを脇で手伝ってみて、ナオトは自分が焼いた大きな黒い塊がそもそも刃物になるようなものではなかったのだと悟った。
 ――そうか。たとえイシク親方のやり方でカスを除きながら砂鉄を焼いても、剣にまでなるような鋼はそう多くはできないのか。ましてや、自分が焼いた塊ではうまくいくはずがない……。
 イシク親方が砂鉄を焼くところを見、鋼の素について聞かされて、ナオトは取り組んでいることの難しさをいまさらながら思い知った。

 ナオトは山の端の鉄窯近くに寝泊まりして、イシク親方から鉄の焼き方を学んだ。鋼を作るにはさらにいろいろな技を覚えなければならないという。
 ある朝、親方が言った。
「ナオト、これから鋼を鍛えるところを見てもらう。小刀であっても折れては困る。剣となるとなおさらだ。短くはあっても、剣を作るならば折れず、曲がらず、よく切れるものにしたい。そう考えて、トゥバで短剣を二本作ってみた。これがそのうちの一本だ」
 イシク親方はそれを脇の棚から下ろし、ナオトに見せた。よくできた剣だと思った。しかし、これでもまだまだだと親方は言う。
「これを作るには、まず、焼き上がった大きな塊のはしつちで叩き落とし、その断面を見て、色と手触りを頼りに選別する。これが何よりも大事だ。
 次々に欠き割って同じ質のものを集め、炭火で熱し、鎚で何度も叩いて小さな平たい板にする。そのときに下で鎚を受ける台を金床かなとこという。トゥバで使っていたものを持ってきてあるのでこの後に見てもらう」
「前に焼いたものは、熱して叩いたら粉々に砕けました。それはどうするのですか?」
「うまく焼いた塊から取ったものならば粉々になることはない。もし、割れて小さくなったら、そうした欠片かけらのうちから硬くて鋼になりそうなものを選ぶ。慣れてしまえばすぐに見分けられるようになる。大きく、しっかりとしたものを集め、それを一つにまとめる」
「あれが一つにまとまるのですか……?」
「ああ、まとまる。次にそれを見てもらうとしよう」
「はい!」

 二人は、少し離れた鉄囲炉裏まで歩いた。
「ナオト、これが金床だ」
「カナトコ……。メナヒムに聞いた呼び名だ。これは鉄でできているのですね?」
「ああ、鉄の塊だ。これを台にして叩き、鋼を鍛える」
「鍛える……?」
 ――鉄を鍛えると、フヨの入り江でハヤテも言っていなかったか……?
「ここに並べてある平たい小板は、割れて小さくなった鋼の素をテコに載せて熱し、金床の上で叩いて合わせたものだ。うまく焼けた鉄の塊には粘りがあるので一枚にまとまる」
「テコ、ですか?」
「ああ、これだ」
 イシク親方がテコと呼ぶ道具は、腕の長さほどもある鉄の棒の先を平たく延ばして皿のようにし、それをわずかに曲げて立てたものだった。のような棒の端には麻縄を巻き、持ち手にしてある。
 ――小さな欠片をこの皿に載せて炭火に入れ、皿ごと熱するのか……。
「この平たい板までもっていったら、それを何枚も重ねてテコに載せて再び熱し、何度も叩いて一つの塊にする。このやり方を我らは合わせと呼んでいる。タタールの技で作った鉄の塊だからこそ、この合わせができる」
 ――小さい板を合わせて大きくする。だから合わせの技か……。
「合わせてできた鋼の塊を黄色に輝くまで熱しておいて、タガネを当てて上から打ち、切れ目を付ける。タガネというのは長いが付いたくさびのような道具だ。鉄の板を切り落としたり、やすりに刃を付けたりするのに使う。ほら、これがそうだ。鉄を削る鑢は大小の鏨と一緒にその箱に何本も入っている。そのうちに見ておきなさい」
 親方から鏨を受け取って重さを確かめ、細かなところまでよく見て、思った。
 ――これをどう使うのだろう?
 そのナオトの思いを感じ取ったように、イシク親方が続けた。
「そうやって付けた切れ目を金床の縁に当てながら鎚で打つと、熱した鋼の塊は二つに折れ曲がる。これを平らになるまで叩き、同じように何度も折り返して鍛えるのだ。これが折り返しの技だ。
 この叩いて折り返すということをすると、鋼の塊になお含まれている鉄ではないカスの部分が外に弾き出される。だが、すべてではない。それでもまだ、カスは鋼の中に残る。
 合わせや折り返しは砂鉄を焼く鉄作りとは別の技だ。この鉄囲炉裏ではわしではなく、トゥバから来た仲間に任せている」
「その折り返しは、何度繰り返すのですか?」
「十回は折り返す。ナオト、そうすると折り曲げた鉄の層はいくつになると思う?」
「十回折り返すのか。二、四、八、十六、……。んーんっ、わからないな。星の数ほどですか?」
「はっはっはっ、その通りだな。星の数ほどの層ができる。だから、鋼の中になお残るカスは、しまいにはきっと、かたまり全体に散らばっている」
「……。カスが散らばったら、何かいいことがあるのですか?」
「ある。なぜかはわからないが、そういうふうに折り返してきたえた鋼には粘りが出て、磨きやすくなる。砥石といしを使う者はみな、口を揃えてそう言う。刃が付けやすくなり、かつ、錆びにくくなる。カスは、実はカスではないのだ」
「粘り? あの硬い鉄に粘りが出るのですか……?」
「口で言っているだけではわかるまい。この後、わしがやって見せるとしよう」

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