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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[173]涼州に向かったニンシャの人々

第7章 鉄剣作りに挑む
第4節 トゥバに辿り着いたニンシャ人

[173] ■3話 涼州に向かったニンシャの人々
 メナヒムの話は続く。
「後になって人伝ひとづてに聞いたことだが、漢の涼州に向かった何千というニンシャびとは決してひどい扱いを受けなかったという。
 一団は、李廣将軍が揃えた衛兵に護られて黄河をさかのぼり、オルドスの地から南に出た。
 一月ひとつき余り歩いたところで、将軍が元の部下に掛け合って用意してくれた山間の土地を与えられ、住まいを整える材料も揃えてもらった。シーナの都に続く大きな街道からわずかに逸れた場所だ。
 ニンシャびとの技は新しい土地でもすぐに活かされた。
 そこでは、木や金属で作る道具が全く行き渡っておらず、ニンシャびとの目には、そこに住む人々の暮らしは百年も前のようだったという。作れば売れる、作ってくれと頼まれるということが長い間続いた。
 ニンシャでは乾燥との戦いだったが、移った先の涼州では霜や寒さが敵となった。
 ここでもニンシャ人の知恵が活きた。ニンシャ人は、見てきたことを四百年以上も前から記録して残している。家を囲うようにして木を植え、柱に工夫して鼠の害を防ぎ、枯れ葉や枯草で土を守った。畜獣を住まいに入れて暖を取るなどということもしたという。
 足元からくる寒さを防ごうと、ニンシャ人はもともと持っていた機織はたおりの技を使い、ヒツジの毛で床に敷く厚く大きな織物を織った。叩くのではなく、洗ったヒツジの毛を糸にしてから織るのだ。織物を敷いて寒さを防ぐという習慣はいまでは周辺の家々に拡がっているそうだ。
 こうして、李廣将軍が用意してくれた涼州の地に、ニンシャ人は次第に溶け込んでいった。
 ニンシャ人の一団にとってなによりだったのは、漢兵に護られているという安心感だったのではないかと思う。
 ニンシャ人の長老が代々伝えてきた古い記録には、いにしえのペルシャ王コレシュの治世ちせい以来、このような境遇は絶えて記されたことがないという。それをわしは、ソグド商人としてここモンゴル高原を行き来している同族の者から聞いた。わしらの同族には商人が多いのだ」
「ウリエルもそうだ。ナオトも知っているヨーゼフ爺さんもそうだ……」
 エレグゼンがつぶやき、その通りだとメナヒムがうなづいた。
「母が死ぬ前の年になって初めて、わしはニンシャでの暮らしがどうだったか、母から聞いた。そのとき、手を引かれながら長い長い道のりを歩いた遠い記憶が、別の意味をもってよみがえった。
 誰に聞いたものか、母は『あのとき、お前のとうさんは反対したけれど、私たちはシーナの将軍に付いて行けばよかった』と小さな声で言った。『あの将軍は私たち胡人イスラエルに優しかった』と。父は傍らで黙って聞いていた。
 漢には同族が住む。それを忘れてはならない」
 このメナヒムの言葉は、別のことをも語っているとナオトは思った。
 ――匈奴には同族はいない……。

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