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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[195]マツの林

第8章 風雲、急を告げる
第4節 戦さを終えて

[195] ■2話 マツの林
 山のからマツの切り株の間を上って行った。この山に登るのは一月ひとつきぶりだった。

「木を伐った跡にマツを植えてみた。前の秋のことだ」
 ナオトがそう言うので、
「何のことだ……? 見に行こう」
 となったのだ。
 手前の小山を一つ越えたところに身の丈ほどのマツがまばらに、しかし何本も生えていた。無事、根付いて冬を越したようだ。
「お前が植えたのか?」
 エレグゼンが振り返っていた。
「ああ。下からは見えないところを選んだ。春になったところで、ここよりも奥にまた植えた。まだ、もう少し増やそうと思う」
「……」
 沢近くの木々が小さな白い花で覆われていた。

 寄り合い所まで下りて来た。そこにいたニンシャ人に一声掛けてから、入り口近くに座った。
「ナオト、前から聞こうと思っていたのだが、砂鉄は焼くと変わる。なぜそうなると思う?」
「わからない。しかし、少し考えてはみた」
 昼の残りのヌーンが手近な台の上にあったので、ナオトはそれを手に取った。
「ヌーンには白いのと黒っぽいのとがあるだろう。それと同じではないかと思う」
「ヌーンか……? 黒いヌーンとはがしたヌーンだろ」
「そうだ。焦げたヌーンだ」
「それがどうした?」
「焦げても、焦げなくても、どちらも同じヌーンだ。中身は変わらない。鉄の薄板も同じだ。中身は同じで、もとはトーラ川の砂鉄だ。焦がし方が違っているだけだ」
「……?」
「ちょっと見ていろ。こっちの白いヌーンに水を垂らしてみる。すると、こうだ」
「……。曲がるようになるのか?」
「そうだ。水を含むと曲る。今度は黒い方だ」
 そう言って、焦げた方に水を垂らした。
「曲がらないな。いまのところは真っすぐだ」
「前にお前が、しなる剣の話をしてくれた」
「しなる剣? そんな話、したか?」
「ああ。確かに聞いた。れには、それがなんなのかよくわからなかった。だが、これではないかといまになって思う」
「……馬鹿な。鉄が水を含むというのか?」
「いや、そうではない。黄色に輝くまで熱したボルドは本当に熱い。水がれれば、たちまち湯気になって飛んでしまう。水を含むことなどない。吾れは、熱して叩いたときに何かが鉄の中から奪い去られるのではないかと思う。それで硬さが変わる」
「何が奪われるというのだ?」
「わからない……。しかも、奪われるだけではない。鋼を折り返して打つところは見ただろう?」
「ああ、何度も見た。熱く輝く鋼を鎚で叩いて曲げていた」
「そうだ。あれを十回もやるうちには、砂鉄の中に含まれていて、まだ外に出ていないその何かは、きっと、鋼の塊全体に散らばる。それが粘りを生む。しなりもそれで起こるのだと思う」
「……?」
「こうしたことは、そのうちにわかると思う。それに、……」
「それになんだ?」
「黒いヌーンは何でできている?」
「もとはムギの粉だろ。違うか?」
「ああ。だが、黒いヌーンの味はすみだ」
「……?」
「焦げたヌーンの黒い色は炭の黒だ。ヌーンと炭は同じものなのだ」
「焼くと、ムギの粉の性質たちが変わって炭になるのか?」
「……」
「鉄もそうだというのか?」
「わからない。しかし、火の中で何かが起きていることは確かだ」
「……。不思議だな」
「ああ、不思議だ」
 しばらく黙っていたエレグゼンが、「少しばかげたことを言うが」と口元をゆるめ、
「ならば、焼けた黒いヌーンで白いのを包んだらどうなる。あるいは、その逆とか?」
「んっ……?」
「包んでみたらどうだ、鉄で別の鉄を。柔らかくて、しかも硬いということにはならないか?」
「……」

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