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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[166]ケルレン川の黒砂とマツ

第7章 鉄剣作りに挑む
第2節 山のの鉄窯

[166] ■1話 ケルレン川の黒砂とマツ
 そうして決めたのは、深い山が川のよどみに迫る奥まった場所だった。エレグゼンが、「探すのを手伝ってくれ」と途中で声を掛けた仲間のムンクが、「ここならどうだ」と案内してくれたのだ。夏の牧地からは少し南西に離れているが、その山を回り込むように流れている川は豊かな水をたたえている。
 ナオトにはよく聞き取れない言葉づかいでムンクが言った。
「ここは左賢王の牧地、あれはケルレン川だ。お前たちが言う黒い砂はそこの川原にいくらでもある」
 年に何度もないような日射しの強い日だった。川原にり、浅瀬を選んで向こう岸に渡り、ややしばらく走って山の西の斜面をうかがう。エレグゼンが大きく頷いた。
 こちら側の岸に戻ってきて馬を下り、山に登る途中で振り返ると、澱みの両岸に黒い砂がうずたかくまっているのが見えた。
 その山の東から北にかけての斜面はマツで覆われていた。
 土を握り、よくよく考えたうえでナオトが「ここでいい」と言うと、「よーしっ」と声を上げたエレグゼンは、
「吾れらの間では、ここを山のと呼ぶことにしよう」
 と言って、ムンクとともに営地に向けて去った。メナヒムを見つけて、この場所にするがいいか、考えを聞くと言う。去り際に、馬に跨ったまま振り向いて、
「ナオト、あまり北には行くなよ。オオカミの巣があるかもしれない」
 と、声を掛けた。

 一人残ったナオトは、改めて土を調べた。トゥバで土城の周りを見て回ったときの粘土質の土が頭にあった。あれと似た土をと思い、前の秋にエレグゼンとケルレン川の近くで探したときの粘土はどうだったかと考えていた。確か、この近くにも来たはずだ。
 ――ここの土は粘りがあって器も焼けなくはないほどだ。煉瓦が作りやすい。やはりここでいい……。
 再び山に登る。高さと、マツ林がどこまで続いているのか奥行きを調べておきたかった。煉瓦の木枠をこしらえるための太めの木も探したい。
 木炭になりそうな太さのマツの木はいくらでもあった。いま登ってきた山の奥に、また別の山がずっと続いている。見知っている匈奴の草原とは違う景色だった。ナオトは山の奥へと分け入り、斜面を上り下りしながら、すぐにも木を伐り出せるようにしておこうと考えた。
 下の枝を落とせば途中で引っ掛からずに下まで滑り落ちるようにと木を選び、腰の小刀で一本一本、る順番に印を付けて回った。
 そうやって沢の方まで下りて行くと、小さな白い花で覆われた大きな木が見えた。
 ――次に来るときの目印にしよう……。
 もう少し先まで行こうとして、「オオカミの巣」というエレグゼンの言葉を思い出し、めた。

 次の日、道具を持って山の端に戻り土煉瓦の枠作りからはじめた。よいことに日射しが強い。それに、どうしたことか、にわかに作ることになった鉄窯を守るためにとエレグゼンが集めてきた匈奴兵が、頼んだわけでもないのにみな手を貸してくれた。
 六人でやれば速い。多めにと思って数を決めたのに、前にはあれほど苦労した土煉瓦作りに一日と掛からなかった。ナオトはそれを、土器を焼くようにして野焼きすることにした。
 ――前に炭窯を作ったときには、煉瓦が何個も崩れてしまった。焼き固めておかないと鉄窯には使えない。それにしても、匈奴は土を掘ったり、いじったりするのをきらうのではなかったか……。
 浅瀬ではしゃぎながら泥を落とす兵の姿を見て、やはり、できるだけ早くいい鋼が欲しいのだなとナオトは改めて思った。
 翌朝、人手がさらに増えたので、持ってきてもらった斧を使ってみなでマツを伐り出し、選んでおいた炭焼き窯にする場所の近くに運んだ。乾いた頃合いに割って薪にし、焼いて木炭にする。
 前に一度やっているエレグゼンは何が大事かをよく呑み込んでいて、「伐ったら、枝を元からしっかり落とさないと後が大変だ」「長さを揃えてくれ。ゲル内で使うただの薪ではない」とか何とか仲間をしかりつけながら進めた。不思議と、みな言うことを聞いている。
 その後、ナオトとエレグゼンは半日掛けて新しい炭焼き窯を作った。穴掘りを手伝ってくれた匈奴の仲間たちが近くで成り行きを見守っている。前に作ってわかった不具合は改め、この後に作る鉄窯の位置を考えて、木炭の運び出し口の周りを整えた。
 掘った穴の中が乾くのを一日待ってから、湿気に気を付けて炭焼き窯を仕上げ、まきを積んで火を入れた。欲しいのは熱い火だ。それには木炭が決め手になる。そういう気持ちで窯の穴をしっかりと塞ぎ、薪と薪の隙間には小枝をねじ込んで、細かいところまで手を抜かずに焼いたためか、七日後にいいマツ炭ができた。

 木炭の焼き上がりを待つ間に、手の空いた兵の力を借りて鉄窯に取り掛かった。
 窯は丁零テレイで見たものと同じ大きさにした。北の疎林の小さい窯に比べると、内側は同じ鉄窯とは思えないほどに広い。
「エレグゼン、この窯の大きさはどう思う」
「ああ、これなら丁零のものと同じだ」
 湿気が来ないようにと、掘る土の湿り具合をよく確かめながら深さを決めた。結局、窯の底に立った人の頭が見えるか見えないかというほどに深く掘った。
 手伝った者たちが、少し離れた川岸から「こんなに使うものか」と言い合うほど大量に小石と砂を運んできて、窯から離して山のように盛り、干した。
 木炭は水気みづけを吸うと知っているので、数日後、炭が焼き上がったところで大小の石と交互に穴の底に入れていった。わいわい言いながらみなで踏みつけながら穴を埋める。
 前に作った窯から、いろいろと変えた。埋め終えた穴の上には平らになるように何個も石を置き、間を砂で埋めた。よく焼き締めた煉瓦で腰の高さに作った鉄窯の壁の下の方にはフイゴの吹き口にする穴を七つ開けた。最後に、熱が漏れるのを防ごうと煉瓦の壁の両面に粘土を厚めに塗り、隙間をふさいだ。
 ハミルで求めたびょうが残っていたので、ゲルに戻ったときに、「手先が器用だ」とエレグゼンから教えられたムンクに手伝ってもらい、足で踏みやすいようにと形を改めたフイゴをいくつか作った。鉄窯の吹き口に置いて踏んでみると、確かに、勢いのある風が鉄窯の中ほどまで届く。
 ――踏んだ後の板の戻りがまだ弱い。それに、もっと強い風が出るはずだ。後で何か工夫しよう……。

 山の端にと決めてから一月ひとつき足らずで炭焼き窯と鉄窯ができ上がり、ナオトが頼めば木炭と薪はエレグゼンが手配した荷車ですぐに鉄窯に回せるようになった。それに、ムンクが言い出して、寒くなったときに備えて二つの窯には屋根を掛け、周りを囲っておこうということになった。
「ゲルを建てるときと同じだな」
 などと言い合いながら手早く仕上げる匈奴の若者たちを、近くに立つナオトがじっと見守った。

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