『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[181]トゥバから来たニンシャ人たちの鋼作り
第7章 鉄剣作りに挑む
第6節 イシク親方
[181] ■2話 トゥバから来たニンシャ人たちの鋼作り
こうして、左賢王とメナヒムの鋼作りの試みはナオトからニンシャ人へと引き継がれた。
ナオトは、ソグド人が隊商の隊長をサルトポウと呼ぶのを思い出した。ならば通じるだろうと、イシクを親方と呼んだ。初め当惑気味だったイシクだがすぐに慣れ、そのうちに、トゥバから来た仲間もそう呼ぶようになった。
ナオトは、まず、イシク親方に砂鉄を選んでもらった。竹を組んで作った棚に、竹筒に入れた砂鉄とそれを自分なりのやり方で焼いてできた塊から数片ずつ欠き割ったものとを対にして並べてある。そのやり方にイシクは舌を巻いた。
――なんと、棚にある欠片は砂鉄を替えながら焼いたものか? 外に並ぶ塊がそれか?
その欠片を手に取り、次に筒の中を覗くと、黒い砂鉄を手のひらに広げてみて、終いに左端の竹筒を指差した。
「これだ。これが鋼になる黒砂鉄だ」
それは、エレグゼンたちがトーラ川で見つけて、荷車で運んできた砂鉄だった。
紀元前二千百年頃には、黒海の南、アナトリア半島で製鉄が成立していたとされる。
数百年してその地に現れたヒッタイト人は、以前から利用されていた鉄を加工し、あるいは製鉄方法に手を加えて鋼にする方法を見つけ、その鋼を武器などの利器として使いはじめた。
素材は、それまで使っていた青銅器のための銅と比べてありふれている砂鉄や鉄鉱石だった。しかし、当時、砂鉄や鉄鉱石を溶融させるほどの高熱を得ることはできなかったので、溶かすことなく、木炭を使ってなんとか鋼にするというのがヒッタイトの製鋼技術の要諦だったのではないか。
この鋼の製造と利用をモンゴル高原北部に伝えたのはスキタイ人、ないしは、サカ人とされる。それをバイカル――この物語ではバイガル――の湖岸に住んでいたテュルク系の丁零人――いまのウイグル人の祖先――が継承した。
この物語ではサカ人をイラン系と考え、この人々が鉄器のある暮らしを黒海の沿岸からカスピ海の北、カザフの大草原を経て南シベリアのハカスやバイカル湖岸にまで伝えたと考える。西から東へと伝播したもののうちには、ヒッタイトの鋼を作る技術も含まれていた。
サカ人の足跡はイランやカザフ草原、それにサヤン――ソヨン――とタンヌオラ山系の各所で見つかっている。
そのサカ人の技術はカザフ草原の南部にも伝播し、テュルク系の人々の住む地域、あるいは、アフガニスタン北部を含むインド方面において改良されて、後の人々の間で「タタールの技」として知られるようになったとして物語を進める。
トゥバのニンシャ人の製鉄と製鋼はこのタタールの技に拠っている。
タタールは「他の人々」を意味するという。また、日本古来のたたら製鉄の語源ともいわれる。島根県の奥出雲に製鉄を伝えたとされる金屋子神はタタールに縁のある人だったのだろうか。
タタールの存在を示す史料としては八世紀――七百三十年代前半――のホショ・ツァイダム碑文――オルホン碑文と俗称される――が現存最古とされるが、この物語では、紀元前一世紀頃、テュルク祖語を話す人々の間でタタールの語はすでに使用されていたとする。
一例として、たたらは日本の古事記の中に「多々良」の文字で記載されており、これは、考えようによっては――もし多々良がタタール人を意味するものであるならば――、ホショ・ツァイダム碑文と同程度に古い、古事記の原典である文字資料が日本列島に存在していた可能性を示している。
すなわち、同碑文の成立と同じ時期にタタラの語は日本列島で使用されていたといえなくはない。
山の端に設けた鉄窯で砂鉄を焼く作業は、いまではイシク親方が仕切っている。
できた鋼の素の重くて大きい塊は、数日冷ました後に、綱を掛けて丸太の上を転がし、窯の外まで引っ張り出す。片手で持てるほどの大きさに縁から欠き割っていって、断面を見る。
イシク親方はナオトに、鉄には硬いか柔らかいか、粘りがあるかないかなどいろいろな性質があり、焼いた鉄を何に使うかはその断面を見て決めると教えた。
――一つの塊に、いろいろな鉄が含まれている……。
質がいい部分は白く、小片全体がすべすべとしている。青や緑に光って見える小片もある。
「鋼になるのはこれだ。お前ならば、よく見ればわかる」
と、親方が言った。
山の端に来て初めて砂鉄を焼いたとき、イシク親方は大胆にも炭火が鉄窯で燃え盛っている最中に窯の下の部分に孔を穿って鉄滓――日本のたたら製鉄でいうノロ――を炉外に流し出した。しかも、一度ならず、何度もこれをやった。
玉石と砂とで作った路をゆっくりと進む黄色に輝く熱い流れを、その熱を体中で感じながら、周りにいるみなが畏怖をもって目で追った。ナオトは、夢にまで出てきたそのときの光景を、後々まで幾度も思い返した。
何日かして、イシク親方から呼ばれて鉄窯に行った。焼き上がった塊はまだ冷めきってはいない。疲れが取れた様子の親方が、その塊を前に話してくれた。
「砂鉄に含まれる余分なもののすべてが、炭火で溶け、カスとなって流れ出るわけではない。逆に、焼いている間に新たに加わるものもある。それが、焼き上がったこの鉄の塊にわずかにせよ含まれている」
「土の中の何かが、この黒い塊に入り込んでいるということですか?」
「そう考えるしかない。ナオト、その窯の内側を見てみろ。だいぶ薄くなっているだろう。熱で溶けて痩せたのだ。だから、わしらがカスと呼んでいるものは、砂鉄に含まれている鉄ではないものと、壁の内側を覆った粘土や煉瓦に含まれているものとが溶けて合わさったものだと思う」
「……。考えてもみませんでした。すると、粘土が大事になりますね?」
「その通りだ。カスの残りが鉄と鋼にいろいろな性質を与える。だから、砂鉄選びだけでなく、窯の壁にどの煉瓦を使い、その上にどういう粘土をどれだけの厚さ塗るかが大事になる。
この辺りにはいい土がある。しかも大量に。ナオト、お前は本当にいい場所を選んだ。いまは、次の鉄窯を新しく作るのに別の場所を探すか、それとも、このまま次々と隣りに作っていく方がいいものか、みなで話し合っているところだ」
「……」
この山の端を選んだときに、ここにはいい粘土があると思ったことをナオトは思い出していた。
――確かに、北の疎林の鉄窯とは土が違っていた。鉄を焼くのは、器を焼くのと通じる……。
イシク親方が続けた。
「この大きな塊のすべてが鋼になるわけではない。ただの鉄ですらない部分もある。燃え残った木炭も混じっている。塊の下に見えている黒いところは鍋にする鉄だ。塊の上の方の鋼の素であっても、鏃がせいぜいというものが多い。
ときどき小刀に使えそうなところが見つかる。だが、長い剣になりそうなてかてかと白く光る鋼はそれほどない。お前ならば、よく見ればきっとわかる。
いい鋼の素はなかなかできないのだ。たとえできても、量が少ない。だから、トゥバでは長い剣は作ったことがない」
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