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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[198]輝くナオトの剣

第8章 風雲、急を告げる
第5節 閃き

[198] ■2話 輝くナオトの剣
 数日後。
 初夏の草原を気持ちよく駆けて、ナオトが北の疎林に戻ってきた。シルが珍しく息を弾ませている。研ぎ上がったばかりの剣をさやに納め、両端に革の帯を結んで背負っていた。

 その朝、夜明け前に起きてイシク親方を訪ね、いろいろと話しながら一緒に食事をした。そのときイシク親方が、
「剣を受け取った後に、お前の考えを聞くことなくいくつか手を加えた。すまない」
 と、詫びた。
「そんなことは構いません。当たり前のことです。むしろありがたいと思います」
 と応じた。
 ――親方は、なぜこんなことを言うのだろう……?
 その後にバハルーシュのところに行った。ナオトの剣は見事に研ぎ上がっていた。
 木のつかが付けてあり、その柄に隠れて見えないものの、イシク親方が剣身の尻の棒を打って平らにし、穴を一つ開けた。剣はエレグゼンが持つものと考えて、柄も剣格もバハルーシュに作ってもらったと親方が話してくれた。
 ――ゲルに戻ったら、柄をほどいて、中がどうなっているかを見てみよう……。
 剣は、これもバハルーシュが仮りに作ってみたと言うさやに納めてあった。堅いウシの革を二つ折りにして、ふちを革ひもくくって留めてある。
 胡人ヘブライの言葉しか話さないはずのバハルーシュが、たどたどしい匈奴言葉で、しかし力強く、「いい剣です。研いでいてわかる」と言った。イシク親方が隣りで頷き、手に取った。
 光り輝く剣を鞘から抜いて、刃と柄の部分をじっくりと見ていた親方サルトポウが、一度振ってから鞘に納めると、満足気にナオトを見て両手で渡してくれた。
「ナオト、焼き入れもわしがやっておいた。一人でやるのは難しいと思ってな……」
「ありがとうございます。剣の焼き入れは研ぐ前にやるものなのですね。知りませんでした……」
 どこまでも知り尽くそうとするナオトの声を聞きながら、イシクは、この山の端で初めて会った日のことを思い起こしていた。そして思った。
 ――ナオトは、わしを越えて行った……。

 戦さの後のあれやこれやでこのところ忙しくしていたエレグゼンが、日暮れ前、トゥバまで連れて行った褐色の斑馬ぶちに乗って北の疎林に現れた。立って出迎えると、どこか晴れ晴れとした顔をしていた。
「後の始末は終わったのか?」
「メナヒム伯父の手伝いのことか……。ああ、ようやく半分終わった。イシク親方のところで漢兵から奪った剣と短刀をきれいにしてくれたので、すべて改めて、たてと一緒に部隊の兵に配り終えた。馬と左賢王のヒツジを戦さでの働きによって分けるが、それはまだこれからだ。お前の方はどうだ?」
「ああ、どうにかやっている。作るボルドも、刃物の作りも研ぎも、イシク親方が言うタタールの技はすごいものだ。前にれらがやってみて、どうしてもわからなかったことを次々に解いてみせてくれる。ところで、ゴウはどうした?」
 斑馬ぶちくびを「久ぶりだな」と言いながら二度叩いていた。
「いまは休ませている。ずいぶんと駆け回ったからな」
「そうか……」
 寒かった前の冬と変わらず、鉄囲炉裏では炭火が赤く燃えている。
「それで、剣はできたか?」
「ああ、これだ……。今朝、仕上がってきたところだ。ちょっと試しに持ってみてくれ」
 と、後ろの棚に置いてあった剣をバハルーシュの仮りのさやに納めたまま渡した。

 鞘から剣を抜くとき、エレグゼンの目つきが変わった。細身の剣だが、剣身の真ん中は厚い。それにやや短かい。試しに振ってみると、信じられないほどに軽い。思わず「これはっ!」と口にした。
 ――握った感じはいい。
「軽いな。このように軽い剣はこれまで持ったことがない」
「そうか、軽いか。少し短いからな。それに細い」
「ああ、驚くほど軽い。軽く感じるのは長さのせいだけではないな。剣先を少し軽めにしたのか?」
 鞘に戻した剣をナオトに返しながら問うた。
 その意味は、ナオトにはわからなかった。ただ、振りやすいようにと考えて、鋼の棒を延ばしていくときにいろいろと試したらこうなったのだ。
 ――剣が細いのは、たぶん、いいボルドが少なかったためだ。
 ナオトの顔付きから、エレグゼンはそうと悟った。以前、ナオトは、「いい鋼が足りない」とよく口にしていた。足りない分を補うには、短く、細くするしかない。

 見知っている剣の形と違うためだろう。気に入った様子ではないなと思い、ナオトが言った。
「エッレ、お前、二つを合わせてみたらどうだと言ったのを覚えているか?」
「何のことだ?」
「この間、山の端で会ったときだ。お前は、『くるんだらどうなる』と言ったのだ。白いヌーンをげたヌーンで」
「おう、あれか。覚えているぞ。別に深い意味はなかったのだが……」
「とにかく、それをやってみた」
「……?」
「黒いヌーンで白いヌーンを包んだのだ。混ぜないで、片方のボルドを別の鋼で包んである」
「そんなことができるのか?」
「とにかく、試しにやってみた。なぜかはわからないが、白い方の鋼は熱して叩いたときに黒い方よりも粘りがある。鎚で打っていてそんな気がした。そこで、その粘るのを活かそうと芯にして、黒くて硬い方で包んでみた」
「……?」
「粘りのある白い鋼が剣の内側になっている。それを硬い鋼で包んだ」
「……。ボルドに、それほどの違いがあるというのか?」
「ああ、ある。確かに違う」
「焼いた後に鉄窯から引っ張り出したあの大きな黒い塊は、どの箇所もみな同じに見えたが……?」
「熱して延ばしてを何度もやるうちに、硬いとか、粘りがあるとか、鋼のもとのどこを使うかによって鋼の小板はずいぶん違うとわかった。白と黒というほどに違う。
 二つの鋼を合わせてから延ばすと、折れにくくて、しかも曲がらない鋼の棒になった。叩いたときの音も違った。棒にするまでの間、真ん中を鎚で強く打って、折れはしないかと何度も試した」

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