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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[153]アルタイの尾根からジュンガルと天山を望む

 
第6章 北の鉄窯を巡る旅
第9節 アルタイを越える

[153] ■3話 遠征32日目 アルタイの尾根からジュンガルと天山山脈を望む
 ナオトたち二騎は、右賢王の支配の及ぶ西の外れを、さらにその西に向けて移動していた。アルタイ山脈を越えてジュンガル盆地の東のはしに出ようというのだ。尾根を越えたと確かめた後に一晩泊まるところを探すという。岩陰に、善知鳥うとうの西山に咲くのと同じ紫のフウロ草を見つけた。
 翌朝、焚いた火の跡を散らし、大きな岩の陰から出て尾根の方へと回り込んだ。目の前が開け、下に広がる砂色の平原が朝日に輝いて見えた。
「ナオト、ここに来てみろ。見えるか」
「何がだ?」
 見下ろした先に異様な光景が広がり、ナオトは目を奪われた。
 ――うわっ、なんという土地だ!
 風と水に切り刻まれた高低の入り混じった大地が延々と続いている。半分は砂がちの沙漠、半分は土と岩の山というズーソトイン・エリセンの荒れ地だった。はるか下の方に、細い川筋が低地を縫って流れているのが見える。ここまで烏孫に出会わずに来れた理由がナオトにもわかった。ここは支配することのかなわない土地なのだ。
「下ではない。上だ。遠くの山と、谷と、川の形だ」
 エレグゼンはそう言って、眼下ではなく、枝をよけて遠い彼方を眺めろと促した。
「山と谷と川か、……」
 少しの間、言葉を飲み込んだ。それほどにきれいな山並みがはるか遠くまで広がっている。
「そうだ。あれを目に焼き付けておけ。いつか一人で来るかもしれないからな」
「……」
「吾れらが進んできたこの山の連なりがアルタイだ。お前がいつか訊いていた黄金きんの採れる山だ。つまり、この山を北に上って川原に出れば、馬の蹄の下には黄金が眠るということだ。それは十日前に越えてきたタンヌオラ山脈に続いている」
「吾れたちはいまアルタイの山の中にいて、それを北から南に越えようとしているということか。そうか……」
「あの南の彼方に見える、いただきに雪を残して右手に遠ざかっていく白い山の連なりがテンリ・タグだ。これは我ら匈奴の言い方で、シーナでは天山テンシャンと呼ぶ。どちらも天の山という意味だ。その先の山並みはアラタウと言うそうだが、どこからどこまでを指すものか、吾れにはわからない」
 エレグゼンは西へと延びる高い山脈を指差している。
「テンリ・タグ、そしてアラタウか……」
 ――ヨーゼフは、そのアラタウの山を兄弟で越えたと話してはいなかったか?
「今度はこっち、天山の東はしの高い峰のなお左、あの木で少し隠れている山の先で祁連キレン山がはじまっている。だいぶ南になるがな」
「キレンとはなんだ?」
「キレンか。そうだな、あれだ」
 エレグゼンは振り仰いで真上を指差した。
そらのことか?」
「そうだ。空で、てんだ。我らの言葉でな。モンゴルの草原に立ったら、我ら匈奴はいつだって南の方を眺める。だから、我らにとっての左は東で、右は西だ。沙漠ゴビの南の端のトストオーラの山に登り、立つところを選んで真っすぐ南を望み見ると、祁連はまるで天と地とを分かつ線のように見えるという。空のような山、祁連だ」
「……」
「そして、ここからは全く見えないが、その祁連キレンの広いひろい北の麓は、遠い昔には匈奴が冬に馬を養う牧場まきばだった。以前、お前に話した光景だ。いま、その祁連の麓にはいくつものシーナに属する国と城が並び、シーナ本土へと続いている」
「シーナか…。空の彼方だな。それともそらの手前に線のように並んでいる、か」

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