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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[171]トゥバで金を掘る

第7章 鉄剣作りに挑む
第4節 トゥバに辿り着いたニンシャ人

[171] ■1話 トゥバで金を掘る
 メナヒムが語り続けた。
「ともに移ってきたニンシャびとはすぐに周囲に溶け込み、トゥバできんを堀りはじめた。
 丸い石が転がっているゆるやかな流れに足首までつかかり、大きな岩の後ろを皿や金属でできたたらいさぐる。それまでの、井戸を掘ったり、水を引いて畑を耕したりという仕事とは全く違っていた。
 親に交じって、わしらのような幼い子等もそれを真似まねた。
 はじめのうちは、屋根の下で休み、飢えをしのいで日々を送ることで満たされていた。しかしそのうちに、川に入り、一人一人がざるに頼って金を探すというやり方をどうにかもっとうまくできないものかと工夫しはじめた。
 秋の水は冷たい。長く浸かっていると体の芯まで冷えて、夜、眠れなくなる……。
 川砂から金を探すには、たらいざるに集めた泥と砂を水に浸けたまますってし、大皿に移す。その大皿の水を揺らして重い金だけを底に残す。それだけのことだ。
 小粒のものも砂のように細かいものも、きんは重いので底に沈む。大皿のすみに溜まった砂のうちどれが金かは、よくわかっている者が光り方で見分ける。目のいいカーイはそれが得意だった。エレグゼンの父だ。いつも、『よく見れば誰にでもわかる』と言っていた。

 わしの伯父は、この作業をいくつかに分けて大掛かりにやろうとした。
 といを作って川の上流から水を引き、馬を使うなどして掘った川砂や土をその水の流れに入れてやれば、泥と土は流れ去り、といに横に何段も並べてはめ込んだふしに重いきんだけが残る。伯父は、父たちの助けがあれば、手に入る道具と材料だけでこの仕組みが作れると考えた。
 ニンシャ人の器用さがかされた。みなが手伝い、周りにある竹と木とつるだけを使って砂から金をり分ける大掛かりな仕組みを作り上げた。そのころ、テュルク族に代わって金掘りを支配しはじめた匈奴の族長がそれを許した。そして周辺に広めた。
 こうしてついには、タンヌオラの北の草原は金の産地としてはるかペルシャまで知られるようになった。もともとサカ人が千年も前にはじめたトゥバの金掘りが、ニンシャ人の手でまるで別のものに生まれ変わったのだ。
 トゥバを支配する匈奴は、掘る金の量が大きく伸びたのに合わせて、運び出す時期を決め、ハミルやさらに西のソグディアナに向けて、一日の行程ごとに替えの馬やロバを揃えるえきを作った。警護の騎馬隊も置いた。
 ロバとラクダを使って実際に運んだのはソグド商人の隊商カールヴァーンだ。匈奴兵がそれをまもった。

 タンヌオラの北の草原には鉄もあった。ボルドはハカスから入ってきた。いまも昔も、トゥバとハカスの間では人の出入りが盛んだ。おそらく、きんを産するためだろう。
 匈奴は、ニンシャ人に任せておけばいいと考えて鉄も鉄の道具も作りたいように作らせた。たぶん、その方が都合がいいと考えて勝手にさせていたのだ。その地にもともと伝わっていた技と合わせて、ニンシャ人の鉄作りと鍛冶の技はいよいよ磨かれた。
 訊くと、わしが住んでいた頃にトゥバで鉄の道具を作る鍛冶はほとんどがニンシャ人だったという。このあいだ、久しぶりにトゥバを訪れて、そのニンシャの鉄作りの技がいまに続いているのをこの目で見てきた」

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